ええなぁ いわみ | 島根県石見地方(江津市・浜田市・大田市)の特産品・贈り物の販売

はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2012年10月の記事

10/31 宮治豚が美味い訳を知っているか

昨夜、こせがれネットの宮治さんと久しぶりに話す機会があった。

販売やプロデュースの手腕ばかりがもてはやされている感じだけど、なぜあの豚が美味いかということがもっと注目されるべきと思う。根本がしっかりしていなければ、アイデアなんてみんな小手先に過ぎないのよな。宮治豚が美味いという事実からもっと学びたいものだ。

世の中に、売ることに苦労している人は多い。私もかつてはそうだった。どうせ売り先がないんだからあんまり育たなければいいのに、などと本気で思ったこともある。思い返しても辛い時期だった。

しかし今では栽培したものはそこそこの値段で全て売り切れる状態になっている。もちろん私に宮治氏のような才能はなく、このことは実に多くの人たちのおかげということが一番なのだが、前提として、ホンモノを作っているということはあるだろう。ホンモノとは何か。宮治豚のことも合わせて言うなら、「より自然に近いもの」という言い方が手っ取り早い。自然に反してしまうのは、得てして人間の都合。その都合があることは分かるが、同じ頑張るのなら、そういう人間の都合のデメリットを吸収してしまうくらいに他のことの改善に力を注ぐのがいいし、またはその人間の都合の部分に思いっきり分け入っていって自然と向き合ってみるというのがいいのではないか。

そして、うち。春蒔きゴボウが採算に合わないからといって、採算という人間の都合をすぐさま優先してはならない。これはこれで飲み込んで別のところで工夫をするか、それとも徹底的に自然に近づけてみる。今日も後者のことを収穫現場で考えていた。

10/30 今年も春蒔きはダメ

春蒔きのゴボウの収穫を昨日から始めた。

まあ、散々。案の定ということではあるが、今年はさらにゴボウの売れ行きがいいために在庫の底が見えてきていることもあって、気分的には最悪だ。今年もまた年末需要を満たせないことは確定的だ。取引先にご迷惑をかける。

この春蒔きは経営的に見れば不採算部門の筆頭だ。これをやめれば「とりあえず」はずいぶんと楽になる。しかし長い目で見れば損だと考えてやめずにいる。いろいろ理由はあるが一番は、いつかは栽培が安定するという見込みを持っているということに他ならない。

この栽培が安定するという確信の区切りが、おそらく来年にやってくる。ただしそれには条件があって、洪水にならなければということ。

洪水になった時にどう凌ぐか。来年に確信が持てたとしても、最終的にはこの命題をクリアしないことにはこの作型の未来はない。その対策はといえば試したいことが一つある。これを試してみてどうかということ。いろんな条件が絡んでくるので、もう2回くらい洪水にあってから、この作型については結論を出すことになるか。

10/29 日が短い

「秋の日はつるべ落とし」って言うけど、うまく言ったもんだ。これを書く今、もう17時。あと1時間もすれば暗くなってしまう。(まあ東の人にくらべたら恵まれてるんだけどね。)

となると朝から早く動かんとならんわけだが、くたびれのためか朝は体を動かしたくない日が増えているし、よし、と思った日も息子が妙になついて家からつい出れないときもある。

もう出よう。やれるだけやるのだ。ライトをつけてやれる作業ならやるんだけど、何でもそういうわけには行かんのよな。

10/26 どうもいかんね。

いくら「土を見るのだ!」と騒いでいても、やることはちゃんとやらんと。

大麦の準備を進めているが、どのくらい作付けするかどうかの相談を出荷先としていなかった。アホやね。今しがた電話で決まったとこ。

どうも緊張感が足らんというか何というか。そんなつもりはないんだけどなあ。これが歳ということか・・・。

さて、相変わらず慌てている。畑に戻ろう。慌てながら、やることやりながら、土を見ながら。う~ん、厳しいか。

10/25 我に帰って「土」

一年のうちで一番気持ちのいい季節。粛々と作業を進めている。

作業が片付いていけば気持ちがいい。だからまた次々と片付ける。とこれはこれでいいのだろうけど、やっぱり足りない。何かに追われるような作業ではダメ。このたびも改めて我に帰る。

「もっと土を見なければ・・・。」

農業経営の目的は作業を進めることではない。よい土を育てることだともいえる。肥料も堆肥も何も入れなくてすむ土を育てること。そういう土が育てば、よいゴボウが育ち、経営も安定し、社会にも貢献できる、ということに他ならない。

しかしこれが難しい。誰にでも出来ることではない。私には力はないかもしれないが、それが出来うる貴重な立場にいることに間違いはない。だったらやらねばならんではないか。

折りしも届いた「自然栽培全国普及会」の会報。先輩農業者の体験談は純粋に刺激になる。

もっともっと頭を土の中にねじり込んでいきたい。

10/24 一足早い繁忙期

水稲拡大による9月のツケか、11月繁忙の前倒しか、とにかく慌しい。

朝から大麦の準備!を始めたところ、昨日の雨でやっぱ土がイマイチ。すぐさまゴボウとサトイモの収穫の準備に回る。

これから日没までは大麦の準備に戻るべし。それにしても日が短くなったなあ、くそ。

10/23 研修生の募集

諸関係機関のご協力のおかげで、丸ちゃんの独立就農の目処がたっていることから、次の研修生の募集を再開した。詳しくはこちらまで。

毎度のことで偉そうなことを言わせてもらえば、農業をするのに知識の必要性のあるなしは本質的なものではない。知識はなくてもいい。人間力みたいなものの方が10倍くらい大事なわけだが、突き詰めると、これも側面的なことに過ぎない。では、なにが必要か。それは「農業をやりたくてどうしようもない」という想いだ。

別にそこまでの想いはなかったけど、何となく軌道に乗ったよ、という人は天才。だからひとまず置いておこう。

あなたが凡人だというなら、この想いは必要。これさえあればその他のことは必要に迫られて後からついてくる。他人に頭を下げるのが嫌いでも、人付き合いが苦手でも、気に入らないことにすぐにイライラするお子様でも、バカにされることに慣れていなくても、観察力がなくても、体力がなくても、農業の勉強をしたことがなくても、やりたい!という欲求を満たすためには、それらのことは必要に迫られて自然に克服されてゆくものだ。「いや、いくら好きな農業のためとはいえ、俺はやっぱり他人に泣きつくようなことだけはしたくない。」というならそれでもいい。それにこしたことはないんだから。それでやれるんならね。

この想いにはお金だってついてくる。休みなしで夜までバイトとか、仕切りなおしで週8で3年間働いて金をためてくるとか、想いに引きずられてやってしまう。頭の中には将来のやりがいある農業人生しか浮かばない。自分の知っている憧れの農業者の生き様が自分に重なる。すでにその一歩を踏み出していると思えて、どんな過程もそれなりに楽しめてしまう。

だから失敗を失敗と思わない。辛さを辛さと思わない。惨めを惨めと思わない。想いに引きずられて上手くいくまでやり続けるから、それはつまり必ず成功するという理屈で落ち着く。

別に農業に限らず物事はこうなのだと思うが、農業をやりたいと言う人は動機が様々だからね。かなり難しい分野だから「何が何でもやりたい!」という気持ちは最低限いるよ。私の場合は「やりたくてやりたくて、やりたくて仕方がない、やれないなら死んだも同然!とりあえずやらせろ!!」と尖ってたよな~。これだけ露骨だと女に対してはまずいだろうけどね。いや今時は案外受けるかも(笑)。

10/20 理想どおりに行かなくても

ここに来て体調不良!このクソ忙しい時に昨日まで3日連続現場に出れず・・。

今日は少し無理を押して出ている。大麦予定圃場のサブソイラがけや耕うん。本当は良かれと思う順序を踏んで確実にやりたいのだが、いろんな事情があってそうもいかない。作業が押すとロクなことにならない。

管理作業の理想というのはそれぞれにある。こうすればいい作物が辛い思いをせずにたくさんできる、みたいな。しかし多くはその通りには行かない。次善策を立て、それをどう凌ぐかの繰り返し。

だから他人に「大したことはないな」と思われても、それには事情があるのだから気にしなければいい。また実際に大したことはないのだからいいではないか。自分を見下すそういう人は、きっと大した人生を送って幸せなんだろうからそれでいいではないか。こちらはこちらで目の前の実を取るべきだ。

百姓というのは満足をしつつ長く続けてナンボだ。私のように偉そうなことを言ってたって、続かないのなら意味がない。

10/19 正体不明の野菜

昨日は忙しい中を思い切って、女房と一緒に益田のレストラン「ボンヌママン ノブ」へ長い間懸念だった表敬訪問。というと大げさで、それを兼ねて贅沢な時間を求めに。3年半前からうちのゴボウを使っていただいてるのだが、車で1時間半強、そして同じ頃産まれた息子同伴ではなんか落ち着かないということで、なかなか行く機会がなかったのだ。

最高のロケーションと最高の料理!実に贅沢な1時間。もっと早くに行っておけば良かった~。

ところで帰り際にシェフとお話。流れの中で料理されたゴボウの味の評価を聞かれて焦る。確かに最高に美味かった。でも私にはもうゴボウの味が分からなくなっている。ゴボウってどんな味だった?って感じ。すっかり麻痺している。だからうちのゴボウが香りがいいと言われても分からない。ん?香りなんかするか?というのが本音。味も香りも分からないが、正直めちゃくちゃ美味いとは思う。ゴボウというより、何か他の食材として美味いという感じ。「正体不明の美味い野菜」なのだ。それが昨日はシェフの手によってさらに得体の知れないものに!美味すぎて評価なんて出来ねえよ~。

うちのゴボウを指定してくるお客さんもいるのだとか。フレンチなのにね。就農したころを思えば夢のような話だ。

しかしただ喜んでいるだけではつまらない。私が美味い野菜を作ろうとは思っていないこと、ではどういうつもりで野菜作りをしているかということ、を合わせてもっと知って欲しいと思う。そのためにはどうすればいいか。そのことは、これからのうちの経営の目指すところと思いっきり重なってくる。

10/18 平熱が高くなった

近所のお米のお客さんに配達に行ったときの会話で、その方が平熱が35度台だから36.5度でも辛いと言われるので、私もかつてそうだったが今では平熱が高くなった、という内容で盛り上がった。

平熱は高い方が健康のためにはいいらしい。以前は35.8度くらいだったが、いつの頃からか37度近くある。1度も上がっている。こりゃ生物としては大変なことですな。お客さんからも聞かれたのだが、どういう経過でこうなったのだろう。体温を計るなんて体調が悪いときくらいのものだから平熱の変化なんて意識することはないわけだが、体調が悪いなというときに体温を計って37度を超えるようになったのが意外と最近のような気がしているから、平熱が上がったのも同時期ではないかと思っている。

なぜ平熱が上がったのか。というかうちの息子もそうだが子どもは平熱が大抵37度近いというから、子どもの頃に比べて「なぜ下がったのか」も合せて考える方が自然かもしれない。それが戻ったということ。私の生活で最近になって変わったのは食べ物くらいだから、食べ物が原因ということを無視することはできない。

コジツケと思いたい人も多いだろうが、一つの仮説が、自然栽培の米や野菜を食べる機会が圧倒的に増えたということ。以前はゼロだったが、今では一日のうちの大半はこれ。(要するに私が自然栽培を始めたということに他ならないが。)畑の土でも肥料分が堆積する部分は温度が低い。健全な土を作るためにはまずこの部分をなくすこと、つまり異物である肥料分を抜くことから始めるわけだが、どうせ人の体も一緒なんじゃないか。私の体にある異物が減ってきているので温度が上がってきた、ということでどうか。

「自分は変なもんばかり食っているけど平熱高いよ」という屁理屈は聞かないよ。私は私自身の体温の「変化」について言っているのであって、あんたの体温の「値」との大小を比べているのではない。

まあ、理屈なんてどうでもいいよ。そう思って生きるというだけで、充実感に満たされてさらに健康になれそうじゃないの。極楽極楽。

10/17 苗代準備の続き

昨日、慌てて来年の苗代の準備の続きをした。

ロータリーに思いっきり絡まりそうなので、まずは枯れた雑草をモアで粉砕し、

そこに1年かけて中熟状態の稲わら100%堆肥を手で散らす。

堆肥はこんな感じ。

そしてロータリーで深さ10センチくらいですき込み。

この日はここまで。今後はすき込んだ草と稲わらの分解を促すため圃場が乾いた時を見計らって時々耕うん予定。でもこれから乾かん季節なのよな。ここ、圃場整備してからまだ3年目だし。そして春先にベッド部分の処理。どういう状態に仕上げるか、どういう手段で行うかは検討中。

稲わら堆肥は何のために、と聞かれても困る。量があまりにも少なく、必要あるのかないのかも分からない。苗箱に入れる床土に利用した方がいいんじゃないのかとも思ったが、それまでに完熟している自信がないし、とりあえず今年は床にすき込んで、効果の程の当たりをつけて来年の利用法に活かせればと考えた次第。先日仕込んだ(といってもただ田んぼに無造作に積んであるだけだが)稲わらは、このたびはきちんと切り返しをして1年半後には完熟させておきたい。そうやって苗箱の床土に使うほうが効果的な気がしてはいる。

それにしてもこんなんで大丈夫か~?

有機施肥区用の床の準備はまだ。機械の回送ついでに今度こそいっしょに進めたかったが、昨日はサスペンデッドで今日は雨。これでしばらくは出来そうにないし、回送も増える。あ~あ。

10/16 ニンジン、粘るべし

ニンジン栽培を始めて4年目の4作目になる。しかし採算面で大変苦戦をしている。そして困ったことに今のところ勝算がない。最大のネックが発芽率と播種方法と間引き、この3件の兼ね合い。固定種の自家採取の種は発芽率が悪い。だからと厚蒔きすrれば間引きをしなくてはならない。しかしこの間引きをする暇はおそらく、ない。だからといって薄蒔きとか人を雇うとかは、採算を合せる自信がない。だったら自分でやれる面積で作付けをすればいいものだが、最低50aをやりたいという「欲」がある。自分の欲で苦しむ、という典型的なパターンを演じている。

じゃあ諦めよう、例えば発芽率の良いF1品種にするとか、そうすれば劇的に悩みは減る。だがどうも踏み切れない。「本末転倒にならんように」といつも戒めるものの、考えているとそもそも何が「本」で何が「末」かが分からなくなるからどうしようもない。

悩みの中で日曜日は午前中に2時間ニンジンの間引きをした。やっぱり現場だ。糸口は現場に在るという当たり前のこと。とりあえずいくらかの改善策と来年の方針はたった。結論を出すのはもう少し待とう。ようするにまだまだ私の管理が未熟なのだ。これまでの経験から、一見ダメと思えた作型がむしろ柱になりえるということがある。それは自分が変わるし、土が変わるし、種が変わるということがあるからだ。

今、ひらめいた感覚ですらすらと書いてみたが、何だ、やっぱり、「自分、土、種」じゃあないか。結局これか。とっつきやすいのがまずは「自分」。今一度自分の引き出しを全部出し切って取り組んでみよう。それでもダメなら、さらにその5年後くらいに諦めればいい

と同じ理屈なのが、春蒔きのゴボウ。そろそろ収穫。どうせボロボロ。これにもうずっと耐えている。でもまだ諦めぬ。こちらは「土」と「種」に期待している。「自分」には見切りをつけたが、他力本願で粘る。もっともこの他力も自分の管理の上に成り立つもの。結局、お前、しっかりせい、ということか。

10/15 反省は「今」に活かす

明後日の雨予報を受けて、今日明日くらいで田んぼの秋起こしをするつもり。ここ2年は秋起こしをしないことにこだわってみたが、やっぱりした方がいいだろうという気がして、今年からまた復活させるつもり。

といいながらこの2年間の以前も案外やっていなくて、その理由は、時間がなかったからなんとなくやらずにいたらタイミングを逃して田んぼがジュクジュクになってしまったためだ。「過去」を反省して「未来」を想定しても、「今」への活かし方が甘いから反省の意味がなかった、ということは農業をしているととても多い。他にも雑草対策とかはその典型だが、この秋起こしも私の中ではその位置づけ。

なんてサラリと言ってみたが、このことは本当はものすごく重要なことで、誰でも日常生活の中で無意識のうちにやっている失敗だろうと思う。「今」を如何に過ごすか。過ごすなどという大きな括りではなくて、何をするか。これを読むあなた、読み終わったら何をする?その次は?明日の朝は?それでいいの?過去に何か反省したんじゃないの?あとでまた反省することになるよ。

「過去」はもともとは「今」だった。いくら過去を反省しても、今に活かさなければなんの意味もない。

と偉そうに締めたところで、この状況。

田んぼを起こす前にくず米を振っておこうとマニアに入れてトラックに積み込む矢先、運と不運が重なってくず米をぶちまけてしまった・・。よ~く考えれれば防げたんだけどね。これで1時間半のロス。雨前の忙しい時にこれは痛い。

10/13 そのうち嫌なほど雨が降る

今年は雨が少ない。自分の記録だと、作業を妨害するくらいの雨はもう1ヶ月近く降っていない。夏の間もあまり降らなかったから大地も乾いてしまっていて、時折降る程度の雨ではどうにもならない。そのせいでうちの井戸水は長らく枯れたままである。

おかげで農作業ははかどる。遅れに遅れている管理を取り戻すには大助かり。しかし逆に恐い。そのうちに嫌というほど雨が降る時が来る。そのうち大麦の播種、大豆の収穫、秋播きゴボウの播種、など、第2の繁忙期の11月がやってくる。この時期が繁忙期になるのは、日が短くて作業時間が確保できないということと、大きな雨が一つきたら低温で乾かなくてなかなか畑に入れなくなるからということがある。この程度の作業量は5~6月の天気の下ならちょっと頑張るだけで終わらせられる。

畑に入れる日が限られるということだから、ちょっとしたタイミングを逃すわけにはいかない。だから楽しい行事の多い時期ではあるが、ほとんどのお誘いは断ることになる。今年もそう。約束をしたら終わり。これまでに何度も痛い目にあってきた。

毎年の工夫で楽になってきていることは多いが、この時期のこの問題だけはどうにもならんだろうね、きっと。反田はどうせだめだよ。と相手にされなくなるのがちと寂しいが、いろいろなことを考えれば、そう大したことではない。

10/12 秋作の管理方法に悩んでいる

秋の作付けが迫っている。ゴボウと大麦。11月蒔きのゴボウは私ら家族の生活を支えてくれる主力だし、大麦は当地の冬の天候でも育つ数少ない作物だし、なんといっても洪水の心配がほとんどない(2011年5月には少しやられた)。

だから気合を入れて作付けしたいのだが、肝心の管理方法について多くの結論が未だに出せずにいる。その大きなものが施肥。まずは施肥をするのかしないのか。そして、しないなら、するなら、それぞれどんな管理をするのか。もちろん圃場ごとに違う。これまでのデータと私の頭の中の蓄積を全部動員してPCの前で缶詰になって丸一日頭を捻れば、それなりの結論が出せるかもしれないが、貴重な作業時間を削って結論を出したところで、そもそも私の洞察自体に自信がないということがそういう手段を躊躇させている。洞察力は実際に畑に立って考えるときの方が明らかに利くもので、それで昨日も今日もモアで緑肥の粉砕をしながらそのことばかり考えている。

基本は自然栽培。これが田津の土をもっとも生かす栽培であるし、つまるところ私たち家族が土に生かされるもっとも可能性の高い(長期的視点でゴボウ栽培に有利な)栽培であると確信している。自然栽培とは無肥料栽培にあらず、無肥料でも作物が育つような管理をする栽培のことである。

ゴボウは「抜けない」問題。筋の良い解決策が浮かばないので、自然栽培は25%程度に留めておいて、残りは有機肥料の追肥をするつもり。だが、その追肥量の結論が出ない。

大麦は本来、畑の肥料を抜くために栽培し始めたのだが、経営的な事情があるので圃場によっては元肥を振ろうかと考えている。しかしその圃場や散布量が決められずにいる。あくまで輪作のゴボウのための栽培なので、長い目で見たときにゴボウ栽培の邪魔にならないような管理をしなければならない。また大麦は播種時期、麦踏みや土入れの有無が、生育を大きく左右する。そのこととあわせて施肥を考える必要がある。

そういう事情をさらにややこしくしているのが、今まさにやっている緑肥粉砕の遅れ。ほぼ1ヶ月遅れ。これが後作に思いっきり影響する。ゴボウ予定圃場については最優先で済ませていたが、大麦の圃場がね。もうこのことだけで大麦はアウト。

10/11 モアが帰ってきた!

入院していたモアが6万円と書かれた伝票とともにようやく帰ってきた!(涙)

待ちくたびれたぜ!とにもかくにも緑肥の粉砕!!といきたいのだが、午前中は他の作業のためにできなかったし、今昼だが、これからしばらくは自宅のPCの前で急ぎの用事をせんとならん。1時間くらいはかかるかなあ。刈り遅れのマメ科緑肥を気分的には1分でも早く処理したいところなので、気ばかりが焦ってどうしようもない。

ということでお終い。

10/10 お米の検査と「今田」の不安

お米の検査を受けた。結果は予想通りで、2等。白く濁った部分のある粒が多く混じっているためだ。中でも今回は「基部未熟粒」が多いということ。これは登熟が早く切りあがって起こる症状。

登熟を安定させるためにはどうすればいいか。行き着くところは「根」で、じゃあ根を元気に維持する方法はといえば、何だってそうだがこのことも一概に言えなくて、端折って言えば「下の原」では溝切りさえきちんとできればまあ大丈夫。しかし「今田」ではそれではダメだろう。違いは土。下の原の土なら、あとは水管理さえしっかりできれば少々の気象条件は飲み込んでくれるはず。しかし今田。圃場整備直後で「作土」とはいえない、まだただの「土」。年々作付けをしていくうちに良くなっていくのは間違いないが、20年待ってよ、と言われても困る。もう、そうだな、3~5年くらいでそこそこになってはくれないだろうか。

そのためにどうすればいいかがわからない。土は稲との共生関係の中で進化していくわけだから、それを後押しするのが私の役割。しかし方法によっては逆に足を引っ張ることになりかねない。こんな状況で足を引っ張っていてどうする。後押しは出来なくても最悪で足だけは引っ張りたくない。

「自然な状態」に対しては「自然な手法」がいいと思うが、自然な状態を目指す過程の「不自然な状態」に対しては「不自然な手法」も必要と考えている。などと偉そうに言ったところで、やるとなると恐いね。もう何をするのも恐い。恐いが決めていかなくてはならない。そこが面白いところでもあるのだが。

今年の2等。今田は仕方がないとしても、下の原も溝が切れずに水利組合の都合で稲が枯れたのだから無理はない。そして来年から下の原でのお米作りはない(大豆を来年作ったら農地を返すつもりでいる)。つまり今田一本。それで果たして経営は大丈夫か、という重苦しい不安からきっと数年は逃れることはできないだろう。しかしまあ、不安で死ぬことはない。むしろ自分の価値観を鍛え、息子の代までの長い目で考えていくのが良い。

10/9 ゴボウ種の調整とお米の準備完了

畑の管理を進めなければまずいのだが、畑に出たのはニンジンの散水のわずかに10分のみで、あとはずっと事務所兼出荷場でひたすら作業。お米の出荷準備と、ゴボウの出荷と、ゴボウの自家種の調整と、各種デスクワーク。全部大切なことばかり。これはこれで仕方がない。

ゴボウは今年は間引き無しを前提で種蒔きをしたいと考えている。つまり5cm間隔1粒まき。となれば発芽勢の良い種を選抜しなければならず、ここに苦心。風選と水選を組み合わせて考えているのだが、果たしてうまく行くかどうか。昨年は2.5cm間隔の1粒まきで間引きをする、という前提でやったが、トンネルの中の間引きはもう2度とやりたくない。でも発芽率が6~7割くらいだったので1粒まきではひどい目に合ったかもしれない。だから今年は強い種を選抜する必要があるわけ。

お米は、明日が検査。年間契約の方々は明日以降いつでも発送が可能。また改めてメールをするつもりだが、これを読んでいつものように連絡をいただいてもいい。大変お待ちいただきました。

10/6 逃げる人生

自営業をしていると、実に多くの人たちのお世話になる。お世話になっているからこそ生きていけるということはあまりに当たり前で普段からいちいち意識することはないけれど、何か何かの節目にはこのことを痛感する。そして同時に自分がいかに恩知らずで失礼な奴かということにさいなまれる。そのことを気分が落ち込むくらい思いつめることもあるけれど、ほとんどは、相手に言わせると「まあ許せる範囲」ということが多いだろうから、図々しくないとやってられない!と言い聞かせて自分の中で揉み消してばかりでいる。

しかし、如何にいってもこれはヒンシュクだろうということだって、ある。3年前にも書いたが、私は偉そうなことを言う割りに、これまでにいろんな場面で逃げてきた。人一倍粘りはあると自負はしているが、勘のようなもので「これはダメだ」と思ったら、あっさりと逃げてきた。そこに至るまでにずいぶんとお世話いただいた人もいるし、有形無形の応援をしてくれた人も多い。そんな場面ですら、ヒンシュクを思いっきりかいつつ、逃げてきた。振り返ると多くの人たちに対して申し訳ない思いで一杯である。

その判断が良かったのか悪かったのかは永遠に分からない。私はその時々の自分の「勘」を拠り所にしただけのこと。引き返すとヒンシュクだが、突っ込むと自分が潰れる。引くも地獄、進むも地獄。同じ地獄ならどちらがいいか、という、あとは判断である。

といいつつ、こういう判断を強いられるのはよっぽどの状況のときだから、多くの人に迷惑はかけたが逃げてきた選択は正解だったのだろうと思っている。

今日は朝から少し凹む事情。最近思いつめていた事柄が少し恐怖に変わって、ちょっと自分を立たせるのに力がいる。他にも大きな懸念が何点か。中長期的に仕切りなおしが必要。

また逃げるか・・・というささやきが聞こえてくる。一つ言えることは、逃げるのなら早い方が他人にかける迷惑も自分につく傷も少ないということ。いろいろ胃が痛い。

10/5 苗代の準備開始

6月の代掻き後、わざと生やしている草を、

苗箱を並べるところとその周囲のみ草刈機で刈って、

満べんなく散らす。

で今日のところはこれで終わり。この後、草が枯れるのを見計らって、仕込み中の稲わら堆肥をさらに上から撒いて、ロータリーですき込む予定。

苗箱内の土が田んぼの土100%の無施肥の苗作りは、今度が4回目になる。過去3回はいろいろ成り行きがあったので、安定かつ継続的な方法にはなり得ず。今回このような管理を始めてみたわけだが、もう嫌というほど考え抜いてこうなった。結果や、いかに。一年一年が試行錯誤だ。

ちなみに有機肥料使用苗の苗床の準備はもう少し後で。できれば今一緒にやってしまったほうがいいのだが、ちょっと暇がない。

10/3 事故が多い

昨日は朝から大麦の納品。6月に収穫したものをようやくね。

パレットごとトラックに積んでいくのだが、あろうことか、到着するやいなや荷崩れ。幸い麦袋が破れたりはなかったけれど、走行中でこんなことをしたら場合によっては大変ではすまない。何をやってるんだか・・・。

少し前にも書いたけど、どうも最近この手のことが多い。昨日の夕方も、モアで緑肥を粉砕していたらモアから煙が!!小さな炎が上がったので慌てて覗くと、絡まった草に引火していただけでとりあえず安堵。実は10日くらい前に使ったときも少し不調のサインがあったので、運転前に点検はしたのだが、原因がよく分からずに「気のせいか?」などと片付けてしまったわけ。原因が分からないのなら使ってはいけないのに。

何かがおかしい。作業が押していて慌てているということもあるだろうが、それだけではないような気がする。

とにかく事故をしないように気をつける、というのでもよいが、改めて構えるようでそれがむしろ逆効果になりそうな気がする。小さな事故は覚悟して大きな事故をしないように、くらいの方がいい気がする。「気がする」ばかりだが仕方がない。

10/2 自分の力量を上げる方法

うちのHPからリンクしている「蒜山耕藝」のブログで、「新規就農者は反田のブログを読め。」と少し前に書いていただいた。主張のメインは「やらないことを決める」ということ。確かにこれは大事なことで、私は普段から特別に意識しているわけではなく、無意識のうちにそういうことになっているといったほうがいい。

新規就農だろうがなんだろうが、何かを為すためには自分の力量を上げなければならない。私に言わせると、自分の力量を上げるというのは漠然と考えて努力したって上手くいかないもので、①まずは自分の身の程を知る。②その少し上の努力をする。という一連の行為によってのみ成り得ること。このことは人間なら例外がなくて、世の中の凄いなあという人も意識していないだけで無意識のうちにこういう行為が出来ているに過ぎない。例外がないだけに逆に言うと、どんなバカな奴でも力量を上げることはできる。そしてこれを続ける限り、際限なく上がり続ける。

身の回りに1人2人入るんじゃないか?「あいつこんな凄かったっけ?!」とか「あいつがこんなことをやるようになるとは!」っていう奴が。私もまだまだ全然凄くないけど、明らかにこの口。

言うは易しだが、しかしながらこの①②が難しい。まず①の段階が既に難関。身の程を知るという行為。本当は簡単なはずなんだけど、この社会を生きていれば勘違いをしていくんだよね。とにかくこれが難しい。そして②も難しい。同様の理由。しかしこれがピタッとはまるとき、自然と「やらないこと」というのが決まってくる。

だから「やらないことを決める」行為とは、この①②を追求すれば自然と帰結する種のものである。

続きを書くかどうか。

10/1 「ひいおばあさん」の訪問

週末は、女房の母と祖母が尋ねて来てくれた。息子にとっては「おばあさん」と「ひいおばあさん」。5人で飯を食っているときに、(私以外が)息子まで順番にお腹から出てきたのだなあ、などと思いいって、生命の深さに感じいったことだ。

「命をつなぐ」ということ。女性だけの役割ではない。私で言うならお米や野菜。種をつないで、まずは息子の代に繋ぐこと。

あまりにも地味で感激的行為。わくわくはしないが心に染み入る行為。人生の楽しみはこうでありたい。

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