年末年始の出荷について

はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2013年10月の記事

10/31 太陽熱マルチの失敗

秋まきゴボウの増産のための試みの一つに、マルチを使った太陽熱処理があるが、これがものの見事に失敗。マルチの下でイネ科の草がかなり蔓延ってしまった。本数は比較的少ないので、これさえシゴすれば冬の草取りは大きく軽減されそうだが、手で抜くには多いし、削るには大きくなり過ぎた。どう処理するか悩ましいところ。

9月中旬のマルチングだったが、温度はいい感じだった気がするので、失敗の原因は水分か。振り返ってみて、どうすれば良かったか。雨の翌日に強風。それが収まるのをさらに1日待ってマルチング。土が乾いていたのよな。

運に頼る管理には限界がある。もっと早い時期に黒でマルチングというのが正解と思うが、もし今年やっていたら洪水の洗礼を受けた。あの時期のあのレベルの洪水はそう再々はない、という判断でやるというのが現実的な気がするが、そんなんでいいのだろうか。

来年はとりあえず黒を使うということで、あとのことはそのうち考えたい。

10/30 お米の検査

昨日は情けない事情で弥栄村へ。気分も体もクタクタになった。また、JASの結論が出るまでは多くの人に迷惑をかける。そんなことを改めて。

今日はJASの書類作成や、お米の見かけの検査。書類は状況が変わる度に、3度も作っては直しを繰り返し、今日ようやくFAXにまでこぎつける。多くの人の理解や助けがあって進んでいるが、今後どうなるのか。この世のすべての人に納得のいく結論になってほしいものだ。

お米は、白っぽいお米が多くて予想通りに2等。夏が暑い年のコシヒカリは厳しいね。うちも以前は1等が当たり前だったが、ここ4年では3度も夏が暑く、その年はほとんどが2等になった。今年なんか、一部を「色選」という機械にかけたおかげで2等だもの。これからいろいろ考えんとならんね。

でもまあ肝心の味のほうは、私としては自信をもって合格点と思っているので安心はしている。種採りと、自然栽培とか有機肥料あっさり施肥管理とかを続けていると、コシヒカリでもあっさり系になってきて、私の体ももう最近では何でもあっさり系が好きになってきているので面白い。自然界って何でもあっさりなんだろうね。

いろいろ方がついてきて、そろそろ現場に集中して動ける。自家採りのゴボウの種もヒモに加工されて帰ってきたし、本線が秋まきゴボウに移る。11月繁忙期に向けて怒涛のように進めるのだ!っとちょうど息巻いたところで、思い出した。明後日からお泊りで出張だった。

10/28 週末を楽しんだせいで

週末は隣県へ自然栽培農家見学。新規で始められて私より営農年数は少ないのに、え~!と驚く経営。いい刺激になる。これからも何かと学ばせてもらいたものだ。

1泊し、翌日は帰りながら家族でいろいろお楽しみ。特に息子が楽しんでくれたのが何より。終始振り回されて1日が過ぎるんだけどね。そしてかなりビビりでどんくさいんだけど、可愛くてならんのよね(笑)。ああ、親ばか。

てなことをしてるもんだから、タダでさえJASで時間を割いて仕事が溜まっているというのに、ますます大変なことに。恒例の11月繁忙期を分散させるためにも、本当は片っ端から作業を進めておきたいのだが、朝一番のゴボウの収穫作業の後は、こんな穏やかな日和をほとんど事務所の机で過ごしている。大事なことだから仕方がないんだけど、集中し過ぎて脳みそが固まりそうだし、集中すると腹がへる。困ったものだ。

自宅のPCのキーボードの故障が痛い。早く買えよな。誰かノートの中古ちょうだい~。ネットとエクセルとワードさえ使えれば何でもいいんだけど。

それにしても、いろいろなことの結論が出ん。出ん出ん言っても仕方がないから、どこかで無理やり決めなければならんが、そんなことが多すぎる。多すぎると自分の判断が不安になるのよな。今の農業始めてからずっとこうだったけど、これは相変わらずだ。振り回される原因である外部要因が減れば、このことも減ると思いたいんだけど、でも外部要因ってよくよく突き詰めれば全部自分が招いたこと、つまりただの内部要因。外部だ内部だと言ってるから上手くいかんのよ。ということに気がついてから私はもう長いよ。ちょっと改めてつぶやいてみたところ。

10/26 JASネタ最終回

しばらくやってきたJASネタだが、そろそろネタがなくなってきて今回でお終いにする。今後は「ある程度」真っ当な対応が期待できるので、とりあえずホッとした心境で、思いついたことを2つ3つ。

私はただの一農業者、一介のチンピラだ。つまり代表的な国民の一人。そういう者が今回のようにネット上でぎゃあぎゃあ騒ぐことに対し、不快感を感じる人は少なくなさそう。不思議だね。自然なことだと思うけど。

不適切な表現や礼儀に反することもあるかもしれなないが、そこは私の未熟者たるゆえん。てか、みんなそうなんじゃないの。完璧に振る舞える人なんていないよ。物書きでもあるまいし。揚げ足取るのは、もっと立場のある人に対してやっておくれ。ホント政治家とかって大変だよな。

それから私の本分は、いい農産物を生産し続けて、その営みを発信して、それによっていい土と人を繋げるよう努力すること。これ以上もこれ以下もない。このことは私が一番良くわかっている(今はそれしか興味ねえよ・笑)。それ以上の役割を求められても困るし、それ以下に貶められる気もない。だから調子に乗るな!などと感じてしまう人は明らかに見当違いで、あなたこそ自分が何なのかを見つめてみては。

今回のこと、考えれば考えるほど矛盾だらけなんだけど、考えれば考えるほど仕方のないこととも思える。それは有機JASがあくまで「農産物」に対してではなく「生産過程」に対する認証だからである。あまりに都合のいい自称有機を取り締まるために作られて、有機農法で作られた農産物だというお墨付きを与える制度なのだから、そうなるのは当然。だから有機JAS検査では最終農産物に対する残留農薬や硝酸態窒素の検査等は課されていないわけだ。

反響の中で、多くの人が救済の一案として提案している、冠水圃場の土壌検査。私はかなり疑問。むしろやってはいけないことと思っている。まあ実現にはハードルが高そう。誤解しないでよ、うちの冠水圃場からは明らかに基準値以上のものは出てこないから。てか、基準値って何よ。どうやって決めるのか。冠水による影響のものと、畜ふん堆肥やら食品残さ堆肥やらに入っていたものと、どう区別するのか。源流の田んぼと下流の田んぼとに差をつけるのか。あまりに消費者のご都合主義にならないか。自然循環、「機が有る」有機農業の本質からただかけ離れていくことの後押しにならないか。

この問題に向き合っていて、現代人は川の水に対する認識があまりにないことを痛感した。普段の川はあまりにも汚れている。それでお米を育てざるを得ない悔しさというのは、正直ある。源流に近い田んぼをうらやましく思うことはある。しかしそれには向き合わなければならない。水が汚いからと放棄するわけにはいかない。私のような栽培が普及すれば、大幅に川はきれいになるのだから。

大雨で増水し濁り水の濁流が流れる川を見るとホッとするのは事実。このきれいになった水を田んぼに溜めたいなーとか、この水をニンジンのスプリンクラーに使えないかなーとか思う。濁りの原因である山の土を汚いと思うのはあまりに都市人的な感覚。植物にとってはありがたい存在。ミミズを例にとるとわかりやすいが、人間にとっては気持ちが悪くても植物にとっては心地よいものがたくさんあるのだ。こういうことも説明しなければ分からない人があまりに多い。田舎に住まう人や環境啓発に関わる人の中にもこういう人がいて驚くことがある。都市化された現代人の感覚はこうも鈍っている。

終わろう。

10/25 冠水は問題ではなかった

今日2発目のブログ。

やっぱり国は河川の水による冠水自体は問題にしていなかった。問題なのは慣行圃場に隣接している畑や明らかに土砂が入った圃場。つまりうちの圃場でいうなら、田津地区で竹藪越しに江の川の水が直接入ってきている圃場や、今田地区の水田はOKである。

認定機関がこれを受けてもう一度検討してくれるそうだ。

何度もいうが、私を含め関係者のお粗末さ、制度の不備。傍から見ると不思議かも。でも仕方がない。これが現実。

そして何といわれようと、ゴチャゴチャと粘っている甲斐とはあるものだ。

10/25 JASのおかげでもらえる補助金

JASネタついでに、関連のこと。

農家がもらえる補助金ってのがいろいろあるんだけど、その中に、「環境保全型農業直接支払交付金」というのがある。

簡単に言うと、環境や生き物に唾しない農法に対して支払われる補助金で、10a当たり8000円もらえる。これ結構バカにならなくて、うちのように広くやってると100万円を超えることになる。今年のように、どうしよ~という年にはとてもありがたいものだ。

でも、もちろん要件がいろいろあって、誰でもは受けれない。その中で不思議だな~というのがあって、島根県の場合はうちでやっているような無肥料を基本とした自然栽培は対象外なのだ。理由は省略するが、環境や生き物に対してもっとも唾しない栽培方法の一つである自然栽培が対象外というのは、実に片手落ちという気がする。まあ行政や研究機関というものは現場に対して常に後追いだからね。いつかは追い付いてくるだろうけど。

JAS制度だって何だって、多数の人を対象に運用するからにはどこかに線引きはいる。だからある程度仕方のないこととは思う。

ではこの補助金、うちはもらえないのか?といえば、県によって対応が違っていて、ありがたいことに島根県の場合は「我らが有機JAS!」(笑)の認定を受けている圃場は自然栽培でも対象になる。(まあ隣県などはJAS認定がなくても対象になるらしいんだけどね・・。)だから今回のことで商品にJASの表示はできなくなるが、圃場が転換期間中扱いの認定を受けられるので、この補助金はもらえるわけ。

かくして、来年度に作付の予定がなくて直接的には認定をとっても意味のない圃場でも、今年作付した圃場についてこの補助金をもらうために、このたびJASの申請をするという笑い話。

10/24 関係者のお粗末さ

この度のJAS取り消しの件で、昨日の取材が、もう今朝の新聞に掲載。騒げ、騒ぐな、と賛否両論ある中で、さあどうか、という内容に見て取れる。まあいいんじゃないの。

私がぎゃあぎゃあ騒いぐからか、このサイトのアクセス数も日に200前後だったものが400~500にも増えている。もういい加減に静かにしていてくれという人も多いことだろう。だが心配なく。ネタがそろそろ切れる(笑)。あとは水面下でやることだけ。

そして私はチクリは絶対にしない。「あんたがチクらなくても、新聞沙汰にまでしやがって、どこからかバレたらどうするんだ。」というのなら、それは観念しておくれ。大丈夫、何十年先かもしれないけど、いつかは良くなるよ。

今回のことは、一つ杜撰(ずさん)なことがあって、国は「川の水は汚れていない」という前提でいるらしく、つまり本流から直接冠水する場合はJASの取り消しに該当しないとのことらしく、それを私を含め関係者がよくよく確認をしていないのだ。今日は自ら国に確認しようと思っていたら、まずは認定機関から確認してくれることになった。場合によっては改めて自分でもしてみる。

問題のポイントがずっとずれていた、ということだ。当事者になると思い込みや先入観で客観的な思考ができなくなることがあるものだが、今回はその典型か。思い返してみればよくよく杜撰だった。まあまだ何かが解決するかは分からんけど。

ムダと思うことなくずっとこのネタを書いてきたおかげでいろいろ勉強になった。頭の中も当初よりずいぶんと整理された。この度のことだけで見ればまったくの無駄骨折りだったかもしれないが、これからやろうとすることのいい土台になったことは間違いない。

そして何より、いい牽制になっただろう。何のことかはわかる人にはわかるネタ(爆)。

とりあえず今回のことは、私も早く幕引きらしくなることを願っているが、もちろん経営の実害がある以上はそれで簡単に済む問題ではない。このネタ、さらに続くかどうか。

10/23 河川沿いで規制すべきは有機農業なのか

有機JASは2001年に施行された。ちまたに溢れ始めた「自称」やら「いんちき」の有機を取り締まる目的で、消費者サイドに立って作られた制度だ。このこと自体は賛成ではないが仕方のないこと、と私も思う。

の割には不思議な点がたくさんあって、例えば鶏糞を田畑に入れることを認めているが、糞の中に何が入っているかなどは問題にしていない。餌でしこたま薬漬けにされた鶏の糞だろうが何だろうが、鶏が糞をしたあとに人為的に禁止物質を添加していなければOKだそうだ。また田畑にどれだけ入れてもOK。作物にもよるが、鶏糞なんて10a当たりに300kgも入れたら大変なことだが、平気で1トンも入れて野菜を育てている人もいる。できた野菜は立派に「有機野菜」扱いとなる。

環境も人の健康も台無しにする管理で、JASで認められているものはたくさんある。いわば質と量を無視しているからである。度を過ぎた管理が問題になるのであって、化学物質であっても少量の使用であれば、そちらの方がむしろ環境にも人体にも影響は少ないということは、もはや業界では常識である。

消費者サイドに立って作られた法律ではあるが、有機JASは人の健康にはほとんど寄与してない。例えば化学物質過敏症の人が食べれるものは有機JASとはなんの関係もない。こてこてに家畜糞で育った野菜よりは、あっさりと化学物質で育った野菜の方が食べれるのだと当事者からも聞いたことがある。質と量を無視するからこういうことになる。

現行の有機JASが寄与しているのは、強いて言えば環境へのもの。この世に存在しない物質を使うくらいなら、量をぶち込んでいるが自然界に存在している物の方がマシではないか、という議論。これだって量を減らせばいいだけのことで、たくさん使うことに大義はない。畜産地帯の河川水の水質が悪いことは有名である。農地に撒いた物質はみんな河川に流れでて、川や海の生き物に影響することをしっかりと意識するべきである。

国は、田津地区のようにしばしば洪水に見舞われる地域は有機JASの認定をするな、つまり少し意訳すると、河川沿いでは有機農業を規制しろ、という指導をJASの認定機関へしているそうだ。もう情けないくらいに本末転倒で、環境のことを考えると河川沿いこそ有機農業は普及させるべきで、規制すべきは肥料や農薬の方である。河川沿いでは農薬や肥料、堆肥の質および散布量を規制すべき。河川の汚染は農地からのものが一番を占めるのであるから、そうすれば、前に書いた断魚渓、千丈渓の水質、普段の江の川の水質、島根県ならではネタの宍道湖のシジミの生息環境は格段に良くなる。

それを、川の水(しかも雨水で爆発的に増水してきれいになった水。日常田んぼに引いているより遥かにきれいになった水。)によって田畑が浸かったから、有機JASを取り消し、河川沿いでは普及を規制しよう、などと、どうしてこんな悲しいくらいに情けない対応になるのか。

10/22 盛り上がる

昨日に引き続き、重い気持ちで片っ端から作業を進めていたら、夕方ごろになって、「よかったね」という声が聞こえた。もちろん誰も発していない、天からの声。

これで瞬く間に気分が変わった。何がよかったのかは分からないが、とにかく気持ちが楽になった。こういうことって良くあるのよね。まあ、生きる課題があってよかった、くらいに考えておこう。

ここ数日、JASネタなど書きながらも、作業の方はことごとく進んでいる。別に重くて暗い気持ちになっていたってやることはやってんだけど、発想というか閃きというか観察眼というか、そういうものが鈍るので、やっぱ前向きに意欲を持ってやれる方がいい。

またブイブイいわせてやるぜよ。明日にはJASのことで報道関係者も取材に来てくれる。あっちもこっちも、あれもこれも、何でもかんでも、ブイブイやるぜよ。

10/21 へこむ

人生山あり谷あり。谷はあっても他人に迷惑さえかけなければいいが、なかなかそうもいかない。こういう時は気分もふさぐ。

土だって人への貢献だっていつかは良くなる、とジッと念じて信じて、地道に目の前の作業を進めるのみ。

10/18 JASの私案

その後、関係者から聞いた話を基に、Q&A25-1の私案を作り変えてみた。2.は厳しくなっているが、JAS法の本体との整合性もある。

私がこんなもの作ったって仕方がないのだが、まあいいではないか。

『1.台風や地震等の広範囲に及ぶ天災であって、河川の氾濫や土砂崩れ等により周辺から土砂が流入した有機圃場については、慣行圃場などの、使用禁止物質の使用の恐れがある場所の土の流入が認められる場合は圃場を格下げすることとし、被害を受けた時点で作付けられていた作物の当該作期における収穫物については有機の格付をすることはできません。

2.また格下げされた圃場については、あらためて土作りをやり直す必要があります。このため多年生の植物から収穫される農産物にあっては、天災を受けた時点から2年以内に収穫された農産物は転換期間中有機農産物とし、それ以降に収穫された農産物については有機農産物とすることができます。単年性の植物から収穫される農産物にあっては、天災を受けた時点から1年以内に播種または植え付けをされた農産物については転換期間中有機農産物とすることとし、それ以降に播種または植え付けをされた農産物については有機農産物として格付することができます。』

現行は以下。(太字は私)

『1.台風や地震等の広範囲に及ぶ天災であって、河川の氾濫や土砂崩れ等により周辺から土砂が流入したり、冠水した有機圃場については、使用禁止資材の流入の可能性があります。このため、使用禁止資材の有機認定圃場への流入を明確に否定できる場合を除き、被害を受けた時点で作付けられていた作物の当該作期における収穫物については有機の格付をすることはできません。

2.また天災の被害を受けた圃場については、その時点で生産していた作物を収穫又は取り除いた後についても、有機農産物を生産するためには、ある程度の期間、土作りをやり直す必要があります。このため、天災を受けた時点で生産していた作物を収穫又は取り除いた時点(土作りの開始)以降1年以内に収穫された農産物については転換期間中有機農産物とすることとし、それ以降に収穫された農産物については有機農産物として格付することができます。』

10/17 自然栽培と有機JAS

連日私が有機JASにこだわって書いているので、自然栽培者としての私のファンは、さぞかしガッカリしているだろうということが容易に想像できる。これまでにも多くの誤解に出会ってきたし、またこの誤解を解くのは容易ではない。話は複雑なので、私が有機JASに固執する理由の一つを説明したい。

それは、今回のように有機JASを格下げされると、自然栽培農産物が作れなくなるのだ。例えば、自然栽培大麦、来年からは栽培することができない。今年は6トン近くを栽培した。これだけの量を世に送り出すことができた。それがJASの不思議なルールのせい叶わなくなるのである。

自然栽培大麦は、ほぼ全量をお世話になっているところに味噌の原料として出荷している。そしてその味噌の販売の事情で、大麦を出荷できる条件としてJAS認定が必要なのである。このたびの判定で、来年6月に収穫を迎える大麦はJASでなくなる。それで売り先がなくなるため栽培できなくなるということだ。

なーんだ、有機JASがなくても取引してくれる売り先を他に探せばいいじゃん、と簡単に言われても困る。売るってのはそう単純な話ではないのよ。特に、量の問題。ある程度量がまとまっていないと、栽培に付随する余分な手間ばかりかかるということになって痺れるばかり。特にあの殺人的な6月繁忙期に収穫するのだ。最低でも4~5トンくらいはまとまっていないと厳しい。500キロとか1トンとかしか需要がないのなら実質として栽培できないということ。

分かった?

それから有機栽培に対する誤解というのがある。うちの自然栽培ごぼうのラベルに有機JASマークがあるため、「有機ごぼうって書いてあるよ。自然栽培だと思っていたのに。」と言われたたことがある。有機JASとは販売時に保証する栽培規格のことであって、自然栽培農産物ならほとんどすべてこの有機JASを満たす。だから有機JAS表示ができるわけ。また正式な表示としてガイドラインがあるのは有機JAS表示のみだから、世には有機JASが普及しているし、自然栽培農産物をたくさんつくってしっかり流通させるためには、有機JAS表示が必要になるということ。当たりまえのことだが、自然栽培農産物は作るだけでは意味がない。食べてもらってナンボだ。

誤解ついでにもう一つ言っておくと、有機栽培とは有機肥料を使う栽培だと思っている人は間違い。これらの「有機」の言葉の意味はぜんぜん別物。有機栽培の「有機」の意味は、「機が有る」と言うことらしい。つまり自然界には法則(機)が有って、その法則を重視して栽培するのが有機栽培なのだ。決して有機肥料を使う栽培のことではない。でも次第に、たまたま「有機」という同じ言葉の有機肥料を使うことに血まなこになるエセ有機栽培ばかりになってしまった。だからそれとは区別するために、本来の有機栽培、つまり肥料など一切使わない栽培を自然栽培と呼んでいるのだ、とも聞いた。

とJASにこだわる理由を書いたが、これは一断面に過ぎない。とにかく、ゆくゆくは全面積で自然栽培を目指す私にとっても、有機JAS制度はある程度健全であってくれなくては困るのだ。

10/16 川の水は汚いか?(本題)

こんなときに、今日は朝からJASの年次検査。うちでは例年9月に受けるものだが、今年は洪水と時期が重なったのでややこしく、この時期にずれ込んだのだ。余談として検査員の方からも冠水に対する私見を伺い、改めて現行の不思議さを思う。

先週、JAS制度に深く関わる人の話を聞くことができた。その人によると、国は、洪水時の川の水が汚いと言っているのではなく、慣行圃場を舐めてきた水が有機圃場を流れることを問題にしているのだという。慣行圃場を舐めてきた水ははたして有機栽培に問題があるほど汚いのだろうか。

川の水とは、はっきりいって汚い。大雨の時がではなく、普段がである。江の川だってそうだ。水量が少ないところの例をとるとわかりやすい。

この近くに、「断魚渓」 「千丈渓」という名勝があるが、風光明媚な景観に反し、そこを流れる水は強烈に汚い。水はよどみ泡がぶくぶく浮き、薄っすらと臭いさえする。それは両者がこの上流に邑南町の大農業地帯を抱えているからである。広大な農地の末端にこの狭い渓谷があり、農地に撒かれた物質はすべてこの細い流れとなって通過するからである。我が国の水質汚染の原因は工業廃水などではなく、一番が農業排水だそうである。

川は上流からの農業排水を集めながら下流へ流れる。田んぼの多くは、引き入れる水の多くは川の水であるのだが、うちの田んぼへ引いている水もそうだ。見た目はきれいだが、あの千丈渓の水も含まれている。うちの米なんか食わん方がいいよ。上流の農地から押し寄せる肥料分や農薬まみれの水で育ってんだから。(もっとも季節的なことはあるが。)

しかし大雨の日。川の水は山の土で濁っているが、その大部分は雨水だ。この度の洪水などは雨水によって普段の水量の何百~1000倍にもなっている。そして問題はここから。その水が上流のどこかで慣行圃場を舐めてきたからといって、だからなんだというのか。

断魚渓の普段の水と、このたびの大雨時の水をコップにとって泥を沈殿させたもの、のどちらを飲むかという選択を迫られたら、それらの水を前にして前者を飲むという阿呆はいまい。

そんな普段時の状況でも、有機JAS法では普段の川の水を田んぼに引くことを認めている。まあ、そうしないと源流の田んぼでしか有機農業できんから仕方がないだろうが、そういう妥協がある一方で、なぜ洪水時には不思議な規制を強いるのか。

やはり冠水の問題は、冠水したかどうかということではなく、周辺圃場からの土砂の流入を問題にするべきである。田津地区も、圃場によって状況は様々である。隣接慣行圃場の土が明らかに流入して堆積している場合がある。有機JASとは申告制で成り立っているのだから、JAS取得者とはこういう圃場は申告をするものである。少なくとも私はする。

そして明らかに竹やぶ越しに本流からの泥の流入しか認められない圃場もある。周辺慣行圃場を見ても、トタン板で囲んでいたり草を生やしていたりして、表土が流れ出ていない圃場が圧倒的に多い。これでうちの有機圃場や作物が汚染されたといえるのだろうか。

こういう視点で見ると、今回申告した冠水圃場17haのうち、問題のある圃場は1haのみ。1haのみを申告すべきと考える。

10/15 「太陽大感謝祭」

有機JASのネタはまだ続けるが、今日はくたびれて気が乗らないのでお休み。

昨日は三瓶山西の原へ、「太陽大感謝祭」なるイベントに行ってきた。前々から行こうとは思っていたが、当日は恒例の悩まし。今日からの台風による雨の予報を受けて、本当は行っている場合ではない。しかし天気は最高だし息子と遊びたくてたまらんかったので、早くに切り上げるという前提で、直前になって行くことを決定。・・・職人失格(笑)。

でもやっぱり行って良かった。太陽感謝祭って名前がいいよな。普段から太陽に感謝してる人って少ないだろうからね。みんなで太鼓とか鍋?とか叩くのがメインみたいだけど、遠い昔に音楽からは遠ざかってしまった(先生ごめんなさい)私には、音楽とか太鼓というより、秋の青空の下のあの西の原で息子と遊べるということと、意識の高いたくさんの知り合いに会えるというのが喜び。

そして昨日は会場に着くやいなや、晴れて良かったな~!という想いが押し寄せる。このイベントの企画準備に携わってきた人たちの嬉しそうな顔、顔、顔。彼らが報いられるためにはこの天気に勝るものはなかっただろうから。まさに太陽大感謝祭!

これからさらに盛り上がるという13時過ぎ、帰路に。天気がもう一日続くなら、帰る必要もなかったんだが。因果な商売だね。

帰って暗くなるまで猛烈に作業を進めた。FBで皆の楽しそうな写真をたくさん見たが、その場に居合わせれなかったことに見合うだけの実は取ったぞ、という満足感は得られた。

10/13 川の水は汚いか?

というのを書こうと思うが、時間がない。また明日~。

10/12 騒いでくれてもいい

昨日、冠水がばれるからあまり騒がずに黙っていてほしいと書いた。これは一般論を書いたわけで、この地域でのことは騒いでもらっていいとも思っている。

第一、私も堂々とブログで「畑が浸かった~」などといつも書いている。あんまり書かんほうがいいんじゃないの、という指摘もこれまでにはあったが、2007年のチクリの後注目されるようになった今となっては、ブログで伏せようが伏せまいが「あの規模」をごまかせるものではない。

そしてこそこそ隠していては、この構造を変える働きかけができない。ことの本質は「Q&A25-1項」であって、現行を変えない限り、いつまでも有機JASに組み込まれた農家は浮かばれないし、醜い争いが起こることになる。スケープゴートだろうが何だろうが、私は仕方のないことだろうと観念している。あとは関係者の良識ある人たちが、可能な限りの働きかけをしていくのみ。市も県も動いてくれている。ありがたいことではないか。

にできることで、さっそくやりたいことはある。しかし「のん気に」そんなことをやっている時間が十分にあるわけではない。私の第一義は、作物を育てることであって、これに勝る役割などない。最近時間がかなりこちらの方に割かれていて、作業が大幅に遅れることになっているが、もうすぐ第2の繁忙期、魔の11月がやってくる。それまでにいろいろなことを進めておかねばならない。

10/11 なんと冠水は自己申告

冠水による格下げの理不尽を連日書いているので、ハラハラしている関係者がいるはずだ。というのは、この問題の前提には見逃しがちなとても重要なことがある。それは冠水したかどうかが自己申告だということである。

ここから先は、微妙なことだが堂々と書く。

つまり水に浸かったって申告しなけりゃバレない、ペナルティもなし。実際にそういう農家は多い。申告しないほうが圧倒的に多いと思われる。しかしこれは明らかに悪いことではあるまい。申告して、理不尽な決まりごとのせいで路頭に迷う必要はない。

認定機関も「申告されれば対応するが、されなければ何もしない。」と言っている。まあ、当たり前である。

私だって黙っていたい。しかし周囲が騒ぐ。江の川の氾濫はしょっちゅうなので、黙っていたって、浸かったでしょ?の嵐だ。特に行政の人が多い。事実関係をはっきり知りたいということは分かるが、微妙なことなんだから黙ってくれていればいい。聞かれればごまかすのは怖いものだ。どこに原理主義者が紛れているかわからない。また派閥もある。誰かの息がかかって、この流域の農業者や私のことが嫌いな人もいる。

怖いのは、「ちくり」である。2006年の洪水時には冠水した農業者はみな黙っていた。そしたら2007年になって県内の有名農業者から「ちくり」があったそうだ。(のちに調べてみると、補助金の奪い合いで、この地域に反感を持っていたための行為だったようだ。)そうなると認定機関としては動かなければならないらしい。しかしこの地域の特性を考慮していただいて、2010年の洪水のときと合わせて、国に対抗して決まりを大幅に緩和した対応をしていただいた。(このことには大変感謝をしている。)

こういう成り行きがあるため、洪水になる度に注目が集まる。今回はどうなった?気持ちは分かるが、当事者としては大変困っている。

この夏は島根では全域で豪雨があった。JAS認定者は25社(者)あるが、果たして圃場が冠水などして申告した人はどれだけいるのだろうか。狭い世界だから、いろいろ情報が集まってくる。少なくとも数人の冠水情報は入っている。しかし私はそれをチクろうとは思わないから安心してほしい。姑息なことをする連中と一緒にしてほしくないということもあるし、あまりに理不尽な決まりごとの前にはチクる意義も見いだせない。

自己申告という仕組みである以上、Q&A問25-1の項は、もっと精査し洗練されたものでならなければならない。もともと有機JASとは人間の性善説を前提とした申告性の制度だ。検査だってなんだって、ウソをつけばすむもの。農薬を撒いても撒いてないと言えばすむもの。しかしこれは制度としての限界であり、仕方のないことではある。

だから「正直者がバカを見る」がまかり通る要素は好ましくない。この25-1項は、性善の上にかろうじて成り立つこの制度にあって、極めて異質な箇所である。

10/9 JASの不可解なルール

このたびの洪水を受けてJASで振り回されている件で、今日も朝からデスクワーク。作業をたくさん溜まっているのに、実にしびれる。

JASの摩訶不思議な1項目はこれ。(太字は私)

『1.台風や地震等の広範囲に及ぶ天災であって、河川の氾濫や土砂崩れ等により周辺から土砂が流入したり、冠水した有機圃場については、使用禁止資材の流入の可能性があります。このため、使用禁止資材の有機認定圃場への流入を明確に否定できる場合を除き、被害を受けた時点で作付けられていた作物の当該作期における収穫物については有機の格付をすることはできません。

2.また天災の被害を受けた圃場については、その時点で生産していた作物を収穫又は取り除いた後についても、有機農産物を生産するためには、ある程度の期間、土作りをやり直す必要があります。このため、天災を受けた時点で生産していた作物を収穫又は取り除いた時点(土作りの開始)以降1年以内に収穫された農産物については転換期間中有機農産物とすることとし、それ以降に収穫された農産物については有機農産物として格付することができます。』

「使用禁止資材の流入の可能性があります」って、それは普段からあるだろよ。田んぼの水は普通は川の水だが、上流の農地や家屋から禁止資材は川にたくさん流れ出している。なぜ、普段水路から取水している川の水がOKで、畦を超えてきた水はダメなのだろうか。感覚的にはむしろ洪水の時の方が流量が桁外れに多く、明らかに薄まっていて禁止物質の濃度は薄いと思われるのだが。またドリフトの問題はどうなるのか。空気が運んでくる農薬などに比べて、水が運んでくる物を極度に問題視するのはなぜなのか。

そもそも有機JASには残留農薬の検査などは課せられない。それは禁止物質で汚染されているかどうかという実質の問題ではなくて、汚染されないような行程で栽培されているかどうか、という「栽培方法に対する認定」だからである。であるのに、なぜこのときばかりはこのことを問題視するのだろうか。

さらに、例えば鶏糞をぶち込んで育てられた「有機野菜」と、うちのように江の川の水が流れ込んできたけれど肥料を一切使わずに育てた「有機から外された野菜」とでは、どちらが健康と環境にいいだろうか。というようなことも考えると、あまりにバカバカしくはないか。

「明確に否定できる場合」とはどんな場合か。同じようにJASに振り回されている同業者さんが問い合わせているそうだが、それに対しての回答はないらしい。

「土作りをやり直す必要があります。」この表現には笑ってしまう。ここでいう土作りとはどのようなことを想定しているのだろうか。流れからは、使用禁止物質が畑から抜く、ということのように受け取れるが、これもそういう物質が問題になるくらい入り込んだという前提であるだろう。

「作物を収穫又は取り除いた時点(土作りの開始)」というのも意味が分からない。作物を根ごとすべてを取り除くというなら、汚れたものを取り除くという意味合いで百歩譲って解釈できないこともないが、(稲のように)実だけをちょいちょい収穫して藁も根っこもみんな田んぼに残ってい状態で土づくりの開始と言われても解せるものではない。

また「1年」の根拠は何なのか。何事もどこかに線引きは必要だろうが、現状をみることもなく一律に決めてしまうのは明らかに手抜きとしかいいようがない。

細かく見れば指摘したいことはまだまだあるのだが、明らかに不思議な条項である。この不思議さに振り回される人はたまったものではない。うちはまだマシなほうだが、近隣の農業会社らは死活問題である。

この条項はあまり練られていないのではないか。冒頭で「土砂の流入」と「冠水」をさらりと同じように扱うことがまず不思議である。うちの畑をみれば、これらは別物である。このたびも明らかに隣接慣行圃場から土が入り込んで堆積した圃場がある。そういう圃場はその土を取り除くわけには行かない以上、まあ「土づくりからやり直す」ということでも仕方がないかなと思う。

しかし大半はそうでない。川の濁りの正体、つまり山の腐葉土の微細粒子のみが薄っすらと数ミリとか1センチとか積もる程度である。せっかく冠水の状況調査のために検査員が派遣されてくるのだから、そういう状況をを調べた上でJASの取り消しを検討されるべきではないのか。(現在実施されている調査とは電話で伝えても済む内容のものである。)私が思うに、使用禁止物質を含む隣接慣行圃場などの土が明らかに流入した圃場を格下げ処置とし、そうでない圃場は、検査員が状況を調査した上で持ち帰り判定を下す、という解釈にするのが真っ当ではないか。一律に川の水が入ったから、という理由でJASが取り消されるのは、何度でも繰り返すが、意味が分からない。

2010年の洪水後に、別件で中四国農政局長がうちの圃場に来られる機会があった。不思議さを訴えたところ、上流でどんな設備や工場が浸かっているかわからない、と言われた。そんな状況は行政が調べれば簡単にわかる。そういう参考情報を基に、前段落で言った場合の判断をする。

(もっとも、どこかの町工場が浸水していたとしても、あの江の川が川幅500mになって、毎秒何千トンという流れの水量の中で、普段の川より禁止物質として多く含まれているという可能性は果たしてあるのだろうかという気がするが。)

我々の人生をも左右しかねないこの決まりは、いったい何を守っているのか。海や湖沼の魚介類のことを考えても、河川沿いこそ有機農業が普及すべきと思うし、今後ゲリラ豪雨などで洪水の災害が増えると言われている昨今である。国には現実的な対応を求めたい。

10/5 長い視野での貢献を

一昨日は自然栽培に関係するお客さん4名。夕食は「風のえんがわ」、夜は「つゆの宿」でかなり飲んでしまった。自然栽培駆け出しの私としては、日々の管理は不安の連続である。それだけにこういう仲間の存在はとてもありがたいし、刺激になる。いつものノリで大いに楽しんでしまった。失礼もあったかもしれないが、みなさん許してくれるだろう(笑)。

朝お見送りをして、その余韻が去らぬまま、昨日はその後に立て続けに微妙な問題が降って湧き、その対応に追われた。いろんな判断を迫られて、全力で対応していたらよっぽどくたびれてしまった。微妙なことがらというのは、だいたい誰かに迷惑をかけるか、誰かに余分な判断を強いるということでもある。全力の対応というのはそこを最小限にするためにやることに他ならないが、大概の場合は結局うまくいかずに、ひたすら申し訳ないという後ろ向きの気持ちが残るばかり。

今かける迷惑は、長い営みのうちには帳消しにして余りある貢献できっと償うのだ、と改めて誓っている。そのためにも私がやるべきことは、じっと地を這うこと。今日はそういう誓いを胸に、ひたすら溜まりに溜まった地味なデスクワークにいそしんでいる。

10/4 堤防はできるのか

昨日、堤防ができると「はんだ牛蒡」が消滅する、と書いた。

堤防は江の川の上流から順次作られ、田津地区の手前まで出来ている。順番ではいよいよということになり、昨年くらいから測量屋がうろうろしている。果たして堤防は計画・着工されるのか。いろんな人に聞いてみるが、それぞれ違ったことを言われる。

時代が違う、堤防で守るべきものがない、田津地区の江の川の構造では堤防で洪水は防げない、などの理由で堤防は計画されないだろうという人が圧倒的に多い。以前に、県議会御一行様の圃場視察に帯同していた市長もそんなことを言っておられた。そうあってほしいし、そういう前提でうちは営農をしている。

もし堤防が出来たら、うちは田津地区から撤退するしかない。ゴボウが育つ圃場はのきなみ堤防で潰される。残る圃場ではゴボウが育ちにくい。しかも面積も大幅に減る。この地で営農する理由がなくなる。また地元の人の耕作も10年後はともかく20年後には皆無に近くなるだろう。桑のお茶を生産する会社だって、圃場が低いせいで谷川からの内水によって冠水はするわけだから、JASが取り消されるルールでは堤防のメリットはない。

ということは、堤防が出来なければ少なくとも私や、後に続く若者らが耕作し続ける可能性はあるが、堤防が出来たら耕作者はほとんどいなくなってしまうということだ。

住宅はいくらか恩恵はある。真っ先に浸かるのは私の従兄弟の家だが、14年前には床上浸水している。もし堤防があったら浸からなかったかもしれない。しかしこのとき浸かったのは他に何軒あっただろうか。堤防を作らなくても他の手段があるだろう。

だから堤防を作るとすれば、何のために作るか、という問題になる。固定資産税のことはあるが、田津地区の皆さんはどう考えるのだろう。

10/3 田津地区の縮小

稲刈りが終わり、今度は畑の管理に忙殺。田植え、稲刈りが終われば忙しくなるという恒例。そうやって追われる日々だが、一方で大きな挫折感にさいなまれている。

このたびの江の川の洪水で田津地区の畑が冠水し、JAS制度の不可解なルールのせいで、1年間の格下げ(JAS扱いが出来なくなること)が決まった。これまでにもあったことだが、融通を認めずに今後はルールを忠実に守るという通告。

表示についていえば、JASマークのそばに「転換期間中」という言葉を入れれば済むことだからこれまで通りの販路で特に問題はない。しかし、加工原料の大豆や大麦はそうはいかない。流通の中では「転換期間中」というのはノンJASに等しい。つまり販売先が大きく狭まることになるのだ。

私は田津地区の農地利用について「洪水との共存」モデルの確立が一生のテーマだと公言している。その一心でこの10年、作物、出荷先、栽培方法、経営形態のそれぞれに変遷を重ねてやってきた。仮説を立て、実践し、洪水ですべてを流される、を繰り返す中で、「石油資源が続く限りは、こういう作物でこういう作型でやれば洪水がたびたび来ても経営が成り立って、この田津地区の奇跡の土を多くの人の食卓に届けることができる。」というモデルを作りたいと念じてやってきた。そしてこの度3度目の洗礼を受けたわけだが、ここでJAS制度の摩訶不思議な1項目が立ちはだかる。刀折れ矢尽きた心境だ。

具体的には、田津地区の畑のかなりのものを地主に返すということ。作付けできる作物がないのだから仕方がない。田津地区では10haも借りているが、現実的に作付けできるものはゴボウだけだから、輪作するにしたって、「今の私の力量」では半分の5haもあれば十分である。

と口で言うは易し。これまでにそれぞれの圃場に投資してきた手間と、想い。未来にかけた夢。それらを思うと断腸である。悔しくて悔しくてならない。歯を食いしばって奥歯を噛み砕きたいほど。

しかし解釈によっては洪水との共存のための農地の縮小。悲観することはない。今後は順次返していって同じ原に増えていく放棄地(どうせ誰も借りっこない)とどう向き合っていくかだ。堤防が築かれれば「はんだ牛蒡」が消滅するという、いつかやってくる問題もある。いろいろあって簡単ではないが、気を取り直して、このあたりを意識してやっていかなければならない。

10/1 「腐る経済」

またもや、すがすがしい本を読み終えた。

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(渡邊至著、講談社)

著者は親しくさせてもらっている岡山のパン屋「タルマーリー」の主じである。

以前も書いたが、筆者とは歳が近く、いろいろなところが似ていてとても共感できる。我々の人生を女房の言葉を借りて表すと、「努力と挫折の人生」。

この本にはそういうところも含めていろいろなエッセンスがありそれぞれに共感を得るが、私にとって圧巻は204ページ。アイデア勝負にうつつを抜かす若者たちにぜひ読んでほしいところだ。

人と違うことをしたい、目立って認められたい、そういう願望は以前の私にもあった。しかしそれではいつか行き詰る。ほとんどの場合は行き詰る。筆者の言葉を借りれば、自分が何者でもないからだ。

自惚れを言えば、もちろん著者ほどではないが、私は今、人と違うことをして、目立って、認められている。以前の私が見たら、なんと素晴らしい人生かと思うかもしれない。しかしこうなったのは、ある時から筆者と同じような境地になったからである。反対にそういう願望に興味がなくなったからである。そんなことより、自分がしっかり何者かになってみたいと思ったからである。そしてひたすら地味な努力を続けて地を這い、ふと首を上げてみたら、多くの人が拍手喝采をしてくれていたのだ。

そういうもなのだ。

そして「そういうもの」の先には、今後も特に目立って認められることに興味がない、というありがたい境地がある。私の場合、いくら拍手喝采されたところで自然栽培を極めたわけでもないし、洪水との共存ができたわけでもない。周囲の人は何もわかっていない。分かっていない人たちの評価だから自惚れようがない。

ただ、親しい人が、反田、反田と言ってくれる、このことは嬉しい。人は何のために生きているかといえば、人と出会い、時間を共有するためということだろうから、このことだけは、俺頑張ったなあ、と言っておきたい。

実は今、私は大きな挫折の前にいる。そのことは明日にでも触れたいが、改めて努力をするのみだと言い聞かせるいいきっかけに、この本はなった。

とっつきやすいのはこちらから。
『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』刊行記念インタビュー①
『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』刊行記念インタビュー②
『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』刊行記念インタビュー③

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