はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2013年11月の記事

11/30 「今」「金がある」人が偉い

この世は何といっても商業主義、拝金主義だ。しかも「今」の金の回り方が最優先。「今」「金がある」のが偉い。国家100年の計という言葉があるが、本当にこんなことを考えている人は変人扱いで誰にも相手にされないのがオチ。

100年200年後の日本人が歴史を振り返った時に、この50年でしてきたことが一番悪く、日本人が狂っていた時代ということになるだろう。団塊の世代は犯罪者扱いされる可能性だってあるという人もいる。取り返しがつかなくなったことを山のように抱え、後世の人が何を思うかはわからない。

後世の人とは別世界の人ではない。あなたの血を引いた「家族」だ。家族すらしらない、というのであれば言う甲斐もないが・・。

金や権力のある狂人が、一時の迷いでおかしなことをするのはある程度は仕方がない。人間だもの。だからせめて、「取り返しのつかないこと」だけはさせてはならない。それならどうにかなる。後で引き返すことができる。

そういうスタンスで行きたい。

11/29 秋まき栽培が可能なのは

昨日はついに雪が降った。といっても当地ではパラパラで、植物の葉っぱや枯葉の上にわずかに積もる程度(地面や道路は瞬間で融ける)。今日も続いている。山手の方ではかなり積もっているらしい。今年は冬の到来が早い。

この冬の到来との競争で、畑作農家はこの時期が忙しい。よく「今頃は暇でしょ。」なんて呑気に聞かれることが多いが、おそらく10月には大方ケリがつく稲作のイメージなのだと思う。日本海側というのは冬は畑作に適さないので、農業といえば稲作中心。だからこういう誤解が生まれるのだろう。

今のうちの経営を支える秋まきゴボウ栽培だが、もう少し海岸に近ければ風が強く、もう少し山手に近ければ雪が多いし気温が低い。どちらであっても大変な困難を極めるか栽培自体が無理な可能性が高い。当地は、海過ぎず山過ぎず。田津地区が秋まき栽培のわずかな可能帯に位置していることに、運のよさを思わずにはいられない。

うちの11月繁忙は、あとトンネルの設置を5棟残すのみである。ここ数日の悪天をついて、あとはビニールをかけて押えるだけというところまでできている。多くの場合は種を蒔いたら雨に当てずにビニールまでやってしまうのが理想なのだが、ここは雨の前に種を蒔いて、しっかり雨に当てるようにした。畑の環境から管理方法も微妙に変えることになる。

これを書く13時。氷雨が降り続いているが、今日の夕方からはビニールをかける作業を始め、明日の朝早い時間には残る5棟全部を完成させるつもりでいる。降った直後には普通は無理だが、ここはいける。そして雨も止み、風も止むと踏んでいる。空模様を見る限りはきわめて怪しいが、おそらくそうなる。今年も11月中にぎりぎり終わらせることができる。

11/28 田津地区の死

寒いということもある。先週の疲れが出ているということもある。大豆がまだ手つかずだということもある。JASの結果も出ていない。ここ数日気分が重いのだが、このような原因が重なっているからだろう。そして今一番の憂鬱ごと。田津の原を測量士がうろうろしていること。作業をしていると、1日に3回くらい挨拶をする。私もかつては測量屋。トランシットとカケヤを常に車に積み込み、良くわからないが1万箇所くらいは工事丁張をかけたんじゃないか。

そういうことを懐かしんでいる雰囲気にならないのは、この測量が築堤関係の測量だからだ。設計のための測量らしいが、その結果を待たずとも、堤防ができることで田津の農地の大半がなくなってしまうことは近隣の集落を見れば明らかである。全国で最上級の評価をいただいている、うちのゴボウであるが、これらが育つ畑は川側ばかりなので、すべてが堤防に埋まってしまうことになる。ゴボウが作れない以上、うちは田津から撤退するしかない。

かつてのゴボウの産地であった桜江町(現在は江津市桜江町)だが、今では斜陽し、生産量の7割は私が田津地区で栽培している。深く水はけのよい耕土は、肥料など与えずとも自然の滋味深い最高の野菜を育ててくれる。この地で無肥料で育て続けた野菜は、いわゆる巷のどんな「健康食品」にも勝る真の健康食材であろう。その中でゴボウは群を抜く。そのゴボウもゴボウの歴史も、終止符を打つことになる。

堤防ができて、床上浸水の不安から解放される人たちの気持ちはよくわかる。私も子供のころからその辛い光景を見てきたから。しかしだからといって田津の現状を鑑みれば単純に堤防が是であることにはなるまい。

30年後、50年後の堤防ができた田津地区の風景を想像する。守るはずだった家屋のほとんどには人は住んでおらず、集落の自治機能が怪しい。堤防の内側で生き残った畑には、近くの桑のお茶を生産する会社が存続していれば桑が植わっているかもしれない。巨大な堤防の塊だけが鎮座し、田津集落とは、田津の地とは、ほとんど経済効果も生まない「ただの土地」、しかも「再生不能な土地」になってしまう。

我が故郷は、田津地区ばかりでなく、30年50年100年先にはほとんど人が住んでいないことは明らかである。特に江川沿いの川越地区(田津は川越地区の中にある一集落)。公共サービスだって提供できるとは思えない。住民は強制移住という話も冗談ではなかろう。

こういう地区が最後に残せる価値があるとすれば、それは農地である。田津から住民がほとんど消えても、農地さえあれば、この地は輝き続けることができる。ご先祖様からの土地を生かし続けることができる。仮に遊休化したとしても、時代の都合では後世の人が再び畑に戻すことだってできる。

しかし堤防ができればどうしようもない。この地は永久に堤防に占められることになり、未来永劫「ただの土地」になってしまうのだ。

田津の現状に照らし合わせれば、家屋を守る方法は堤防以外にもあるだろう。今の世帯数。10年後、20年後、30年後・・・の推定世帯数。そういうことを考えればどうにでもなるんじゃないのか。

堤防ができると決まったわけではなかろうが、もしものことを考えると、あまりにも悲しく、情けなくなる。

11/27 田津駅からの眺め

トンネルが残り5棟。どうせ風が強いからとスローペースで進めているが、これ以上遅くては管理の手間や収量に響く。隙間をぬって1日でも早く完成させたいところ。

今日は思うところあって、JR田津駅に立ち寄ってみた。

駅からの眺め。畑からはずいぶんと高いところにある。

中央の赤いのはうちのトラクター

上のは、駅舎に張ってある1972年の洪水を示す表示。沖の竹藪がすっかり冠水するくらいの規模。田津近辺の地形のいたずらがある。そのいたずらのおかげで、どんな野菜でも自然の滋味溢れるものを作ることができる。肥料や農薬による大地汚染が進むこの国において、人の健康のための唯一頼みの綱、とまでは言わないが、貴重な土地であることは確かであろう。

ところで、駅の写真のJA三江線。私は早く廃線になることを願っている。沿線住民はかなりの人がそう思っている。これさえなくなってくれれば・・、という多くの声を今までには良く聞いた。 ただ「みんなで盛り上げよう!」のムードの中で声に出して言いにくいこともある。私もそう。だが今は言う。三江線はない方がいい。おりしも夏の豪雨災害以来不通になっていて、復旧のめどは立っていない。この際、早く廃線を決めてほしいものだ。

11/25 充実の駆け込み作業

作業三昧の4日間だった。

昨日は麦の播種もしたが、最後の20aを残して種が切れた。車で往復25分かけて倉庫に取りにいけばいいのだが、ゴボウトンネルの強風対策も急務。それが終わったのが20時半。日の短いこの時期はもはや深夜の気分で、もういいやと諦めて帰宅。

そして朝4時、風は吹き荒れているが、降っているはずの雨が降っていない。これは残りの麦を蒔かんとならんでしょ、ということで5時過ぎには家を出て、終わったとたんに雨。なんともいえない達成感。その最後に蒔いたのは「たかが」土作り用のエン麦だったのだが、蒔けるものは貪欲に蒔く。「ちゃんとやる」ことを言い聞かせている。

おかげで秋まきゴボウトンネルの26棟の設置(残り5棟)、麦(大麦、ライ麦、エン麦)の播種2.5haを終わらせることができた。残り5棟があるが、やれることはやりきった。しばらく天気に閉ざされる前だけに、ひとまずホッとしている。

毎年この11月繁忙には手を焼いている。いい加減に工夫せいということだが、諸事情によりこの工夫が実っていない。来年以降のことを考えるならやっている真っ最中の今をおいて他にない。これを書く、まだ朝、今日はさすがに骨休みの日に当てて、そういうことを考えて過ごしたい。

もちろん残り5棟も油断するべからず。

11/23 進んでいる

風と夜をぬって連日やってるぜい。自画自賛。もう眠い・・。

11/22 あらためてKY

風が止んだ昨日の夕方から怒涛のようにトンネルのビニール被覆を進める。ビニールをかけて、裾と小口を土で押さえて、マイカ線で補強。単純作業で面白くない上に加減が難しいという作業。

昨日の夕方に7棟を終わらせ、今朝も無風。残りの7棟分を調子よく始めたものの、落ちがついた。あと10分で裾を押さえ終わるというときに突然風が吹き出した。一部でビニールが舞い上がっている。3秒で、押し切ることを決め、目をカッと開いて体内のエネルギーを搾り出し強引に終わらせた。だが甲斐なく、無事そうなところも全体的に緩みぎみに。一冬にわたる強度は明らかに落ちたと思われる。

しかし得ることもあって、最近悩んでいた自分の弱点が見えたような気がする。ある時期の自分に戻ればいいのだ。簡単なこと。KYだ。偉そうなことを言って、大げさに悩んだりして、慣れから基本を見失っていただけのことだ。ただの油断じゃないか。情けない。

11/21 ギロチンを覚悟

来週の天気予報を見て、血の気が引いた。

ゴボウに加え、委託先の都合で来週からの予定の大豆の収穫も危機。下手をすると鞘の中で腐るという一昨年の二の舞。祈るような気持ち。

ゴボウは地面の湿り気から言えばいまいち面白くないのだが、いよいよ一部で発芽の兆候が出だしたし、今日からトンネルビニールをかけることに。ただ風がある。そよ風でもできない。また1人でもできない(できないことはないが不都合が圧倒的に大きい。)夕方には収まることを期待して段取りを考えている。

悪天で再び閉ざされる週明けまでにどこまで進められるか。麦の播種も待ったなしだし、風の隙間を効率よくぬって、今晩からは5時~20時体制にせざる得ない。しばらく辛抱だが、辛抱してすむかどうか。

11/20 失敗を繰り返さないために

これを書くお昼時、ようやく青空が散見されるようになってきた。一昨日からの時間は、降り続く雨を眺めながらそんなに降らないでくれと祈りながらジッと耐えた2日間。

悔やんでいることは、秋まきゴボウの畑の管理の失敗と、未だに麦を蒔いていないこと。それぞれこうなってしまった原因がちょっとしたことなので、後悔が凄まじい。

朝のひと時、やむ気配のない強い雨音を聞きながら、自宅の暗い部屋でストーブの前に座り込み、じっと後悔を思う。自分はなぜ管理の失敗を繰り返すのか。どうやったら改善できるのか。

研修生が来ているため仕方なく、気持ちのあり方などを偉そうに話す機会が多い。昨日も除草作業にまつわる話。「上農は草を見ずして草を取る。」という言い回し。熟練は草が生えるか生えないかのうちに先手を取って楽に管理をしてしまう、という意味だが、もう嫌というほど意味が分かっていながら私の実践率は7割程度ではないか。残りの3割はひどい目に遭っている。分かっていながらなぜそうなるのか。なぜできないのか。こういうことがあまりに多い。

悩むばかりで改善が見られずに死んでいくのは、どうも惜しい。ここらで少し殻を破りたい。人格者のもとで修業をしたいと思うが、今さら現実的ではない。お茶や花の稽古など外からの刺激にヒントを求めるのも一つの方法か。そんなことをウジウジと考える。

そしてウジウジしていたらふと頭に浮かんだことで、今朝出した結論。まずは日々の生活を意識して丁寧にしてみる。農作業的には今のままの自分でやる。変えない。ただ農作業以外の生活をもっと丁寧にしてみる。車の乗り降りの動作や、ご飯の食べかた、ケツの拭き方・・、思いつくものをとにかく可能な限り丁寧にしてみる。それによってどうなるのか、ほとんど直感的に頭に浮かんだことなので、そんなことは分からない。分からないがまずはやってみる。

11/19 くたびれから秋まきを失敗

雨が降り続いている。秋まきゴボウのトンネルビニールが張れないまま、ずいぶん地面がたたかれてしまった。この圃場は土がまだまだできていない。あまりたたかれると土がべったりとしてしまう。これでは冬にやる草削り(草取りマラソン)が思いやられる。

毎年反省をしている中に、播種をするときの地面の水分状態ということがある。これは圃場によっても違うし、トンネルに被せるビニールの状態(使い回し)によっても違う。天気や他の作業のせいで厳密に理想の管理はできないが、できる範囲でやるだけでもゴボウや雑草の生育がずいぶん変わって効果がある。

といっておきながら、心の未熟さのせいで今年はそれができなかった。タイミングに追われてバタバタ動くより、端から順番に作業を進めていくほうが気分が楽。太陽熱マルチの失敗の落とし前をつけることでくたびれてしまって、天気が悪いというシナリオを想定せず、ついついタイミングを軽視してしまったのだ。

くたびれたのは「気分」。気分がくたびれただけで慎重さを失った。だからまだまだなんだ。

20代のころに悟ったことで、体の疲れの克服には限界があるが、気分の疲れの克服は無限大ということがある。年を重ねても自分次第でどうにでもなる。ずいぶん鍛錬していると自分では思っていても、こういうところでボロが出る。今度こそは・・・。

という「百姓の来年」ネタ。

11/18 良い農産物を育てるために

久しぶりに事務所仕事。ネット上でうちの農産物の評価に対するコメントを返していて、自分が何気に書いたフレーズに改めてハッとした。「良い農産物を育てるためには自分もしっかり育たなければならない。」しばらく動けなくなった。いつものことなんだけどね(笑)。

出荷する農産物の品質に対して、自分の腕の見せ所がない、うちのような栽培をしていると、今田畑に植わっている作物がいったいどんな品質に育っているのかということにいつも不安を感じて日々を過ごすことになる。収穫したものは、美味いのか不味いのか。もっとも美味い野菜を作ろうなどとはまったく考えていなくて、ただただ自然に即したものを育てたい、その結果は美味いかもしれないし不味いかもしれない、ということだと割り切っている。しかしじゃあ不味かったなら、それは仕方がないことなんだけど、販売に苦労する。これまでにそういう経験もしてきた。売るときに、「ありがとう!」ではなくて、「ゴメンね・・」と言いたくなる。これでは商売はつまらない。

では美味い野菜を育てるために私は何をすればいいか。直接的には土作りということになる。経営を単年で見るのではなく、長い目で見て土づくりをする。土づくりと言っても何をすればいいのかが分からないので、ひたすら土の遷移(進化)の邪魔をしないと思われる所作を「考えて」「実践する」ことになる。

簡単にいうとこういうことだが、このことが難しい。説明するのも難しい。「考えて」「実践」なんだが、それをやるのは自分。自分はあくまで人間社会の中を生きているので、人間社会の常識の範囲でそれらを行う必要がある。例えば周囲の人を無視して自分勝手に田畑に没頭できればもう少し上手く立ち回れると考えるのは無意味。

しかもちゃんとやる必要がある。ちゃんとやるということ。半年前からのキーワード。

そしてこれまで散々痛い目に遭ってきた上で言えることは、そういうことができるようになるには、自分がよっぽど「しっかり」していなければならないということ。現実社会の中で未熟であっては、いい考えも実践も、ちゃんとやるということもできない。良い農産物を育てるためには、自分もしっかり育たなければならないということだ。

こういうと、何だ精神論か、で片付けたくなる人は多いだろう。そう思う人はそう思えばいい。私が自分の人生の中で、つくづくこういうことだと思い知った、と言っているに過ぎないのだから。

幸い私の目の前には、自分を鍛えるにはもってこいという課題は少なくない。出来るかできないかは知ったことではなくて、地味に一つずつ望んで努力してみたい。

11/17 嬉しくも残念な天気

早朝から、雨が降るまでの勝負!と勇んで畑へ。まあ2時間もすれば降るだろうと見当。それで頑張って全力で動いていたら、これが意外と降りそうで降らない。青空も見えてくる始末。少しへばってきたし、腹も減ってしまった。しかしここまできたらキリのいいところまでやりたい!とやめるわけにもいかず。そしたら昼前にはまさかのノルマ達成。

息子が温泉に行きたがっているなんて女房が言いに来るし、どうせ午後は降るだろう、休もうか、などと飯を食いに自宅に帰ってパソコンを見ると、あれあれ、午後も案外降りそうにない。で今これを書いているんだけど、午後は遅れに遅れている麦の播種をやるつもり。

内心は、今日は休めるかな~、という期待があっただけに、天気がもっていることは嬉しくもあるし悲しくもある。でも今は悠長なことは言っていられない。やれるときは、やる。ただそれだけ。繁忙期とはそんなものだ。

温泉だが、息子が夕方まで我慢してくれたら、私も一緒に行こうと話している。

11/16 天気が続かんで困った

昨日の未明はまさかの降雨量。この時期あれは痛い。おかげで畑が乾かん。今日は天気だけ見たら絶好のトンネルビニール被服日和だったのに、下(地面)があれじゃあね。

午前中は保育所の生活発表会だったが見に行けず。毎年必ず顔を出していたが、今年は無理。ビニール張れるよなーと気持ちを引きずりながら、もう一枚の畑のゴボウの作付け準備をじっと進める。

午後は取材。2時間弱程度なのだが、こういう日は落ち着かんね。先日の体調不良のせいで延期してもらっていた手前もあって、恐縮気分。(そのことを改めてお詫びするのを忘れてしまった・・。あちゃ。)

明日から雨マークが3日連続。焦る。ビニール被服の前に発芽するとマズイ。種を蒔いて1週間が経つので気が気でならず、このことだけで生きた心地がせずにいる。

11/15 不作の理由

今年の不作の原因を、今年が明らかに天候不順だったからといってそのせいにしているわけには行かない。そこが専業と兼業の違いかもしれない。原因とは、特に農業の場合、一つや二つで簡単に説明できるものではなくいろいろな要素が絡み合っている。うちの場合、その要素の中の大きなものに自然栽培を始めたということがある。このことは本当に大きい。

2009年から自然栽培を始めて、今はまだ過去の清算をしている段階。つまりこれまでに土に投入した肥料で育っていて、今は肥料などのそれらを土から抜いているところ。抜け具合は当然畑によって差があって、かなり抜けきって安定期に入ったと思われるごく一部の圃場もあれば、まだまだ残存肥料分の多いと思われる畑もある。しかし一番多いと感ずるのは、ちょっとしんどくなってきた畑。デトックスの真っ最中で、それによってもたらされる副作用というか、好転反応というか。

そういう畑の作物は、天候や環境の変化に弱い気がしている。今年の不作の原因を「強いて言うなら」こんなところではないか。

自然栽培に転換する場合は、一気にやらずに、まずは農場の一角からやれというアドバイスを痛感する。でないと経営が持たないからだ。改めて実感するが、農薬や化学肥料の威力は凄い。周囲の慣行栽培のゴボウらはこんな年でもそこそこ立派に育っている。

しかし一気に転換するのなというのは、元々の農家にはそのまま当てはまるが、我々のような新規就農者には意外とハードルが高い。私は今の農業を始めて化学物質を使ったことがないが、それはそういう栽培をしたかったということが大きいのだが、そうしないと売り先が見つからないという事情もあった。新規で始めて慣行農法で育てたものを売って経営を成り立たせるというのは、そう簡単なことではない。

だから販売のことを考えて有機JASを取得し、有機肥料を使って栽培をしてきた。だから先の一角からやるというアドバイスに従えば、従来の有機栽培をほとんど残して一部のみ自然栽培に転換するということになるが、ゴボウ栽培については従来の有機栽培で出来(収量および品質の低下)に行き詰まりを感じていたのだから、それを残すのか、いっそのこと転換するのか、どっちもどっちという判断が働く。ここのところがとても難しい。

何にしても、経営が成り立つかどうかの境目に常に隣りあわせなわけだから、私の8割はここに投入ているつもり。今さら化学物質を使って経営の一方を支えるということは販売の問題から難しいことなので、従来の有機栽培の範囲で対策を立てなければならないが、いずれは全面積で自然栽培に転換したいと考えているので、土から抜けにくい有機肥料や堆肥を入れるという管理は慎重を要す。

今年のような経営が続けば明らかに立ち行かなくなる。目の前の現実と中長期的な目標。自分の本分をわきまえ、常に基本に立ち返り、考え抜くしかない。

11/13 今年は経営が散々

今年の経営はかなり辛いことになっている。就農したての2~3年を除くと、過去最悪の状態である。2011年も最後に大豆でコケて散々なことになったが、今年はそれを下回る感じ。今月収穫する大豆がもしも悪かったら、よっぽど目が当てられないというか、総売り上げは昨年の半分以下になるかもしれず、他の業界なら年によって半分になったりするなどとは常識では考えられないことだが、うちのような栽培方法に特化した経営ではこういうことがあり得るということか。

作物別では、経営を支える主力の秋まきゴボウが、例年の6割。これが痛すぎた。不作の原因は不明。私としては自然栽培に適した土に向かう過程での「発作」だと考えているが、どうか。

春まきゴボウは、洪水の被害もあったが洪水の前から状態は悪かった。これは作秋の前作の緑肥の管理がまずかったからではないか。

お米は、多くを自然栽培に転換した2010年以来のひどい水準に比べると上向きはしたが、それ以前の有機肥料を使用していたころと比べると相変わらず採算的に微妙なところ。

大麦は、収量は増えたが、規模がそう大きくないためあまり影響に入らない。

サトイモは、まだ収穫できずにいるが、後半に生育が急落して早々と地上部が枯れてしまった。ためしに一部を掘ってみるが、案の定、掘るのが億劫になるほどだ。

ニンジンは、8~9月の災害の影響で種まきが遅くなったため、仮に3月まで引っ張ったとしても一般に流通できる太さにはならないと思われる。

大豆は、今年は種まきの遅れが生育に響いた上に、災害。

というように、ほとんど全ての作物で減収か、壊滅的状況。野菜は多くの人たちから期待されていただけに、それに応えることができず苦しい限り。取引先から呆れられることは避けられないだろう。いろいろ考えると、もう泣きたい気分。

しかし自然栽培の看板は下ろさん。きっとよくなっていくことを信じて。

続く。

11/12 何のために研修に来るのか(2)

むしろ今日が本題。

非力な私ではあるが、研修に来た子に少しでも足しになるように可能な限りのことを教えることになる。しかしこのときに、多くの場合は驚くことになる。なんと教えると嫌がる子が多いのだ。もちろん程度の差はあるが。

まさに驚愕の現実。研修に来ておきながら、教えられることを嫌がる!

私は人間観察が趣味(性悪だね・笑)なので自然とその理由を考えることになるが、共通点は、さあどうか、教えられる=バカにされたと考える、という不思議な思考回路というのは、ありそう。

あとは許容のなさ。・・・う~ん、いろいろ考えるが、あとは人それぞれ。

まあ偉そうに言ったところで、自分を顧みれば心当たりはたくさんあるから、こういうことっていくらかは仕方のない経るべき過程なんだろうけどね。それが人生をかけたこの場だからびっくりするんだよな。

時間があるときに私の場合がどうだったかを紹介してみたいが、今は11月繁忙期の真っ盛り。作業が大ごとなんよ。

11/11 何のために研修に来るのか

今月から研修生が来ている。また別に、先々の研修の相談をしたいとの連絡も入っている。これまでも含めて研修に来る人の共通点は、新規で農業経営をしたいと思っていること。時間は限られている。研修に臨む自分の目的を明確にし、初心を忘れずに頑張ってもらいたいものだ。

先週末にお世話になっている農業者と話したことなのだが、その人の会社には研修生が常に来ているのだが、その多くにため息が出るそうだ。一言で言えば、「こいつは何しに来たんだろう。」ということらしい。このフレーズを聞いておかしかった。私もまったく同様のフレーズを散々つぶやいてきたからだ。どこもこんな感じなのだろうか。

そういう子には結果的に共通点があって、変化がないということ。来たときと変わらないのだ。いや少しは変わる、と言われても、そりゃあ誰だって少しは変わる。ただ1が100に変わらないとダメなところを、3とか5までにしか変わらない。これでは変わったうちには入らない。

何について変わればいいのかというのは人それぞれだが、誰にでも共通することで分かりやすいのが、知識を得るとこととか、人間的にタフになることとかだろう。農業経営について必要な知識は山のようにあって、それらを知っていかなければならない。100のうちいきなり全部と言わなくても、20や30はすぐさま知らなければならない。3とか5で止まっている場合ではないのだ。また経営者になるならタフにならないとダメ。いちいちウジウジしている弱っちさでは無理。最後には上司が尻拭いをしてくれるという世界とは違うのだ。

そういう当たり前のことをすっかり忘れて、偉そうにしてみたり、腹を立ててみたり、落ち込んでみたり。いったい何をしに来たのか(笑)。

なぜこんなことになるのか。私が見るに、大事なことが100あることが想像できない。きっと10くらいしかないと思っている。それなら3とか5でまずは十分、となっている。ひどい場合は自分には10がすでに備わっていると勘違いをしている。だったら初めから研修に来なければいい。

でも本当は、物事とはそういうものだろうが、必要なことというのは実は100どころか1000くらいもあって、その答えを求めて今の私も努力している。世の中の経営者で、とりあえずは何とかやっている人というのはそういう努力をしている。だから正直なところ、私には3とか5で止まってしまう「経営希望者」がもう別の次元の生き物に見えてしまう。

まずは必要なことが100はあるということを想像できるようになってほしい。非力な私が偉そうに研修生を受け入れたところで、実は伝えられることといったらそんなことだけ。しかし私が非力なゆえに、「親方は大したことがない」という勘違いを逆にさせることとなる。私は大したことがないでも全く構わないのだが、そう思った当人は終わってしまう。このことが厄介である

11/8 ちょっとマズイよ

いつのまにやら今月も8日。11月繁忙期は、太陽熱マルチ大失敗の落とし前によって悲惨な結末の兆候が見え始めている。

こんなときに体調不良。そろそろ夕方はライトをつけてやろうかと考えていたのに困ったもんだ。

とにかく秋まきトンネルゴボウの準備と、土作の麦系の播種だけは無事に進めたい。理想はどちらとも20日には終えることだが、すでに不可能。あとはどれだけマシにするかという問題。天気しだいでは土日はないぞ。難儀で幸せな人生だね(笑)。

まずは体を治そう。

11/7 今の幸せ

今が幸せなどと書いたが、幸せの尺度は人それぞれだ。私の場合、好きな農業で生計を(なんとか)立てていて、家族がいて、みんな元気で、というのが何よりも大きくて、また「衣・食・住」の衣はよくわからないんだけど食と住はとても贅沢な環境にいることも大きい。もちろん贅沢といってもお金に換算したらナケナシのものにしかならないのだが、贅沢ってそういうもんじゃないということをもう知っちゃってるからね。

でも私の日々に密着したらたぶんびっくりするだろうけど、辛いことの連続よ。でも、

瞬間は苦しいことばかり・・。
今日は辛かった・・。
今週は大変だった・・。
今月はなんか楽しかった・・。
今年は幸せだった・・。
この人生はやめられない・・!

となって結局、ああ幸せだなあ、となるわけ。

「人生とは苦しいことの連続。楽しいことがあればそれは奇跡だ。」とかつてお寺の奥さんから諭された言葉。この言葉は大きかったよ。いっぺんにすべて楽になったからね。単純ってのはいいね。

すでに辛い11月繁忙期に突入しているが、苦しさを是として、ささやかな楽しみを見つけていくのだ。

11/6 3億円が当たったら

宝くじで3億円当たったらどうするか?のような話を仲間内ですることがあると思う。私は以前は、「100万円だけパッと使って、残りは貯金する。」などと答えて、しっかり者だな~などと言われていい気になっていたものだが、途中でその危うさに気がついた。

パアっと100万円使った時点でもう自分は別の人間になっているということ。残りの2億9千9百万は無事ではすまない。果たしてそのときの幸せな人生を維持できるかどうか。人間はそんなに強くないだろう。

今、そのときの幸せな人生、と書いたが、ほとんどの人の今は幸せなんだろうと思う。そう思っていない人はそれに気がついていないだけ。「足るを知る」。みんなもう足りてるよ。幸せの数を数えてみな。今日も朝目が覚めて日光を浴びた、とかも一つとして数えるんだよ。え?まだ足りない?。しょうがねえなあ。その欲で食いつぶす資源を後世の人のためにとっておいたらどうよ。

v今もし3億円が当たったらどうするか。全額をどこかに隠して、何事もなかったかのように今日も暮らすね。今の生活がこの上もなく愛おしいから。初めの100万円ごときで今の幸福を変えられたくないのよな。

そしてその金はもしもの時に使う。重い病気とかね。

という夢物語。

11/5 自宅のPCが復活

お世話になっている方のおかげで、景気に貢献しない形でPCをゲットできた。これで自宅でも入力作業ができるようになって、仕事のロスが減る。今度はキーボードにサランラップを巻いて、動画好きの息子の攻撃から守っている。ご厚意に感謝して大切に使いたい。

それでさっそくこれを自宅で書いている。田津地区からは事務所は遠いが自宅は近い。時間でいえば10分の差だが、この田舎では距離にすると10キロの差。一日中田津地区で作業があるときはわざわざ事務所へ行きたくない。

「ガソリン代をケチる」ということもできるが、正確に言うと「ガソリンをケチる」といこと。くだらんことで化石燃料を燃やすべきではない。わざわざラーメン食いに車で出かけるとか、気晴らしのドライブなんてのは本当は最悪。あんたのそんなつまらん理由で石油をどれだけ燃やしたか。

なーんて、これを言い出すと切りがないよね。現代人は困ったもんだ。

11/4 ゴボウの増産への周辺

3~4日おきに降る雨のため、段取りが難しくなってきた。ひと雨降ると土が乾きにくいこの季節。優先順位をよくよく考えて、よくよく慎重に管理をしていかねばならない。

視点は、「作物に心地よい環境に」ということが一番なのだけど、作業の都合からそうもいかない場合は多い。面積がそれなりにあるのでなおさら。雨上がりの麦の種まきを例にとると、ちょっとまだ土が湿っぽいかなあというときから蒔き始め、適期に大部分を蒔き、最後は雨の中を蒔く、ということだって有り得る。もちろん乾きやすい畑、にくい畑などもあるから、これをシビアに考慮することになる。昨年はそれがうまく行ったので、大麦の調子がまずまず良かった。

ゴボウ増産の第一の矢である、秋蒔きゴボウの太陽熱雑草処理の失敗の落とし前をつけながら、昨日からは第二の矢である春まきゴボウの新たな栽培方法の準備も始めた。増産に向けては毎年確実に課題というのがあって、それを一つずつ形にして、じわりじわりと目指していくのだ。

そういう工夫と並行して、土のことがあって、ここ数年明らかに生産量が落ち気味の傾向をどう考えていくか。え?落ちてるの?ってこれは私にとっては5年前に実感として予想したこと。その解決を土壌分析に求めた時期もあったんだけど、人間の浅知恵の限界というものも一方で感じることとなり、今の工夫がいろいろあるわけ。欠席した勉強会ではその辺の勉強もしたかったんだよね。

そういう中で半年前にした反省が、「ちゃんとやる」ということ。いくら方針やアイデアがよくたって、ちゃんと出来なきゃ意味がない。でもこのちゃんとやるってこと、結構難しいんよ。一言で言えば自分との闘い。鍛えられるね。楽しいよ。

11/2 涙を呑んで不参加に

予定なら今頃、淡路島で「昨日は飲み過ぎたなあ」などとプチ後悔をしつつ、昨日に引き続き刺激的な講習を朝から受けていたはずだった。

金~土と、自然栽培の勉強会に参加の予定だったのだ。「難しいといわれる玉ねぎの自家採種を潮の満ち引きをヒントに成功させています。」の一くだりでピンときた。この勉強会では必ず大きな糧があるはず。もちろん玉ねぎの栽培や種採りに直接興味があるわけではないが、自然の見方について大きな糧が得られるんじゃないかと。

また久しぶりに自然栽培の先輩方にお会いできるので、日頃疑問に思っていることを図々しく聞きまくるのだ!などと楽しみにしていた。講習代金の21000円も振り込んで。

しかし前日、畑の様子が、とても2日も空けていられる状態ではないことに。いや正確には空けてはいられるかもしれないが、今後の天気次第では収集不能になる可能性が大ということ。

11月は日が短い上に、ひとたび雨が続くと畑が乾きにくく、作業に適した日が限られることになる。また天候に傾向がなく、いい年もあれば悪い年もある。もし悪い方へ転んだならもう悲惨な状況になるのが目に見えている。

悩みに悩んだあげく、前夜に勉強会の欠席を決断。講習代金も返ってこないが仕方がない(笑)。実は今でも未練たらたら・・。その分、怒涛のように作業を進めている。私は経営者でありながら、職人でもある。さあこんなこと書いてないで畑に戻るべし。

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