はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2013年8月の記事

8/31 家庭菜園の普及のために

日々平穏な生活であるが、そんな中だからこそだろうか、人生とは、人間とは、社会とは、などと考えることは少なくない。というかいつもこんなことを自問自答しているといってもいいかもしれない。だからそれなりに私なりに振り切れていることも多い気がする。

偉そうなことを言う気にはなれない。私はただ、自然栽培を始めたから見えてきたともいえる世界というか生き方というか、もちろん何もわかっていないのだろうけど、私なりに今の時点で分かった気がしていることがたくさんあって、そのことに忠実に振る舞って生きたいというだけである。そうすると幸福感を感じることが多くなったので、苦しんでいると公言する(にじみ出ている)人を見ると、少しだけおせっかいをしたくなる。こんなのはどうですか、のうような感じで。

この世は何としても矛盾だらけである。子孫のこと、後世のことを憂いたところで、いきなり理想の世界にはなり(戻り)えない。少しずつ歩むしかない。

私の理想の世界のワンシーンは、家庭菜園の普及である。ほとんどの家庭で自給用の菜園を持つ社会。それではお前は食いっぱぐれるだろう、と言われるのも無理はないが、そんな社会にはすでに大きな社会の動きが伴っているはず。そんな悩みは必要ないのである。

その理想を掲げて、なんと今の私は、増産をロマンとし、なるべく大きな規模で、機械のために石油燃料を浪費し、自然界を規範とした作物生産をするのだ。敢えておいしい野菜を作ろうとは思わない。たくさんの「矛盾」を抱えたまま、その中で自然界のルールをせいぜい取り入れた栽培行為を目指す。

一見矛盾するようであるが、家庭菜園の普及のために私が何をすべきか考えたときに、その普及を声高にわめきたてるより、こういう生き方をする方がよっぽど貢献になると考えているのである。私は、である。他の人は違うかもしれない。人には向き不向きがあるし役割がある。こういう私を利用して、同じ方向を向いている人で別のアクションをしてくれる人がいれば、それはそれでいい。

「こんな野菜は自分でも育てられますよ。」「大規模でもできるんだから菜園なら楽勝ですよ。」こういう声かけができる。言われる方も実際に美味しくて感動があるから始めたくなる。すでにうちの取り組みから家庭菜園の後押しになっていると感じられる例がある。

私ごときが貢献できることなどいくらもありゃしない。目の前のやれることをやろうということだ。

おお、これから1時間は大雨だと無線放送が流れている。息子を迎えに行って今日は家に帰ろう。

8/30 土づくりと水

またもや大雨の予報。明日が山か。

日中もずいぶんと涼しくなってきたが、これからの季節は一雨来ると土が乾くのに時間がかかる。あらゆる管理作業は「水」を念頭に行うものだが、これからは特にそういうことに振り回されるようになる。

昨日の夕方から今日の早朝にかけて、ゴボウの母本選抜および植え替え。種を採るために、それ用に残しておいたゴボウを収穫機で掘り、形の良いものなどを選んで植え替えるのだ。本当はもう少し涼しくなってからのほうが良さそうなのだが、機械の都合で仕方なくやることにした。

ゴボウ栽培に携わっていると、土を深く掘る場面がよくあるので、土の断面や下層に触れる機会が増える。下層まで均一な砂壌土の場合がほとんどなので、見ただけでは何ということはないのだが、触ってみるとあちこちで違いがある。硬さであったり、水であったり。

水というのは何かというと、湿り具合というか、温度というか。湿っていれば冷んやりするんだけど硬くても同様なので難しいところではあるが、ここのところが重要だという気がしている。もちろん肥料をぶち込んで水が腐っているというのは論外。しかし水を腐らせるのは肥料だけでなくて雑草だったり作物の残かんであったりもするので、今ではこちらの扱いを気にすることがほとんどである。

無肥料を基本とする管理を続けていて、いわゆる土壌分析によれば肥料分に乏しい畑ばかりだが、ゴボウが良くできる畑とそうでない畑、良くできる場合とそうでない場合、との違いがあまりに大きい。これは明らかに「水」の違いだと感じている。

その水の状態にばっちり適した管理ができればいいということだが、そんなことは現実には無理なので、ある程度幅のある管理に対しそれを吸収してくれる土の状態を目指す、それが私ら農家にとっての「土つくり」なのではないか。

8/28 被害の様子を知らない

朝からトラクター。ラジオを聴いていたら、今日くらいから災害復旧ボランティアが全国から我が「江津市桜江町」に来ると言っていた。

私の狭い生活圏は普段とほとんど変わらない光景だというのに、そこの角を少し曲がって覗くと別世界、というのがこの度の災害。実は事務所からわずか1キロ先の激災地区の状況をまだ見に行っていない。手伝いもしないのに見に行くだけの野次馬という気分で近づきにくいものなのだ。

行政をはじめとして復旧に携わるすべての人に敬意をはらう。あらゆるポジション、持ち場があって物事は進む。私もすっかり割り切って、私にしかできないことを黙々とやろうと思う。

8/27 被災直後も農作業

家が川の水に浸かった人、家の中に土砂が入ってきた人、庭に土砂が堆積した人・・・いろんな人がいて復旧作業に汗をかかれている。うちも土砂が流れ込んできた畑があるので、なるべく早く片付けたいところだが中々そうもいかない。

田津地区で壊滅状態になったオカタ谷地区にお住いのある方は、倉庫や機械が土砂で埋まってしまったにも関わらず、翌日には畑に出て、ニンジンとゴボウの種まきをしている。他人が見ると「のんきだなあ」ということになるかもしれないが、農作業にはタイミングがあるのでしかたがない。

うちもタイミングのあることばかりなので、被害があったからといってそう簡単に予定が変えられない。災害の復旧は後でもできるが、タイミングごとは今やらないとならないのだ。

2010年の大被害の時は、翌日に田んぼの畦の草刈りをしていた。草刈りなんか・・と言われもしたが、急いでやらねばならない事情があった。

このたび、昨日、今日はというと、事務所にこもって有機JASの年次申請の書類作りに没頭している。被害の多かった集落に救援に行きたい気もあるし、早くやらないと取り返しのつかなくなる農作業も抱えているのだが、JASの申請の方も遅れているし、これも欠かせないことなのである。

あと10日も作業をやれば、タイミングごとからは少し解放されるはず。圃場の復旧などはそれからのことになる。

8/26 桶にたまった水

すでに通常モード。抜け残っているゴボウの最後の収穫作業を早朝から。すべて終わった!

それにしても田津の畑は凄い。改めて思う。ユンボで掘り進めるわけだが、あれだけの雨の直後であるにも関わらず土は程よく「湿っている」程度。かなりの下層まで比較的均一な湿り具合。こういう畑に寄り添って行けるということがどういうことか、今一度咀嚼しないといけないと感じたことだ。

ところでこの度、我が江津市桜江町はニュースで全国区になっているようだ。テレビというものを見ないので知らなかったのだが。そのネタである「総雨量が400数十ミリ」というのがどういうことか、イメージで分からない人が多いと思うが、例えばこの写真。

雨の前日に畑に桶を置き忘れていたのだが、深さ430ミリの桶が満水になっている。これだけの水が、野も山も畑も町も区別なく一面を敷き詰めて降ってきたということ。ほとんどは低い方へ低い方へと流れてゆき川で合わさる。残りが地面に染み込む。こういうことだ。

8/25 このたびの災害

この度の災害の件で、たくさんの方々からお見舞いの連絡をいただいている。ありがたい。(電話でのものには出れていないことがあります。申し訳ないことです。)

一夜明けて、今朝。新聞で市内の惨状を改めて知る。このたびは人が寝静まる時間帯から急激に降った。私が寝た午後10時半、家の前の小川は干からびていた。しかし豪雨の音で目が覚めたのが午前0時半。そして、うつらうつらしながらなので正確な記憶はないが、ほどなく濁流の音に変わった。これはタダごとじゃないぞ、と思い始めたのが午前3時半。

見回りに行こうかと考えたが、土砂降り。せめて薄明るくなってからにしようと待機していた。その頃にはすでに各所の被害は出始めていたものと思われる。

あちこちの道路が寸断されたが、うちの場合、幸いにも田津地区~自宅~事務所(出荷場)~今田地区の移動に支障はなかった。被害の確認や管理、お客さん対応で走り回っていたが、いつ寸断されるかと気が気でなかった。

ほどなく、いつものように地元の土木会社の人たちが総出で復旧を始める。私も、田津地区を孤立させている土砂の撤去を請われてユンボでやった。

いわゆる「58災」に匹敵する被害らしい。田津地区の中にもほとんど壊滅といってもいい居住まいもある。

ところでうちの被害。この度は上流の雨が大したことがないため、意外にも江の川は氾濫せず。支流の八戸川流域がひどかった。だから田津地区は大豆畑が1枚、土砂が流入した以外は全くの被害なし。今田地区もうちの圃場は比較的高いため、畦が崩れたりの軽度な被害で済んでいる。下の原地区もまったく傷なし。


田津地区。点々と放置した6台の機械も動かさず(汗)


土砂が流入した田津地区の大豆畑。大きな被害はこれのみ。


今田地区。


今田地区の崩れた畦畔。

8/23 やっと降った

ようやく降ったよ、雨。私が雨を見たのは8月5日以来、18日ぶり。

昨日なんか、すごい雨の塊がこちらに北上してくるのをパソコンの画面で見ていて、市境越しの地区まできて、さあ来るぞ!と待っているのだが来ない。しばらくパソコンみていると、ちょうど当地では消滅し、江の川を横切ってさらに北上してから復活、という腹立たしいショーを見せてくれた。

ちょうど今、雨が降った時は今田地区で来年の苗代の耕うんをやっていたのだが、雰囲気としては表層の1センチが湿った感じ。これからトラクターを田津地区に回送して耕うんの続き。田津ではどのくらい降っただろうか。土の小麦粉のような状態が解消されていれば嬉しいのだが。また少々の雨なら雨の中をやるつもり。

それにしても、また草が動くなあ。

8/22 時に石油依存の虚しさ

秋まきゴボウの収穫はとっくに終わっているが、抜けずに残っているものがかなりある。40aの畑に点々と推定で600本、250キロ。

昨日から早朝の2時間、ユンボでえっちらおっちら掘り始めたが、やっていて虚しい。たった1本のゴボウを掘り上げるためにバックホウのエンジンをふかす。それだけのことで石油をどれだけ消費しているか。当事者である自分を差し置いて、人間というものは仕方のない生きものだなどと考えてため息をつく。

一昨日は出荷場の大型冷蔵庫が故障。この暑い時にゴボウが数トン入っているので焦ったが、業者さんに昨日直してもらって事なきを得た。

電気に依存ということ。普段なるべく見ないようにしていることでも、こういう時には嫌というほど向き合うことになる。

こういうことを考え始めると、何をやっても何を考えても虚しい。虚しいが生きていかねばならないなら、やらないわけにはいかない。一方で「足るを知る」ということの「足る」のレベル、すでに私は大きく足りているのだろうと思わないでもない。じゃあなぜこのくそ暑い中をムキになって動くのか。それは明日まじめに考えるとして、今日は予定通りやるしかない。

8/21 大切なのは「想像力」

女房の実家のトイレで、カレンダーに書かれた言葉があった。

「想像力は知識より重要である。」

アインシュタインの語録らしい。これを見たとき、「創造力」の間違いではないかと思った。がすぐに、すごい言葉だなあと震えるほどの感動。

そうなのだ、想像力なのだ。なにも創造力でなくてもいい。それはハードルが高すぎる。単に想像力。ただ想像する力、空想する力。力などと大げさなものではない。誰にでもできること。自分が右足を踏み出したら何がどうなるか、左手を振り回すと何がどうなるか、当たらないかもしれないが想像はする。無意識のうちにする。

しかしその誰にでもできるはずのことが、できない人が増えていると聞いたことがある。それは経験不足のためだという。いろんな経験。子供のころの遊ぶ経験もそう。

文明や都市化が発達した今の世にあっては、これまでの人間が自然と経験したであろう多くのことが抜け落ちているらしい。その結果招く想像力の不足。

私自信も何度もこういう場面に出くわしたことがある。いまいち幸福感のない人や上手く行ってない人というのは、この想像力がかけている気がしている。もっと想像してみよう。あなたの出来のわるい頭で考える屁理屈は置いといて、心で感じることを大事にして、日々の生活の中でそういう訓練をしてみよう。特に相手の気持ちを想像すること。人の顔色ばかり気にしてみる。失敗も多い。でも得るものはもっと多い。

8/20 今月いっぱいは山

ようやく大豆の土寄せ終了!例年と比べると1か月遅れ。

といっても下の原地区の1.5haは2回目を省略。本当はやった方がいい。でも回送を含めて4時間はかかる。だったら他の作業をした方がいいという判断。

8月一杯は強烈に忙しくなっている。一つの山。すべてをやるのは物理的に無理だ。何を優先し、何を捨てるか。その判断にいつも悩んでいる。

従兄弟が、この暑い中、積極的に手伝ってくれている。草刈りはほとんど託している状態。おかげで何とか回っている。ありがたいことだ。

8/19 「風立ちぬ」

週末は女房の里へ帰省。息子を預かってもらっている間に、女房と2人で映画館、今公開中のジブリの「風立ちぬ」を。

実に、襟を正した。自分のロマンに向かって地道に生きる姿。

今のように情報が氾濫していない時代は、偉くなろうとか夢を実現しようとかいうときにはただただ地味に努力をするしかなかった。ごく当たりまえの価値観。

しかし現代。そういう場合に地味に努力をするとは限らない。氾濫する情報のために目移りがする。そして都合のいい勘違いをする。基礎もないのにアイデア勝負や見栄の張りあいばかりにうつつを抜かすから、ふと我に返って虚しさを覚えることになる。

隣の人の現実は確かに現実かもしれないが、ネットの中の知人の情報は虚構である。そう思っているくらいでちょうどいい。

自分探しもやめた方がいい。自分はそこにいる。人目を気にせず、他人を気にせず、まず10年くらい何かに粘る。粘れるうちは粘る。そして粘れなくなったときがやってきても心配はいらない。次の展望が必ず現れている。

8/16 暑さにやられたか自宅のPCが壊れている

2日更新をさぼったが、いつもと変わらぬ炎天下の作業の日々。

少し前から自宅のチビPCのキーボードがイカレて文字入力ができなくなっている。事務所に来ないと更新ができない。もちろん毎日事務所には来るが、それが早朝だったり、もう早く帰りたい夕方遅くだったりすると、とても書く気がおこらない。お昼には事務所へ来るようにしていることが多いのだが、最近は自宅へ戻ることにしている。そして1時間は昼寝をする。そうやって何とか体調を維持している。

さぼり気味だったフェースブックの方でも、岡山の某店の猛獣女将(爆)に触発されて時々呟いてみようかなどと再開したものの、それがいつも事務所であっては、暑さで参って戻ってきて頭がさっぱり回らんときばかりなので、いつも暑さの愚痴ばかりになってしまって数回でやめた。そういえば気になる記事へのコメントも出来ずにいる。

スマホなどの導入はいつのことやら。流行というものにはまったく疎く、何事もピークが去ってさらに数年で、というクチ。まあいい。私の人生や日々の楽しみは明らかにもっと違うところにある。

8/13 暑い辛いは主観のもの

なんだか今年は暑いらしい。昨日は高知県で観測史上最高の41度を記録したようだ。

確かに暑いが、そこまで暑いとは知らなかった。テレビがない影響は大きいかも。連日ニュースで猛暑猛暑と騒ぎ立てられたら、それだけで暑苦しくなってしまう。41度だとか何とか聞かなきゃ良かったよ。

しかし気温の観測って草地の日陰でやるはずだから、日向や局所的にはもっと高温の場所はたくさんあるはず。うちの畑だって砂地で焼けてて、気温もかなり高いと思うな。でも計る気ないよ。高かったら嫌になるだろ。知らないほうがいいってこと。

暑いとか辛いとかって感覚は主観的なもの。良くできた土は、「水はけが良く水持ちが良い」という一見相反するような性質を包有するんだけど、人間だってしっかりした体を作れば、暑いとか寒いとか辛いとかを包み込むような緩衝能力が備わるんじゃないかって思ってるわけね。だから自分を鍛えるのよ。「心頭滅却すれば火もまた涼し」って言うじゃん。

って虚弱体質のお前が言うな!と言われそうだが、まあいいじゃないの。

8/12 暑さにやられたか

さすがに体にガタがきている。下痢がひどい。まあ普段から下痢してんだけど。だから細いんだけど。

それと足がだるい。体を重く感じる。でも体重は増えてないよ。52キロ。ついでに176センチ。

痩せのガリガリで真っ黒の男が、頬を凹ませて目だけがギョロギョロしてて。やらにゃあ、やらにゃあ・・・とブツブツ言いながら畑を徘徊しているわけ。

自分のことながら、笑える。

8/11 タイミングが集中しているのだ

日曜だが、暑いのだが、バテているのだが、朝から作業。

のんびりしてみたり、と思えば異常なほどに忙しく動いてみたり、農業者(というか私)の行動は理解されないことが多い。これまでにもずいぶんと不思議がられてきたし、ずいぶんとその理由を語ってきた。

何度でも言わせてもらうと、「タイミングがある」のだ。その時にやらないとひどい目にあうのだ。反対に、やってはいけない時にやってしまってもひどい目にあうのだ。だから適期にしか動けない。やりダメも効かない。そういう仕事をやっているのだ。

このことは不思議なくらい理解してもらえないことである。一度聞けば分かりそうなものだと私には思えるが、それだけ自然とかい離した生活が蔓延してしまっていると考えると仕方のないことかもしれない。しかし不満は、農業を志望する若者の中にもなかなか理解できない子がいる。こういう子は、いろんな意味で、無理である。

今、多くのタイミングがやってきている。

先日までやっていた大豆の土寄せ。予期せぬ雨続きのせいでこの時期になった。今やらないと大豆が草に覆われて育たない。

一昨日、昨日とやったニンジンの畝立て。太陽熱マルチと平行なので、畑の土が湿り過ぎず乾き過ぎずの状態の時にやらないと、ニンジンが草に覆われて育たない。

今日やっているモアによる圃場周囲や農道の雑草の粉砕。猛烈に生やしてしまっているので、お盆前には刈らないと如何にもヒンシュク。また圃場内のものは雑草の種を大量に落とさないよう一刻も早く刈ったり抜いたりしなければならない。

わかった?

8/10 なぜ農民は暑いのだ

だめだな~、あまりの暑さでバテバテで何も考える気がおこらん・・。いろいろ考えんとならんことが多いんだけど、どうもね。段取りが後手後手にならんようにせんといかんのだけど。

以前に書いたことがあったけど、他の業種、例えば建設関係の人たち、どんな炎天下でもきっちり働いている。私も3年半、土木の現場で働いたけど暑い中で意外としっかり動けていた。

でも農作業となると違うんだな。格段と疲れるというか、暑さを感じるというか。何が違うのだ?自分なりの仮説はあるんだけど、それがすべてではないような。

昼寝したい。

8/9 ようやく大豆の土寄せ

最近のん気なことを書いているが、作業は忙しく、極暑との戦いは忍耐の日々。

6月繁忙期の残党の大豆の1回目の土寄せ作業。残っていた4.5haを一昨日、昨日で終わらせた。今年は種まきは遅れたが、期待した連日の夏日で雑草対策は楽勝!とふんでいた。ところが予想外に先週いっぱい続いた長雨と豪雨。大豆は湿害で弱ってしまったし、畑が乾くまで待っている間に雑草は伸び放題。すっかりタイミングが外れてしまった中での土寄せ作業。効果は如何ばかりか。

土寄せをすれば畑は乾く。大豆にとって好条件が回復し、少しでも元気になっておくれと祈りながら、心をこめての機械の運転。しかし極暑。途中ときどき下手くそなところがあっても、バックしてまでやり直すのがつい億劫になる。しかし敢えてやる。いつもならやらない程度でもやる。むしろこういう時にやる。合理的ではないかもしれないが、こうやって自分に歯止めをかける。

ケツの肉が薄いので、毎年この作業の時は汗と摩擦でケツの皮がヒリヒリになる。何に耐えるって暑さの次はこのヒリヒリ。そして今日ようやくニンジンの畝立て兼太陽熱マルチ。違うトラクターにまたがって、続いてケツの痛みに耐える。

開始早々、尾輪が外れてナットの紛失。マジかよ~。太陽に焼かれながらひたすら土をまさぐりナットを探す。見つからない、そして暑さ限界。応急処置で続けることにし、昼飯休憩に撤退。そしてさあ、また行くぞ。暑さと、ケツの痛みと、尾輪の破損との戦い、第2ラウンド。

8/8 秋まきゴボウの洪水対策

洪水になる前にケリがつくように、秋まきゴボウの収穫時期を早める方法を考えている。実はこのことは簡単で、播種時期を早めればよい。

しかしそうすると新たな手間や問題も起こってくる。簡単にいうと「薹(とう)立ち」と雑草、害虫の問題。過去にはいくらか試してきたが、やっぱり不安要素が大きいと判断してやめている。しかし洪水の方がよっぽど不安なことだから、これらの問題を今一度検討していく必要があるだろう。

同時に自家採種を続けて、選抜時に早く太ったゴボウを残していくという努力がいる。今でもそういう視点でやってはいるが、技術的に曖昧ということと、自家採種を始めたのがまだ2010年からで、しかもゴボウは種ができるまで2年越しなので純度を高めていくには年数がかかるということがある。

それから「抜けないゴボウ」問題。今年も最後の4日はユンボを使っての収穫だったが、これをやっていては収穫期間がながくなる。このたびだって抜けてさえくれていれば、あの長雨の前に掘り上げられたのだ。対策を急ぐ。

見逃してはならないのが排水対策。そもそもこのたび腐らしてしまったのは排水対策が甘かったためである。そこを過剰対策なみにやるということ。洪水になれば畑が数メートルの川の底になるわけで排水対策もヘッタクレもないじゃないかという気がしないでもないが、洪水にも程度があるし、やらないよりやった方がいいことは間違いないだろう。

8/7 洪水を避ける作型のカラクリ

当地は古くからゴボウの生産地であったが、秋まきの作型は歴史が浅い。私の記憶では20~30年前に洪水の被害を受ける春まき型に代わる作型として、有志が群馬県へ視察に行き取り入れられたはずである。

洪水が来るのは大体7月。それまでに、つまり6月中には収穫が出来る作型として当地で定着したらしい。

うちでも栽培当初は6月中旬には収穫を始め、7月中には終わっていた。それで2010年の7月14日の洪水のときも、大部分はすでに収穫してしまっていて残りがわずかだったため被害を免れている。

それが近年では無肥料管理、あるいは減肥料管理のため生育が遅くなり、収穫期が遅れている。今年は7月1日開始、今日終了。昨年は7月9日開始、8月9日終了。一昨年は6月24日開始、なんと9月1日終了。生育は圃場の特性によって大きく左右される(天候よりもこちらが大きい)し、栽培面積を増やしているので一概には言えないのだが、傾向としては明らかに遅くなりつつある。

今でも、肥料をたくさん使われる周囲の方々は早い人なら5月中に収穫を始めているし、私のように遅い人は皆無。

つまり、この作型で洪水を避けるためには、図らずして肥料を使うという前提があるのである。今さらながらこのことを痛感しているわけなのだ・・。

洪水で大きなのが2006、2010と来ている。次は来年あたりか。対策は急ぐ。

続く。

8/6 「洪水との共存」の新たな難題

秋まきゴボウの収穫が96%終わった。

例年なら、終わる!という感慨があるのだが、今年は違う。過去最悪の収量ということはあるが、さらに昨日からは実に悩ましいことに直面している。

ゴボウが地面の中で腐っているのだ。

原因は先週の大雨続きに間違いはない。2010年にも雨で同じような症状が出た。しかしこのときは圃場のごく一部だったし、総じてその圃場は水はけがピカ一ではなかったので、あまり気にすることもなかった。

しかしこのたびの圃場は水はけは抜群、しかもかなりのまとまった面積で腐れが発生している。

ただでさえ歩留まりが悪いところに、かろうじて長く立派に育ったゴボウがことごとく腐れている。収量は通常の2割程度。ああ~、泣きたくなる。

そして泣いている場合ではないことが、洪水にあったらどうなるか、という心配である。これまでの洪水では、2006年はごく小面積の作付だったため既に掘り上げた後だったし、2010年のときはまともに冠水したが、残りがわずかだったので2~3日で掘り上げることができた。もしまだ収穫の真っ最中で多くが冠水してしまえば、おそらくこの度みたいに腐ってしまうと考えるのが妥当だろう。

うちはこの作型で食っているというのに、やっかいな悩みができた。今さらかーという気がしないでもないが、初めてのことをやるわけだから、まずは10年くらいはやってみないと問題点は網羅できない。

続く。

8/5 やさか仙人物語

うちが何かとお世話になっている「やさか共同農場」が本になっている。

「やさか仙人物語」 ~地域・人と協同して歩んだ「やさか共同農場」の40年~

早朝のゴボウの収穫作業を終えてヘトヘトで事務所へ行ったら、この本が送られてきていた。

休憩がてらにさっそく覗いてみたが、何と面白い!今日は作業がタイトでゆっくり休憩している場合ではないのだが、本が離せない。いい加減に、えいや!と閉じて作業へ戻ったが、勝手に興奮して体に力がみなぎっている自分がいた。ホント、俺って単純だよな。

知っている人たちが載っているということはあるだろう。文体が素晴らしく読みやすいということもあるだろう。しかしそれらを遥かに凌いでネタが凄い。皆さんの生き様が凄い。よくぞこれだけ粒が揃っている。これは現実以上の物語だ!と思わざるを得ない。

隙間を見て早く読みたい。でもその隙間が厳しい。家に帰れば息子が許してくれそうにないし、何より今週は6月繁忙期の残党と戦わねばならない。まあすぐに読まん方がいいか。なんせ40年だもんな。とわけのわからん屁理屈でも言ってみる。

8/3 生存記念日

家の横を流れる小川の増水した音がうるさくて落ち着かない。イノシシはまだかわいいとして、クマや人間でも不審者が近づいてくる物音などはまったくかき消されてしまう。ここ数日のように大雨が続いていれば、裏山の崩れやすべりなどの兆候の音にも気にしなければならないが、これもダメである。先日の雨が一番強かった日には井戸水が濁った。井戸水の濁りは通常ならNG。明らかに近辺に異変がある。しかしうちの井戸水は地下水というより伏流水だから、目の前の小川があまりに濁ったから濁ったのだろうと結論付けた。こんなことでもピリピリしているから、なおさら増水の音による「耳かくし」を不安に感じることになる。

大げさと思われかねないが、私はいつの頃からか、不意の命の危険に対し敏感になった。家にいれば、クマが家に入ってきたらこうしよう、家族がこっちにいる時ならああして、あっちにいる時ならこうして、などとパターン化もする。人ごみを歩いているときには、狂人が襲ってきたらこうしよう、ああしよう。街中で息子を抱っこするときはなるべく左手で抱えて、利き腕の右手は常に空けておこう、などとそんなことを自然に考えるようになっている。もちろん構えて考えているのでなく、自然と湧き上がってくることである。

こうなった大きなきっかけはやはり24歳の時の今日の出来事(過去ブログはこちらから)だろうと思われるが、それだけでなくて、学生時代に山にどっぷりつかったことがきっとある。山中の野営は数えきれないほどやったが、あの当時から沢の音がうるさいところでは落ち着かなかった。そりゃあそうだ。夜中のしょんべんでテントから出ると、藪の闇に獣の目らしい光が浮かんでいることもしばしば。ガサガサという音で獣などの気配が感じられるかどうかは重要なことである。

こういうことが進んできて、次には「違和感」ということになる。視覚、聴覚、嗅覚・・などの五感にとどまらず、第六感というのかどうか、具体的には何もなくても、どうも違和感があるぞというシーンがある。単に命の危険だけでなく、今の農業経営だってずいぶんこれに助けられてきたと思っている。

こういうことって昔の人は当たり前のようにあったのではないかと考える。坂本竜馬も少々酒が入っていたって刺客の気配などを逃すものではないだろうが、そこが紙一重の世界。生と死を分けるものは常に紙一重。

こんなことを意識しながら生きるのは大変だろうから、無意識のうちに感じらえるようになった自分を気に入っている。しかし本当で気に入ってしまうと勘違いが始まるので、あまり頭で考えるのをやめて、日々の農業経営で挫かれているくらいでちょうどいい、私は。

もうすぐ乾杯の午後3時。

8/2 「土に合った管理」ではいけない

最近、今年のゴボウが悪いと書いた。11月に種を蒔き今ごろ収穫する作型は高いレベルで収量と歩留まりが安定していて、私ら一家はこの作型に食わせてもらっているようなものだが、今年はこの作型が始まって以来の悪さなのである。

とにかく収量が少ない。そして歩留まりが悪い、つまり規格外が多いということ。おかげで冷蔵庫の中はガラガラ。1年近くも栽培をしてきて最後がこれでは、冷蔵庫の中を見るたびにため息が出る。

圃場は2枚あって、1枚はこれまでに隔年で3度栽培してきてすべてで素晴らしい出来だった畑だが、4度目のこのたびもいい出来であった。

もう1枚が悪かった。4年前に一度この作型をやっていい結果だった。うちが借りる前は地元の農家さんが、たしか5年くらいゴボウを連作されていたはず(もちろんクロピク使って)。「この界隈では最高の畑だよ。」と言って高齢でやめられたのだが、後をうちが借りた。

今年悪かった原因は分かるようで分からない。今の私の見識では、昨年の夏~種まき前までの管理が悪かったということになっているのだが、自信の程はそう高くない。これまでにも同じような管理をしてきて失敗はしていないからだ。しかし畑の土は常に変わっている。私の管理が一緒でも土が変わっているのだから、管理の妥当性の評価は簡単ではない。

近頃思うが、土にあった管理、というのは違うような気がしている。管理とは人間の都合、例えばなるべく楽をしたいとか、草がはびこると収量が減るとか、そういうことばかりで、作物にとっては不耕起の土に種だけ落とされるというのが一番居心地がいいのではないか。だからどんな管理だって基本的には土や作物にとっては悪いことであって、悪いんだけど仕方がないからなるべく土や作物にマシなことをやるに過ぎないということ。土のキャパシティが人間の過ちを包有できる範囲の管理をすべきということ。

「自然(な状態)には自然な管理を、不自然(な状態)には少しの不自然な管理を。」ということは大事と思っているが、この圃場はまだまだ不自然な状態であって、私の不自然な管理をたまたま包有できない状態だった(に変わった)のではないかと考える。

と御託を並べても仕方がない。しょせんは「人間の浅知恵」。そこに陥らないように原則に立ち戻って考えるべし。

8/1 集落の水源の崩壊

このたびの雨はしつこくて参っている。ちょうど梅雨明け時の感じ。今年は梅雨明けが遅いと考えていたが、最後だけやってきたと考えれば当たりなのかどうか。

大雨の被害とは次第に明らかになってくるものだ。今朝、田んぼの見回り中に集落の長から電話があり、山水の水源が壊滅状態とのこと。うちでは昨年引っ越した機に、上水道を止めて昔ながらの山水に切り替えた。その山水は2キロくらい谷を上ったところに水源があり、そこからパイプで引かれている。

まず水源が土砂ですっかり埋まってしまった。そしてこのたび厄介なのが、泥を沈殿させたり何なりで途中2か所にタンクが設置されていているのだが、沢がえぐり取られ、その1つのタンクが沢に落ちてしまったのだ。

そこで集落の有志3人で復旧作業。ワイヤーでタンクを引っ張り上げ、その後水源を埋めた土砂を取り除いた。

めったにないこととはいえ、これからも確実にこういうことは起きる。次第に集落の人が減る上に、山水に価値を見る人も減って山水を取水する人が減るだろうから、復旧作業もそう遠くないうちに私一人でやらなくてはならなくなるだろう。今日はまだ時間がとれたからよかったが、作業のタイミングがあるときには痺れることになる。しかし生活が出来なくなるのだから、作業だ何だと言っている場合でなくて、当然こちらが優先になる。

上水道に切り替えればいいようなものだが、できればそれはしたくない。田舎生活の豊かさとシビアさは紙一重の典型。こういうシビアさをシビアと思わないようなタフさが求められる。このことは職人の修行などときわめて似ていると思うが、田舎で生きてきた人たちは特別求めたわけではなくても、自然と職人的修行をしてきたようなものである。田舎にはそういう「人を育てる」地力という価値があった。

今、田舎にそういう価値を見出す人は少ないだろう。しかしそこにどっぷり浸かって、一見価値のなさそうなことに地味に頑なに固執して頑張る人は絶対に必要である。価値は流行であるが、田舎の暮らしの本質に流行はない。時代を読みたいのなら、そういう立場に身を置くのもいいだろう。そういう人は圧倒的にまれであるから、なおさらそんなことを思う。

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魚コロッケ(送料込)

販売価格(税込): 3,240 円

イベントで2000個売れた大人気の蒲鉾屋さんの魚コロッケ!贈り物にお弁当やおつまみに子供から大人までリピート多数の人気商品です!

ごぼちく(送料込)

販売価格(税込): 3,240 円

水で溶くだけの衣付だから、お家で揚げたてを食べられます。ボリューム満点のごぼちくは、1本だけでもおかずにおつまみに十分です!

かまぼこ・揚げ物詰め合わせ 5,000円セット(送料込)

販売価格(税込): 5,400 円

ギフトに喜ばれる住京蒲鉾店のイチオシセット!人気のすまき蒲鉾から、おつまみにも最適な天ぷらなどギュッとつまったギフトセットです

ミニ瓦 5枚セット

販売価格(税込): 2,160 円

職人が1枚1枚手作りするミニ瓦。和菓子の受け皿や、お香をおいたり、アロマキャンドルをおいたり、ジュエリーをおいたりと用途は様々。お部屋のアクセントにもなります。

瓦箸置(唐草) 5個セット

販売価格(税込): 3,240 円

島根県石見地方にある江津市で製造が盛んな石州瓦。この瓦をそのままミニチュアサイズにした箸置きです。

瓦根付 1個入り

販売価格(税込): 918 円

石州瓦をそのまま小さくした粋な根付。携帯ストラップや鍵につけたり、着物の帯につけたり。赤茶色といぶし銀、大切な人とペアでつけても渋くて素敵です。

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