年末年始の出荷について

はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2013年2月の記事

2/28 こんなに不味いのか!

昨日、女房がスーパーで某産地のニンジンを買ってきた。一口かじってみてビックリした。味がないのだ。目をつぶって食べたら何を食べてるかわからんくらいのレベル。だからうちのニンジンが美味いと絶賛されるわけだ。

たった今、出荷直前の選別・調整作業をやっていたのだが、昼前で腹が減っていたので、選別機を流れる規格外のニンジンを摘まんでは食べた。目をつぶって食べると少し出来損ないの柿のような感じ。中には上等の柿もあり。

ニンジンって寒い時期の作型であればこの程度の美味いの作るのは簡単なことで、ちょっと意識の高い農家のニンジンはみんなこうである。どうやったら昨日食ったような美味くないニンジンができるのかを知りたいくらいだ。おそらく肥料やら化学物質やらが過ぎているのではないかと思っているが、まあ間違いないだろう。

以前、別の作物の産地視察に行ったことがあったが、収穫現場でいただいたものを帰って食べたら強烈に不味い!ということがあった。こんなに不味くて農家は誇りが持てるのだろうか?と疑問を感じた。まあ間違いなく「出荷用」と「自家用」は分けて栽培している。味や環境なんかを気にしていたら経営が成り立たない、とはよく聞くことだが、その農家の責任はちょっと置いておいて、農家にそうせざるを得なくしている構造の方がよっぽど罪であると思う。

と、こんなことをゴチャゴチャと考えていると、また学校給食のことに思いが向く。うちは今、2か所の給食センターにニンジンを供給しているが、一方では加工方法の関係で厳しい規格の制限がある。うちのニンジンが大量にあっても、ちょっと規格が合わなければ出すことはできず、どこかの産地の得体のしれない「出荷用」のニンジンが回ることになるのである。この給食センターは建設したてホヤホヤなのだが、計画の段階で残念なことをしたものである。

うちの収穫の事情から、そのセンターには規格が合わなくなって、いつ供給ができなくなるかわからない状況。まあいいか。もう一方のセンターは規格がゆるく安定して出せそうだから。こちらはいずれ息子が9年間食べる給食になる。私にとってはそれが一番大切なこと。ただ広く貢献する気持ちは当然ある。いつでも利用してくれればいい。

2/27 ニンジン・サトイモの評価と圃場

ゴボウと違ってサトイモとニンジンについてはいろいろ自信がないのだが、品質については評価が高くて戸惑っている。どうもこちらの感覚と一致しないのである。

サトイモについてはイマイチと思っていたら、今まで食べた中で一番美味い!的な賛辞が三つや四つではない。ニンジンも今年はただの変哲のない味だと思っていて、しかも自然栽培ではないので売り方が難しいと構えていたが、ふたが開くと高い評価。みんな日頃からロクなものを食べてないんだなあ、などと思いたくなってしまう。

「はんだ牛蒡」と同じ生産者だから美味いと思い込んでしまう、ということはゼロではないだろう。というかむしろこれが大きいか。そのくらいゴボウの評価が高かった。まあいい。参考のために様々なことは分析するけれど、いつも言っているように私は美味い野菜を育てようとはこれっぽっちも考えていない。ただ自然に則した栽培をするだけのこと。マーケティングにも興味がない。あれは不自然さをいかにカバーするかという対処療法的な手法の一つに過ぎない。自然であればのんきに王道を歩いていればよい。

うちはゴボウは田津地区で育てている。ちょっとした地形の偶然によって生まれる洪水。それによってもたらされる深く水はけの良い耕土。ゴボウに限らずどんな野菜でも自然栽培にはもってこいの畑。ゴボウの高い評価は、この畑のポテンシャルによるところが大きいことは間違いない。

だから多くの人は、ニンジンもサトイモもこの地区で育てていると思っている。土がいいんだから美味いのは当たり前だと思われてしまう。しかし残念ながら違う。サトイモとニンジンは初めの1~2年は田津で育てたものの、この3年は今田地区で育てている。水田としての大区画化圃場整備を行った直後の圃場。ここの一部を「一生、畑として使う」ことに決め、そこで栽培しているのだ。

ここの土は、まあひどいものだ。圃場整備でかき回された直後ということは大きいが、もともとの条件もある。浅い耕土、水はけの悪さ。不適地の栽培は管理上の無理や無駄も多い。しかし栽培を続けていく限り、年々改善されていくだろうと信じている。

こういう条件下での自然栽培の取り組みだから、それなりに価値があると思っている。この地のそれぞれの圃場で連作をしていく。これでいい結果がでれば説得力もあるだろう。数年後を、こうご期待。

2/26 暇ね~よ~

ここにきて、書く暇がない。

今日は朝から、 春まきゴボウの準備。 給食のニンジンの打ち合わせ。 大豆栽培で機械導入の思案。 農機具屋さんとの打ち合わせ。 メール対応とサイトの更新。

そしてこれからまた畑に出て、 春まきゴボウの準備。 トンネルの草取りマラソン。

の予定。

やべ、こんな時間。ばいばい~。

2/23 「ふふふ祭り」の不参加

昨日は車で40分くらいのところで、「ふふふ祭り」なるものをやっていた。FBでたくさんアップされた楽しそうな写真を見ていると恨めしいかぎり。ぜひ行きたかったのだが、農作業の都合により叶わず、といういつもの事情。

昨日の作業のメインは、出雲・大田のグッディへのニンジンの出荷。昨日のタイミングでそれなりの数の発注が入って、「ああこれで参加できんな」ということになった。それに連動して来週以降のニンジンの収穫も必要。さらにこの時期にちょうど奇跡的に畑が乾いた上に、数日はこの状態が期待できる天気で、まさに春蒔きゴボウの準備のタイミング。この機会を逃すと次の機会がいつになるかわからん。ということで「ふふふ」に行けるという要素はまったくなくなった。

一夜明けて、今日。地味~に朝から春蒔きゴボウの準備の続き。春蒔きのゴボウとは、今年の年末から冬にかけて皆さんに食べてもらうゴボウである。しかし毎年これの栽培に苦戦していて、年末ごろから欠品を招くことになってしまっている。何とか冬の間くらいは多くの人に食べてもらいたい、という願いを込めて、今年も工夫を積んでいる。理想の社会への過渡期の中で、私の役割はココにあると「言い聞かせて」、今日の作業にいそしんでいる。

我々夫婦の誇り。それは「世の中に一石を投じる食糧生産の担い手」ということ。ニンジンの出荷で楽しみが潰れたと思ったり、頑張って「言い聞かせて」やっているのも、日頃から偉そうなことを言いつつ、そこのところがまだ身に染みて分かっていないのだろう。

楽しみを犠牲にして出荷したんだから、みんな買ってね。ということを言うとダメなんだな(笑)。

2/22 「成功体験」は「不思議体験」

昨日書いた「成功体験」を、何だそれは、と思った人も多いのではないか。一人で木を担いで下りただけじゃん、と言われてみればそれだけのこと。それだけのことから、どれだけ想像力を働かせて私の体験をソシャクできるか、ということが、例えば私らのような現場で生きていきたい人には大切である。こういう学びによって洗練されて、その積み重ねでようやく食っていけるようになるのだ。

大げさなネタから、そうでないネタまでたくさんある。昨日書いたのは大げさなほう。自分にとってみれば「不思議体験」なのである。ちょっと明らかに今までは無理だったことや200%無理と思ったことが突然できた、的な。こういう不思議体験はいくつもあるが、それが偶然ではなくて、突然できた理由というのがあって、それが自分の内にあり人間の奥底にまで関わっていると思わざるを得ないことばかりである。こういう体験を1つすれば、そういう目で見るようになって2つ3つの体験を繰り返し、もう虜になってしまって、常に「何かあるはずだ」という謙虚さで虎視眈々を狙うことになるり、さらに多くの成果を得ることになる。

私は他人の自慢話を聞くのが大好きであるが、それもこのことと関係があるだろう。自慢話の中には、その人なりの不思議体験が必ずある。それを見つけだし、ソシャクし、自分の引き出しの中に入れてしまうこと。これが楽しいのだ。

た。そのおかげで何とか今のような充実した日々があることは間違いない。

2/21 「非力」の成功体験

私の体型が肉体労働に向かないということは、学生時代に庭師のアルバイトに通ったころから意識するようになった。当時還暦に近かった社長に腕力から何から敵わない。「お前は力がないねえ」「もうへばったのか」といつもバカにされていた。当時はまだ農業は憧れ程度だったが、何かしら肉体を使う仕事をしたいという願望のあった私は、このアベコベの現実に悔しい思いをしていたものだ。

そんなとき、林学が専攻だった私は、林業の現場を見学だったか何だったか、見る機会があった。そこでは体が細くキャシャな高齢者が1人働いておられたが、その人を見ていて驚いた。そんな体格で楽々と木々を担ぎ、実に器用に動かれるのだ。コツがあるんだよ、と軽く答えられた記憶がある。

そういうシーンを見るか見ないかというのは大きい。それからの私は、体型はむしろ現在のものがベストだと割り切ることにし、何事もコツを追及することに考えを変えた。ありとあらゆることをそういう目で見るのだ。

あるとき、研究室の先輩の手伝いで山へ行った。切り倒した杉をある程度の大きさに切り、担いで下界へ降りなければいけないのだが、何度か往復して最後に登ってきたときは、どうしても最後の一ロットが大きくてうまく運べずに、数人で相談しているところだった。重さ自体は何とか担げそうなくらいだが、枝が張って全体が大きく持ちづらいとあって、細い小道を降りるには複数人で持つのも現実的ではなさそうだった。しかし1人で持てるとも思えない。葉っぱが落ちると研究にならないということで引きずるのもNG。

身軽さだけが取柄で山道歩きが器用だった私は、「反田、なんとかならんか。」と先輩から声をかけられた。何かコツがあるはずだ、とああだこうだと考えていると、何か、根拠もなく急にひらめいた。「ああ俺が一人で持って降りましょう。」などと言葉が突いて、枝にもぐってあるポジションに入り、その位置で手をまっすぐに伸ばすように持ち上げるとバランスよく宙に浮いた。そして上手く行く気がして、おもむろに急な斜面の小道を何と私は「走り出して」しまった。

するとどうだ、幹がリズムよく上下にしなり、なぜか軽くて歩きやすい。いや、歩くと上手く行かないが走ると楽なのである。後ろからは皆の歓声! 得意な面持ちでそのままの体勢で一気に一人で走り下りてしまった。

私にとっては、自慢で、強烈な成功体験の思い出である。

2/20 目に見えぬ「疲れた」という感覚

今年はうちの農業経営10周年になる。人間というものは5とか10の倍数で区切りをつけたがるが、私も当初、5年で形にして10年で軌道に乗せる、などと漠然と考えていたから、何となく手ごたえが感じられる気がする、という10年目は、やはり節目の年であるだろう。

しかし一方で、見て見ぬふりをしてはいられない「くたびれ」ということがある。何か漠然としたことではあるが、一年一年着実に「心身」に蓄積しつつある負の感覚がある。体力的なこと、精神的なこと、いろんなことの総合的なものだと自分では思っている。しかしこうなることは当初から想定していた。ことさら驚くことではないのである。

体力的な問題の想定は容易だった。私は百姓としてはあまりに虚弱である。176cmで53㎏。全裸を全身鏡で見るとひどいものだ。足の細さなど見ているだけで気分が悪くなる。こんな体型を、血と技術と若さとモチベーションでごまかして来た。それで「しばらくは」行けるということを、何となく確信していた。だから必然としてそろそろ限界なのである。自分を知る。虚弱は虚弱らしく、相応のやり方でやらねばならぬ。

そして精神的な問題。深さゆえに全部が見えた気にはならなかったけれど、まあ触りくらいは容易。岡山の研修時代には社長にさんざん吹き込まれたし。象徴的なのはマンネリという感覚。常に生き物に追われて時間が自由にならないことや、少しの油断で大きな損害を招くことの恐怖を抱えながら、やらざるを得ないことが実に退屈でマンネリな作業で、しかしながら高度の技術がいるという特殊性。

簡単に言うと、「飽きた」ということ。この飽きが体力的なことと複合的に絡まりあう。そして「疲れた」となる。まあこれは人間なんだから仕方がない。人間には何事にも「波」があって、「私の場合は」たまたま今は低い位置にいるということに過ぎないのだと思いたいが、はたしてどうなのか、わからない。それが深いということ、怖いということ。

「疲れた」の程度が過ぎると農業をやめざるを得なくなる。そういう人は実は多い。トータルとして、どうしようもないところまでくたびれてしまう。新規就農で結局離農する人の中にはこういう人が少なくないようである。

新規就農で10年の私は、まだ「起業中」の範囲内だろう。とりあえず20年くらいで見たいと思う。これが私の新規就農者としての宿命。息子は百姓のせがれ。専業百姓のせがれにはくたびれの問題は構造的に、ない。だから百姓を代々繋ぐことの意義はとてつもなく大きいと思うのだ。

新規就農の皆さん。疲れすぎないように共に頑張りましょう。

2/19 草取りマラソン2回目開始

何かと悩ましいことが多くあって落ち着かない日々。そんな中でようやくニンジンの収穫~調整~出荷の流れが出来上がってきて、少しホッとしたばかりだったのだが、いやんなっちゃうな、次の懸念がやってきた。トンネルの草取り。2回目の草取りのタイミングが今年は早くもやってきているのだ。

このことは昨年も経験したこと。昨年は畝立て時の土の湿り具合が悪く、ゴロ土となってしまって、上手く草が削れない上に、削った草も湿気のために枯れない、という現象だったが、それは一部では今年もそうである。そこはある試しをしてみたところなのだが、それがまんまと失敗ということになっただけではなく、昨年と同じように草で苦労することになってしまったというわけ。その試とは雑草対策の試だったんだけどね(笑)。

それに加えて、今年は暖冬ということがあると思われる。暖冬なら草と同時にゴボウも大きくなるので相対的に考えれば別に早いとは言えないはずだが、ビニールの使い回しが続いて防霧機能が落ち、こうなるとゴボウは成長が悪くなるが雑草は適したものがバッコするので、ゴボウが草に負けている状態になってしまうのである。

しかしまあ、ずいぶんといろんな状態を経験してきたものだ。トンネルを今の姿にして来期で9年目(9回目)になる。そろそろ今後の主流の管理方法が決まりそうな気配だ。

2/16 販売のことで思うこと

昨日の夜は、美郷町で「有機農産物の販売」のテーマで講師先生をやってきた。

今回は珍しく単なる「事例発表」の枠をはみ出て、コンサル的な役回りも期待されていた。となると、いつものように適当節を発揮して面白おかしく事実を述べているだけではダメ。といっても明らかに片手間のエセ講師なんだから、気負ったところでどうにもならない。結局準備不足で臨むことになった。

で、感想。塾講師時代もそうだったが、終わってみて振り返って初めて皆さんのニーズが分かってくる。だから塾の授業では、1コマ目より2コマ目3コマ目の方が俄然と良い授業になる。今回もそんな感じ。会後の雑談などから、もっとお米のこと(具体的には「お米は難しい」ということ)に触れれば良かったなあなどと反省している。あと、販売ネタに絞って時間を使う方が良かったか。つい自然栽培のことにも触れたくて楽しんでしまったが、それじゃあ遊びだ、いけんね。

まあ反省したところで、私の舞台はここではない。反省などむしろやめてしまって、今私の目の前に転がっている諸問題に没頭するのがいい。という変わり映えのしない、いつものオチ(笑)。

ところで、これからの島根の有機農業のことも改めて考えた。いつの時代も時流を無視することはできないのだろうが、すこし惜しい方向に向かっていると思わざるを得ない人たちが少なくないということを日頃から感じる。有機栽培や自然栽培などの高い意識の食糧生産を目指す人たちの動機は様々だが、島根のような中山間地においては、一気に理想を求めようとする人たちが少なくなく少し心配である。理想を求めているという自分の枠から出れずに盲目的になっている例が意外と多いと思うのだ。厄介なのがそれによって生じる妬み僻み、諦め。向かう方向は、より「近い」のに、些細な違いを理由にする人間関係の断絶。

今回の講義で趣旨の柱にした「量」ということ、つまりある一定の規模化の勧め。大規模農業への賛否が賑やかな今のご時世では問答無用で嫌悪を示す人も少なくない。特に価値観多様な有機農業の世界では。しかしこれは誤解である。冷静に考えてみてもらいたい。10ha、20haないとダメと言っているわけではない。規模が小さければ販売では苦戦しますよ、という事実認識くらいの受け取り方をしてほしい。そこに石油エネルギーの浪費とか、生き方の哲学とかを交えるのも好き好きだが、多くの場合はかなり勘違いがある気がしている。勘違いによる「こだわり」のために、結局理想の農的生活どころか農業すらできなくなった(それは10年後とか15年後とかにやってくる!)、というのでは何にもなるまい。

うちは10ha、20haの規模で経営している。こんな経営は誰にでもできることではない。だから「ちょっと私の理想とする農的世界とは別の人間だ」と言われても困る。あなたが理想とする社会の実現のためには、私のような存在も過渡期としては「きっと」必要である。

農業者同士の連帯を、至極に価値あることとは考えていないが、何かもったいない。

長くなったな~。

2/15 ニンジンがスーパーへ

サトイモに続いてニンジンの販売に頭を捻っている。ゴボウの納品先がたくさんあるので、そこにお願いすることになるのだが、収穫~保管~調整~出荷の流れを一から考えながらだし、サイズの問題もあるし、信義のこともあるので、そう単純にポンポンとはいかない。

そんな中で、今日、松江の「ラパン」に向けてニンジンを発送した。何かとお世話になっている出雲・大田の「グッディ」には来週から。多くの人のご利用を期待している。

また今日から東京の「紀ノ国屋」で島根フェア。これに合わせてニンジンを置いてもらっている。こちらはフェアの間だけになるかもしれないが。

ついでにうちのサイトから、規格外品の販売。→ 詳しくはこちらから。

販売のことも大事ではあるが、来期再開する固定種の栽培についてもっともっと頭を捻らねばならない。どうせやるなら30アール(3000平米)はやりたい。しかも、ゴボウとお米と大豆の合間に。そんなことができるのかどうか。自信5%不安95%だけど、できそうな気がしているから悩むんだよな。

2/14 今年は作付計画がまだ

毎年この時期には、今年の作付計画が決まっているものだが、今年はなかなか時間的余裕がなくてまとまっていない。日々頭の中だけで考えられる範囲のことは決まっているが、なんせ面積も広いし圃場履歴もまちまちなのだから、机に座ってPCを睨みながら考えることが必要である。

今年はうちにとって10周年の節目の年。同時に、農地はすべて借地であるが、10年契約の最後の年という圃場も多い。そういうところは来年の更新をどうするか、という問題があって、それによって今年の管理は変わってくる。と言いつつ実は数年前からそのつもりで作付を考えてきていて、圃場ごとに11年目の更新をするかどうかという私の考えがコロコロ変わるので、それに伴って作付の構想も毎年変えるハメになっている。

今田地区の7haはずっと借り続けるつもりなので、問題は田津地区。ここの畑地を11ha借りているが、これはもう広すぎる。これまでにさんざん考えたが、これだけの農地をうちが借り続けることは、管理費がかさみ経営を圧迫し、いつか農業をやめなければならないということである。そして現実的には、おそらくそうなる前に私が過労を引き金に死んでしまう。

だからどうするか。田津地区の「奇跡の土」をなるべく人間の健康のために活かしたいので、可能な限り借り続けて作付をするのだ!ということに他ならないが、どこまでが「可能」なのかの判断が難しいのである。春から丸ちゃんに2haくらいを譲ることになっているが、その程度じゃあどうにもならない。この土を活かしたいという人が他にも現れて、うちの圃場をさらに肩代わりしてくれることが一番いいのだが、そう簡単には期待できることではない。

洪水との共存。何とかこれを成し遂げたい。これまでにこの地に抱かれてきた多くの人(実に多くの人)がこの命題に臨んでは潰えてきた。そして今の田津地区がある。永続的な共存のためには時代の変遷とも無関係ではいけない。だから小手先の世渡りも当然必要ではあるのだが、基本は自然の流れに沿うということ。・・・結局いつものオチ。

2/13 県議の「食育」ブログ

創価学会にも公明党にも個人的な興味はまったくないが、公明党県本部代表の三島おさむ氏のブログはおもしろい!

先日の松江への出張の際には、会議後の懇親会で興味深いお話を聞かせていただいたのだが、その時に話した食育や学校給食の周辺の事情について、ブログではここ最近の活動が報告されている。

給食、なんとかならんかと思う。そういうネタは私の周りにもたくさんある。これからの日本のあらゆる事柄を考えるうえで、給食は「肝」だと思っているが、この前伺った話では、その肝が簡単にはどうにもならない構造らしいとのこと。

食育はまずは家庭から、というのは理想ではあるが、現実的ではない。だから3分の1(2分の1?)にあたる昼飯で子供は劇的に変わるんじゃないか思っているが、そういう成功事例が日本の各地にすでにあるらしい。

うちではゴボウは毎年給食に納めている。給食にゴボウが出ると子供が喜ぶことにあまりにもビックリしたからと、以前新任の女性教諭が話を聞きに来られたことがあったが、たったそれだけのネタからでも、様々な事を考えさせられる。

何だかんだと考えていると、あまりヒステリックに私一人がなったところで大したことにはなりはしない、と諦めも先行するが、その素材を生み出すことのできる唯一の立場、私は百姓であることに希望を抱いている。いつもの変わり映えのしないネタではあるが、私が何をすべきかといえば、つまらぬ欲などに流されずにただひたすらにゴボウなどの野菜を自然界にならって栽培し続けていればいいということに行きつく。あとは三島氏のような人を含め、様々な立場の人が私らを利用して動きを作っていってくれるのだろう。

繋ぐ人、構造を作る人は多くの人に期待しておいて、先端にいる私らは自らの責任の大きさをこういう視点からも自覚しなければならない。

ところで先日の会議の翌朝には、三島氏が始められた畑を見せていただいた。ブログにも逐一報告されているが、いやはやマメなことである。意見を求められたのでその畑が自然栽培には向かないだろうと伝えたが、そんなことより、このおっさんの凄さだけが印象に残った。

2/12 旧暦の元旦

今年の旧暦の元旦は2月10日(日)だった。春に閏(うるう)月が挿入されているので今年は遅い訪れ。細かいことを言えば新月になったのは16時半ごろ(もちろん目には見えないが)。だから気分的に元旦は11日のような感じだった。

今年は新月の時間にはちょうどニンジンの調整作業を始めたところだった。うちの年間サイクルでは旧暦の年変わりには大体の作業がひと段落しているはず、ということなのだが、例年完璧には行っていない。今年はニンジンのせいでちょうど慌ただしい真っ盛りとなった。しかし今年の旧暦の元旦はいい。暖冬のおかげでなんとなく春が感じられ、「始め」めいた感が強く、いかにも一年のスタートという気がする。

まあしかしながら新暦も旧暦も、暦というものはしょせんは人間の都合のもの。いくら生物が月の動きと連動しているといっても、太陽やそのほかの要素すべてと連動しているのだから、あくまで「人間の都合」なのだということを意識せざる得ないのは、私が今のような自然にどっぷり浸かった農業をやっているからであろう。自然というものを意識していると、自然の中には区切りなどなく、ただただ時が流れているだけのように見える。

暦が、特に為政者の都合だったとはいえ、それは人間生活に生かそうとする試みだったわけだから、先人の知恵や知識はありがたく学び、私がやっている農業はやはりこのことを意識するのがよいと思っている。そして私なりに感じるのは、春~夏は旧暦の沿った管理がかなり有効だということ。しかしながら閏月のあとしばらくは乱れるということ。まったく根拠もないし、勉強不足なので、かなりいい加減な私説ではある。

こういうことを実際に感じている人どうしで、帰納的な議論をしてみたいと思うが、近くにそんな人いないもんね(笑)。一人でいろいろ考えとくよ。

2/11 ニンジンの調整と今後のこと

ニンジンの収穫が始まり、作り直した商品ラベルも届いたので、大急ぎでニンジンの調整作業などを進めている。今日は重量選別機の調整に多くの時間を費やす。

ニンジンは、どういう風に(どこに)売るか、ということから逆算していくと、収穫から調整のラインが変わってくる。今年はたまたまF1の品種ばかりだが、来年以降はあくまで固定種にこだわる予定でいるので、ちょっと説明が長くて難しいので端折るが、あくまで来年以降を想定してラインや流れを考えたいところ。もう試行錯誤は最小限で押さえたいよ。くたびれるから。

それにしても、ちょっと前に書いた気がするが、ニンジンは苦戦している。今年F1の「向陽二号」という品種を初めてやってみて、栽培を楽にする品種改良の凄さというものを痛烈に知ることとなった。一言でいうと発芽率。この差が、管理方法はもちろんだが販売方法までも変えてしまう。その結果調整方法も変わる。要するに全部変わってくる。もう別の作物として考えていくしかない。

この品種のおかげで、今年は相当手抜きしたにも関わらず反当り2トンくらいは出来た。播種が1か月も遅かったために全体的に細め傾向でこの収量だから、早く播種がして、収穫をコンバインでやったなら、これはこれで立派な経営作物になることは間違いない。

しかしどうもF1栽培をしていく気になれない。はっきりした理由はない。もうこれは「勘」の域だ。固定種を今のうちにものにした方がいい、という勘がしているのだ。しんどいし、報われるかわからんし、作業期が、柱のゴボウ、米、大豆としっかりかち合って邪魔になるし(だから1か月も播種が遅れた)。ロクなことがないのだが。

なんてことが頭の中でぐるぐる回りながらの作業の横で、我が愛息子は、女房にダダをこねてお楽しみ。

いつかは頼んだぞ、息子よ。

2/9 美郷町で事例発表

何だかんだと毎日慌てている理由の一つに、来週2月15日にある講座の講師を務めるため、その資料を準備しなければいけないということがある。

島根有機農業協会主催の経営学講座で、テーマは「有機JAS認証取得による農産物販売の方法」だそうだ。テーマは無視して自由にやってよいという了解を事務局から得ているが、そのこと目当てに来る人だっているだろうから無視はしにくいところ。せっかくだから参加する人たちの現状に少しでも役に立てることをしたいと思うが、正直気合を入れて準備をする時間がない。で昨日から準備を始めて、昨日今日と夕方1時間半ずつパワポに向かったわけ。

ところが、最近どうも肩の調子が悪い。1時間続けてパソコンに向かっていると肩がだるくて重くてたまらなくなる。ついでに目の奥もだるくなる。ということで一気に資料を作るということができなくている。

ファイルを開くと、これまでにずいぶんあちこちで発表をしてきたものだ。それを使い回せれればいいのだが、うちの経営は刻々と変わっているし、伝えたいことも変わっている。結局一から作りたくなるのだ。

と言っているわけにもいかないので、資料は適当に使い回しも入れてほどほどにしておいて、あとは当日の話術に頼ろう(笑)。大勢の前で何か発表するの、好きなのね、俺。申し訳ないけど、いつものように勝手に楽しませてもらうよ。

ちなみに島根有機農業協会のサイトを見たけど載ってないね。2/15(金)の18:30から、美郷町山村開発センターにて。ほんと肩が辛い。終わろ終わろ。

2/8 雪の中で収穫開始

女房からさっき連絡があって、ゴボウの草取りマラソンがようやく終了したとのこと。1月20日過ぎには終わる予定だったのだが、なんだかんだと暇がなくなり、あとちょっとだからまあいいか、なんていう緩みも出てきて、いつまでも終わらなくていたのだ。最近は女房に任せてしまっていて、草が大きくなってしまったので時間が1.5倍はかかるようになっていたらしい。しかし何とか終わった。続いてそのうちには2回目のマラソンが始まることになる。

私はというと、もう他にいろいろなのだが、今日はニンジンの収穫。しかも今朝目が覚めると、外は雪。昨日まで全然なかったのに、昨日までならもっと楽に収穫作業ができたのに、いざやろうとするとこの雪。雪をかきながらなのでさっぱり能率が上がらないが、収穫を急ぐ事情がある。地区の人たちにもお願いして、4人で2時間余りやってわずかに200キロくらいを挙げた。

もっとやりたかったところだが、なかなかそういうわけにもいかない。雪さえ解ければ何とかなるんだが、この調子なら今晩のうちにまだまだ積もるぞ。世間では連休に入るが、こっちはそういうわけには行かない。何とか凌がねば。

先週の天気の良さが懐かしい。発熱で倒れていたことが恨めしくてならない。

2/7 出張で出雲に

軽トラに女房と乗り込んで、朝から出雲へ出張。昼前にサトイモの納品、午後はシンポジウム。

サトイモはこのたびも保管に失敗して凍み始めているものが出始めている段階で、数百キロを一気にとってくれるところが現れた。だからといって値段がひどいということもなくて、大変ありがたいお話。こういうのは弱いんよね。恩はしっかりと返さんといかんよ。

午後は「しまね有機の郷推進シンポジウム」。金子美登氏と高橋裕子氏の講演。有名な金子氏を一度間近で見てみたかった。実際に接してみるとその大きさが分かるんだろうなあ、と伝わってきたことだ。

夫婦で来たので、保育所へのお迎えのために、お二人の講演が終わった時点で中座。この後の「おやさい本舗」の事例も聞きたかったが仕方がない。他に仕事も溜まっているし。

体調不良明けでまだメールでいただいている宿題等が溜まっている。対応がないぞ~と思われている方々、すみません。急ぐのでもうちょっと待って。

2/6 農法批判

昨日、有機農家が悩んでいると書いたが、この悩みには、農法による人と人の断絶ということも無関係ではない。

他の農法を否定する行為は、販売とも大いに関わっている。販売を有利にするために自分の農法を主張することが、同時に他人の批判と取られるのである。こうなると泥沼。私も自然栽培の素晴らしさを語るたびに、一方から不満の声を耳にする。売れなくなるからいらんことを言うな、ということである。私は、別にうちのじゃなくても他の自然栽培農家のものを買ってくれればいいと思っているので、他人を批判する理由は何もないのだが、そうは取ってもらえないものである。

うちは20ヘクタールという広い面積で経営しているのでかなり機械化しているが、よく、機械化農業の批判に出くわすことがある。石油をふんだんに使用した食糧生産はあまり褒められたものではない、という主張である。

これはもっともだと思う。食糧生産とは本来太陽エネルギーというタダで永遠のものを利用してなされるべきはずのもの。まさに、正しい。私が死ぬまでの間にはこういう農業に転換してみたいが、今のところそれでは食っていけないので、仕方なく今の機械依存スタイルに甘んじている。

だからといってこういう主張をしている人に批判されているとは思わない。主張をする人は正しいことを言っていて、私がそれについていけないだけなのに批判するというのでは、逆にくたびれる。

農業に限らず、どんな分野でもこういうことはあるだろう。狭い世界であればあるほど、似たようなことをやっているのに「こだわり」度合いが過ぎていがみ合う。自分に力はない、ということを認めてしまえば楽になれるというのが私の持論なのだが、どうなんだろう。

2/5 有機農家が悩んでいるらしい

スマホなんか使わないよと言ったところ、「あんたもどうせいつかは変えることになるんだから今変えればいい」とある人に言われた。なるほど、もっともかも知れない。

ネット上で、有機農家の悩みをよく見かけるが、意外と少なくないのが、「自分はどこに向かって進んで行くべきか」というもの。

今や有機栽培というものは、かなり怪しい。品質の面でも、環境負荷の面でも、人体に及ぼす面のあらゆる面において。販売競争も熾烈を極め、アイデア合戦が繰り広げられ、マーケティングの重要性にスポットがあたる。やれ有機栽培だ、慣行栽培だ、何とか栽培だ、かんとか栽培だ。信じた道にも迷いが生じ、使命感をもって始めたはずなのに、頑張っている割に評価されない、いつのまにかくたびれている。ふと我に返って、虚しい自分がいる。こういうことがしたかったのだろうか・・・。

まあそうだろうな。よくわかる気がする。しかし自然栽培を始めた私から見ると、これは結構他人事。

試に自然栽培をやってみるといい。ここには迷いがない。自然に学ぶ栽培だから。自然栽培とは「自然栽培」というカテゴリーのある栽培ではなくて、自然に学ぶ栽培のことである。基本技術として「無施肥、無農薬」のことが言われるが、これは自然界をまねると結果としてこうなるということであって、何か宗教的なことや販売のストーリー的なことを考えているわけでもない。どうせ人間は自然の摂理からはみ出すことはできないのだから、それに忠実に管理して行けばいいじゃないか、ということである。その結果、売れるか売れないか、経営が成り立つか成り立たないかという問題はあるが、それも自然の摂理の中でのことに思えてくるし、過渡期を凌げばそのうち自然と終息していく部類の心配にも思える。

私もかつての一般的な有機栽培に行き詰った結果、ここへ来た。悩める人はどうせいつかはほとんど自然栽培に行きつくだろうから、あなたも今すぐ始めてみたら、とつい言いたくなる。

2/4 刺激的な週末

ようやく今日あたりから体調復活。ではこの週末はおとなしくしていたかというと、そういうわけに行くもんか!実に刺激的な日々だったのである。

金曜は、環境エッセイストの天野礼子氏の視察団の受け入れ。市の協力をいただいて、市の施設にてパワポによる取り組み紹介。というものの、体調のためにまったく準備が出来ておらず、ただ写真のフォルダを適当に放り込んだのみ。その場ではかなり頑張ったつもりだが、予習もロクにやっていないので場当たり的な説明になってしまったし、写真は足りないものがかなりあるし、何しろ体に力が入らないのだからテンションも上がらない。かろうじて「あんたは話が上手いわ面白いわ」と喜んではもらえたが、私としては完全に出来損ないで申し訳ないことであった。

土日は、来客。かつて取引先の担当さんご夫婦。彼らの目的の酒蔵見学を設定し、夜は県内の意識の高い知り合いたちを我が家に数人招いて宴会。自然栽培ネタを中心に結構深く熱く、しかしながら冷静な話で盛り上がる。私は体調が悪くイマイチ乗れなかったが、皆さん3時過ぎまで盛り上がっていたらしい。酔っ払いたちの熱いディベートを薄れゆく意識で布団の中から聞きながら、くっそ~元気ならなあ~、と悔やまれたことだ。

これら刺激的な週末を過ごして、1にも2にも感じること。世の中は動いている。確実に動いている。この動きの中で私にできること。ただひたすら土を向いて進んでいくこと。

「あんたの思っている以上にあんたの役割は大きい」というようなことを言われて、おお、上等じゃねえか、と密かに燃えているところである。

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