はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2014年10月の記事

10/30 中断

もう一回簡単に続けたかったが、今日は暇なし。

書きつつも、週末の雨予報を前に怒涛のように進めてきたが、迫ってくると生きた心地がせんよ。寒くなりゆくこの季節は一雨来るとできなくなる作業が増えてくるのだ。ゆめゆめタイミングを逃がすまじ。私らにとっては当たり前のこの理屈がなかなか分かってもらえんのだよね。

10/29 土壌分析が不要になった

かつて一辺倒だった、土壌分析~施肥設計~肥料駆使の手法をやめ、経営を楽にするために対症対応と根本対応を意識して自然栽培へ向かったことを昨日書いた。

タイトルに「土壌分析の勧め」などと書きながら、では私は対症対応としての施肥栽培で土壌分析をしているかといえば、実はしていない。すっかりやめてしまった。必要が無くなったからである。

うちの畑のメインはゴボウ栽培であるが、圃場条件によって、自然栽培をする圃場、施肥をする圃場と分けている。近年ではどちらも2~3年に1回は作付けをするようになっているのだが、自然栽培圃場はもちろん、施肥栽培圃場でも間作としての大麦や緑肥の作付けは無施肥である。

そしてゴボウの作付けの回。今では購入した有機肥料をチョロチョロっと撒いておけば十分。土壌分析などまったく必要ない。基本は追肥で、ただしトンネル栽培は追肥が難しいので元肥に。極めてよく育つ。これは以前にはなかったこと。自然栽培を意識した管理が、施肥管理にも好影響をもたらしたのだ。

輪作の一例として、チョロチョロ施肥ゴボウ → 緑肥(無施肥) → 大麦(無施肥) → チョロチョロ施肥ゴボウ、の繰り返し。楽になった。

そしてとにかく作物を植え続けることで土に粘りを出し、自然栽培でいけるようになったら切り替える予定。上のサイクルは、あくまでもいつかは自然栽培に転換するためのもので、そういう意味でも理にかなっていると考えている。本当は有機肥料ではなく、インパクトの少ない化学肥料を使いたいのだが、誤解が幅を利かせた世間では、販売の都合上で有機肥料を使わざるを得ない。

10/28 土壌分析の勧め

昨日の続きで、農業ネタを。

よく「土壌分析ってどうなん?」と聞かれることがある。栽培にあたって、土壌の化学性を分析して足りない養分を肥料を駆使して補うというものであるが、施肥をしない自然栽培をやっている私の視点を求めて聞かれるのだろう。

実は私もかつてはこの土壌分析をよくやっていた。2004年に今の農業を始めてからすぐさま取り入れた。当時は「脱・勘と経験の有機栽培」と全国的に流行り始めていた頃だったと思う。何事にも遅れている島根では、私の周囲でやっている人は誰もいなかった。この界隈では私が一番早いのではないか。

「ドクターソイル」とか「デジタル分析器」とか買い込んで、講習に参加して、壊滅に近かったゴボウ栽培を軌道に乗せようと必死だった。その甲斐は確かにあった。始めの3年間は毎年わずか30万円くらいだった売り上げがその後2年のうちに一気に数百万円になったことには、土壌分析~施肥設計~肥料駆使という手法の貢献が確かにあった。

しかしその後、自然栽培に出会ってやめてしまった。この手法は百発百中でなかったし、そのくせ分析の手間、施肥の手間、経費があまりにもかかりすぎてくたびれてしまったのだ。そして不自然を不自然によってカバーするというこの手法を続ける限りは、マッチポンプで「いつまでも楽にならない」の典型ではないかと思うようになったのだ。

そして今は、根本的に楽になることを目指して基本は自然栽培。自然栽培は、「自然界の原理原則に沿ってやれば根本的によくなりますよ、ただし時間はかかりますよ。」というもの。だから全部これでやるのは「今が楽にならない」。だから自然栽培では育たないなと思われる畑では施肥をしている。

こういう変遷を経た私に言わせると、肥料駆使栽培は「対症療法」、自然栽培は「根本療法」である。どちらか一辺倒では上手くいかない。農業の分野では農法による人の断絶が多いけれど、ただそれだけのことではないか。本来両者に垣根はないはず。

それに垣根ができるのは、対症と根本の理解がないからである。対症一辺倒の人は根本療法のよさを知ろうとしないし、根本一辺倒の人は対症療法は邪道と考えている。生活には無意識に両者を取り込んでいるにも関わらず、こだわるところではシャットアウト。外から眺めると結構笑えそう。

先鋭的な農家の間では「農法の垣根を超え、(農法)でなくて(技術)を語ろう」ということがネット上で盛り上がっているようだ。これも間違いではないが足りないと思う。何のために語るかを今一度考え、人も地球も楽になる方向を見据えた上での議論にしたい。

根本解決をしっかり見据え、対症的位置づけとして明確な行為であるなら肥料だって(農薬だって)どんどん使えばいい。しかしむやみに使うのでは失敗するし、根本解決への移行時に取り返しがつかなくなる。だから土壌分析の勧め。しっかり分析して、施肥設計して、しっかり経営を成り立たせるのがいい。ただしつこいようだが、それ一辺倒ではいつかくたびれる。これは私の経験。

人と地球が楽になる栽培(技術)。それは今のところ自然栽培しかないと考えている。私の自然栽培歴もまだ6年目に入ったばかり。さてこれからどうなるか。

10/27 自然栽培農家として今後伝えていくこと

先日の農業大学校の講義では、自然栽培を始めてから痛感していることの一つ、「対症的」解決と「根本的」解決のバランスをうまくとりながら経営を作っていくことをメインに話させてもらったが、話しながら、自分が今後人生をかけて広く伝えていくべきはこのことかなあと思ったことだ。

本物の実践は簡単、しかし続けるのが難しい。ということを、何か本物をやりたいんだという若者と会うたびに伝えているが、「対症」と「根本」のバランスをとるということは「続ける」ための技術に他ならない。

根本的手法のみでは「今が楽にならない」。かといって対症的手法のみでは「いつまでも楽にならない」。この「今」と「いつまでも」の2つのバランス。それを考えて「続けて」いけることを目指す。

うちの場合の例えの一つとして、自然栽培と施肥のバランス。経営向上のための根本的対応としての自然栽培。対症的対応としての施肥。これまでは「想い」からどうしても自然栽培の割合に偏っていたが、経営を「続ける」ために施肥の価値を今一度見直してみようと考えている。

ということは自分の中で消化できていなかっただけで、実は自然栽培を始めるに当たって先達からしつこいほど言われていた、「一気に転換しようとするな」ということに過ぎないのだが。

自分が直面している問題に対し、「対症的解決」と「根本的解決」の双方の視点を意識してみると面白い。人間とはとかく刺激や変化を欲しがる生き物だが、人間をとりまく自然界や社会は保守的である。息の長い取り組みを目指すのであれば、これら双方の視点が必要だろうと思われる。

そして常に冷静にわきまえておきたいのが、どんな分野でも「対症的解決の陰に業界あり」、ということ。といっても業界を否定するものではなく、踊らされることなく上手に付き合っていくべきと考える。

10/25 集落の祭り

今日明日は集落のお祭り。今年は神楽があって、準備は我らが「御嶽会」の番。作業ができんのがしびれるけど、それを言ったら神様に叱られる。百姓なんだから今年の実りをしっかり感謝するのだよ。

10/24 連日の授業

一昨日から、農業大学校、島根県立大とはしご。

農大のほうは、農業を始めたきっかけ、一般有機栽培から自然栽培へ移行した経過、「対症」と「根本」を柱にした経営の視点などを、つい調子に乗って2時間も。振り返って悪くはなかったと思うが、もう少し主題の置き所を考えればよかったかなあと反省。社会人聴講生には良かったのではと思うが、学生にはどうだったか。

最後にこれから社会に旅立つ学生に向けて求められたメッセージでも、働き始めて最初はきっと邪魔になっているよ、ということを言ったのはいいと思うが、だから何なんだというフォローをしなかった。

そんなことを昨夜女房と話していたら、すぐに結論を欲しがる今時の若者の傾向からすればいくらか考えさせる内容はいいのではないか、と。そうだった。「こうすればああなる」世の中ではないのだ、ということを私は若者に知ってもらいたいのだ。最後に内田樹の「修業論」だけは前書きのみでいいから絶対読んで欲しいと言っておいたし、これでツジツマ合うか。あれいい本だよな。

県大は、うちのゴボウの取り組みをメインに。という打ち合わせだったのだが、その場の雰囲気の良さに、いい気になってついベラベラと脱線する悪い癖。肝心の部分がずいぶんと駆け足に。猛反省。まあ彼らとは再来週にも会うので、そのときに補足のつもり。

それにしても県大の評判は聞いているが、1年生でそれってありかね、というほどみんなしっかりしていてビックリ。今時の子って鍛えられる機会が多いみたいだしね。

あとは「打たれ強さ」か。ここさえあれば、有望な子って多いんだろう思う。だから修業論か(笑)。こちらでは触れなかった。次回忘れずに薦めておこう。

10/23 グリーンモールの食の祭典

そういえば明後日から、江津市内のショッピングセンター「グリーンモール」で、食の祭典のイベントがある。初日の25日(土)には、有坂翔太のクッキングライブというのがあって、うちのゴボウを使っていただけることになっている。

有坂翔太って、うちにはテレビがないから知らないのだけど、「イケメン」シェフで有名なんだってねえ。

11時からと14時からの2回やるらしい。私もなんとか11時の回に覗いてみたいと思っている。

10/21 慌ただしく動き回っている

いや~落ち込んでる場合ではないよ。気遣いの連絡もいただいたりしたが、大丈夫。春まきゴボウの収穫も始まったし、トラクターも故障するし、雨前の段取りで右往左往。忙しく動き回っている。

明日は大田、明後日は浜田で、若者を前に事例発表。今までに使った資料の継ぎはぎでとどめておけば良さそうなものだが、つい手を入れてしまう。私の考えが常に変わって(進歩して?)いるからだ。

気持ちのリズム的には気が乗らない山にあるが、割り切って偉そうに演じてこよう。こういうことも私の役割だろうから。

10/17 ただのボヤキ

なんとも清清しい秋の日。沈んだ気持ちも洗われる。今年の我が家はもう寒い。冬が来るのは早いかもしれない。

この時期の我が家の暖房は火鉢だけなのだが、息子が朝起きると、まずは火鉢のところに来て正座して手のひらをかざすしぐさがほほえましい。そして栗を焼けとせがむ。焼いて私が皮をむいてやると、リスのようにむさぼる。休日に一緒に居てやれないことが多いので、こういう朝が愛おしくて、作業がどうにもならんくらいに押しているのに、つい早く家を出ることができずにいる。

日の入りが早くなった。天気によっては18時ではもう暗い。作業本線に、ただの耕うんとか暗くてもできることがあればいいのだが、そうでないことが多い。第2の繁忙期の11月を目前にして、どうにも回らない状態になってきている。疲れも溜まっているので今週末は出張を兼ねて一日休むつもりでいるし、来週は事例発表の予定が2件と集落の祭りの準備がある。当面のタイミングごとを、さあ、どう凌ぐか・・。

今日は午後から春まきゴボウの収穫準備のつもり。予定より半月遅れ。毎年恒例の辛抱の作業がまた始まる。8月6日の洪水のせいで期待はしていない。期待ができない作業だからなおさら気持ちを立てることにエネルギーを使う。

ずいぶんと愚痴っぽい。こうやって一々気が沈んで効率が落ちることがないように鍛えるのが「修行」という行為だったはずだが、どうにも身についていないようだ。こんなアホなことを書いていないで、畑に出なければ。

10/16 このたびのことが悔しくてならない

昨日の撃沈事のショックがまだ抜けきれずにいる。誤解を招くことも考えられるので詳細は書きにくいが、経営的に大打撃のこと。金銭的なことはもちろんあるが、それよりも「期待」に添えないということが悔しくてならない。今はただ、お世話になっている方々にすがり、かけるご迷惑が少しでも軽くなることを祈るしかない。

洪水被害の原因を筆頭に、経営的にはいつもハラハラでやっている。予期せぬことや未経験のことで数十万が飛ぶことはザラだし数百万が消えることもある。洪水などのどうしようもないものもあるが、冷静に考えると実は私に原因がある場合が多い。技術が低いというのはまだ10年選手だからということで慰めるとして、自分なりの「拘り」や「勘違い」、これらで周囲の人を巻き込むことは避けなければならない。

農産物を作って売る商売だ。作るのは私の自由だが、買ってくれる人がいなければ成り立たない。うちは実に多くの方々(バイヤーさんも消費者も)にお世話になっている。とりわけ米、麦、大豆でお世話になっている「やさか共同農場」さんの存在。これまでにずいぶんとご迷惑をかけ助けていただいている。思い返すとどうにもこうにも不甲斐なくて仕方がない。

このたびのこと、同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。だから今後をどうするかという問題。気持ちを振り切ってそこに気持ちを向けて行きたいが・・・どうにもダメだ。いろんな下向きの気持ちが波状攻撃で襲ってくる。書けば少しすっきりするかと思ったが、余計に辛くなってしまった。

10/15 撃沈

またもやお世話になっている人らの期待を裏切ることになる。こういうのが一番しんどいねえ。 考え抜き、粘り抜くしかないか。体や気持ちはくたびれんようにせんとな。

10/14 ゴボウ種子の調整

今年もゴボウの種の調整の季節。すでに先週のことだが、作業の合間をぬってこんな感じで。

摘み取っておいた種房を改めてカラカラに干して、これを靴のまま踏むと種が出てくる。

篩で篩って、

トウミで風選、

最後はバケツに真水で泳がせ水選。そして乾燥。右下から、秋まきゴボウから採ったもの、春まきゴボウから採ったもの、真水選で浮いたもの(廃棄)。

廃棄分まで乾かすのは、乾重量を測って歩留まりのデータを取っておきたいから。このやり方で4年目になるが、どの程度の加減で作業をすれば、どの程度の採種量や発芽率になるか、ということが大体分かってきた。始めたころは不安でたまらなかったが、今では余裕。

ただ今年は雨続きで種房の中で発芽したものが多かったのでそれが不安。ただ水選で浮いたものが多かったのでここで取り除けたのではないか。全体量は案の定、昨年より少なかった。昨年はネズミ害から生き残った1株から、今年は8株から採ったというのに!来年は雨よけ対策を考えたい。

出来た種は、メーカーに「ひも」に加工してもらうべく、現在旅立ち中。

10/12 委託作業が無事終了

委託先のご協力で台風の前に色選作業を終え、無事全量引き取ることが出来た。写真は5往復の最終便。安堵感が半端でない。ありがとう、トシちゃん。

イベントにも顔を出せたし今日は良かった。そして改めて何の変哲もない一日に感謝。

明日はちょっと休みたい。ちょうど大荒れになりそうだし。不安でうろうろしないで済むように、今日はこれから圃場や施設の点検および補強。かつて屋根のトタンが飛び、シャッターがへこむなどの被害を受けたこともあったが、その手のはしょうがないわな。

10/11 台風前の委託作業

台風が迫っている中、お米の色選作業の委託先の計らいで今日お米を搬入できた。急いでやってくれるとのことで、明日の日中は天気が持ちそうな予報なので、もしかすると明日中に全量引き上げが可能かもしれない。

しかし明日は先日紹介したイベントに顔を出したいし、一昨日訪ねて来てくれた主催者側にも行くと伝えてあるのだが、さあどうなるか。

それから明日は台風に備えた養生もあちこちでしておかなければならない。畑はどうにもならないので、施設周りを。

台風を始め、いろいろなことがトラブルなく進んで欲しいと思って胃が痛い。

10/10 無常に心を静める

秋まきゴボウの収穫を連日やっている。あと2時間で終わりそう。ゴールは見えた。

ユンボの燃料に石油を燃やしながらの作業であるが、たった1本を抜くために大穴を掘ったりなので、あまりに虚しい。人間というか、私というか、地球にとっては何ともくだらない存在だなあと、吸い込まれそうに美しい青空を見上げると、ふと思ってしまう。

ときどき御岳の災害現場を思い、もし息子と女房と一緒に居たらなどと考えたりしてしまって、子への、子孫への、想いを新たにしたりする。

リーマンショック、ならぬマーリーショックも。なんのこっちゃ。

世は何としても無常である。命さえあれば何とでもなる、と思う一方で、その命があるから人間は悩み苦しむのだ、などと、躍動感をもって鈴なりに花をつけた自宅の庭のグミの木を見てぼんやりとしてしまった。何とも沈んだような静かな気持ちの今日の昼下がり。

10/8 台風19号が来る

相当やばそうな台風19号が近づいてきている。今のままでは直撃コース。洪水は過去をひも解くと案外10月に起こっている。7月に大きな洪水が来た2006年も、10月に再度田津地区の一部は浸かった。お世話になっている近くの方が、「寒試し」にて10月上旬の災害をすでに半年も前に予言しているだけに不気味である。

台風が来るからと言って、うちらのような露地栽培では田畑はどうしようもないのだけど、一番気を揉んでいるのが、ちょうど今週末連休でお米の色彩選別作業を予定していること。屋根のないトラックで委託先まで何往復かしなければならない。相手の都合もあることなので出来ればスムーズに進めたい。しかしどうも黄色信号。

畑の方は洪水になるなら、耕さない、などのそれなりの管理をする必要があるが、あまりに不確定なことに振り回されるわけにもいかない。昨年の教訓から9月上旬には裸地を作らない管理体系を作ったが、今の時期にそんなことをしていたら次の作付け準備ができない。昨日から粛々とプラソイラがけを進めている。

10/7 「規格外ごぼう」と「ごぼう茶」のネット販売

規格外の自然栽培ゴボウのネット販売を再開した。在庫を抱えているのでもっと早くやればよかったが、なにぶんその準備の暇がない。たくさんあるし、品質が規格品に比べてバラバラなので、かなり安くしておいた。

規格外品の値段というのは、収穫作業のやり方で変わってくる。

例えばいっせいに収穫して調整ラインに流れて、端っこのコンテナに勝手に溜まってくる、というのならタダ同然で売ることもできる。抱えてたってその廃棄の処理で大変だから。しかしうちの規格外ゴボウはわざわざ手間をかけて畑から引き上げてきている。いくらかは値段をつけなくては合わない。

ネット販売の期間は未定。流れ具合とこれから掘りあがるゴボウの様子次第である。

それから「ゴボウ茶」の販売も始めた。これは実は昨年から、知る人ぞ知るで販売してきた。意味はない。やろうやろうと思いつつ、ついついついになってしまっただけ・・。情けなし。

ゴボウ茶は、お世話になっている舞乃市さんの商品で、うちは原料を供給し、販売に協力しているということ。原料はすべてうちのゴボウで間違いなし。ゴボウ茶には機能性があるとか健康にとっていいとか悪いとか、そんなことを日ごろから考えるから病気になるんだよ、あんた。何の機能性もなし!健康にとっても何のメリットもなし!と言っておきたい。田津の深い土地というか地球の滋養を頂くということで飲めば十分。

10/6 大豆畑を潰す

3日前の夕方、イノシシにやられた田津地区の大豆畑50aをモアで潰した。

今年の奴らのやり口の特徴は、株を倒さずにサヤだけを食べる! 写真のように8割の株は立っているが、サヤは99%食べつくされている。ついでに葉っぱも食べているのでこのように貧相に見える。

自分の自給を2000円として、諸経費、機械の損料など、ここまでにかけた出費はおよそ20万円。 これがすべてパアになった計算。痺れるねえ。

こういうロスを減らしていくことがうちの経営に今もっとも求められていること。その筆頭が春まきゴボウの洪水被害。

ロスを減らし、歩留まりを上げる。という当たり前のことが経営をしっかり立てる一番の早道。加工するとか販売するとかは最後の最後に考えるべきこと。今日は事務所にこもって次期からの大豆についてその算段。具体的には電気柵設置計画。増える手間は重箱の隅を突きつくすつもりで5分を100個減らす感じで相殺していく。前月くらいからずっと考えているだけあって、いい案が積み重なっている。こういう時って未来を感じれて楽しいんだよね。

10/5 KANETAムラハジメPROJECT

来週末(10~12日)に、市内で「KANETAムラハジメPROJECT」というイベントがある。わが田津地区から、三江線で3駅隣り、江の川の下流の金田という小さな集落が開催地である。

イベントはあくまで皮切りに過ぎず、ゆくゆくのミッションは一つ、「新たな産業を創出すること」らしい。このままではムラオサメ(村の消滅)になってしまう、集落を存続させたい!という命題に果敢に取り組もうという。粋ではないか。まあサイトを見てもらいたい。私はあまり時間が自由に取れそうにないが必ずのぞいてみようと思っている。

私の今の農業の取り組みも、見方を変えればこのイベントの趣旨と似ているかもしれない。同じようにいつかなくなるであろう江の川沿いのド過疎の田津集落を舞台に、その地に経済的・社会的価値を生み出そうとする行為。幸いこの地には類稀な「土」という資源があった。このことに気づくのに数年かかったが、結果としてこれを生かす手法を取っていることになる。もっとも単に農業をやりたかった私の成り行きというのがあるが。

市報の今月号は「消えてたまるか」というサブタイトル。国に消滅の可能性があるとされたことを合併10周年に絡めた特集だ。気持ちはわかるが、これはどちらかというと旧江津市の人たちの思いであって、存続の怪しさから吸収合併された旧桜江町側では少し意識が進んでいる(遅れている?)のかなあと思っている。

旧桜江町の中でも人口減少著しい川越地区(田津地区はここに含まれる)で生まれ育ち、今も新たにここに居を構え仕事としても恩恵を頂いている私には、(それほど地域活動に首を突っ込んでないためそれほど当地の人の代弁的な感想ではないかもしれないが、)多くの人にはすでに諦め感がある気がする。正確には、諦め感というより無常感。衰退もはかない自然の理の一つとして受け入れる、とよく解釈するとこんなところか。

何をのんきな、ということになるのかもしれないが、私は最近こういう感覚が好きである。

対症的解決への傾倒がもたらす顛末はどこにでも散見される。衰退とは?活性化とは?消滅とは?幸福とは?根本的にそんなことを今一度考えてみたい。そのためには歴史あり広大にして閉塞感漂うここ川越地区に住むことは最高かもしれない。無常感の一助に洪水があることは言うまでもない。私はこの洪水と共存することで、類稀な土を抱く田津地区で持続的な産業(農業)を確立してみたいのだ。

10/4 50年後に権現さんはどうなる

今日は朝から地区の「権現さん」の普請。鳥居の建て替え。集落の大工の方があらかじめ用意された柱や貫を現地で組み立てる作業。

ユニックで搬入し、担いで運び、足場の上としたから引っ張り上げ、ほぞを接ぎ、生コンで根巻き、砕石で埋め戻し、今日はここまで。30代から70代までの6名で賑やかに。

前の鳥居は30年くらい持った、今度のは50年は持つだろう、誰か生き残って作業のあらましを伝えられるかどうか、などという話に。写真を撮って残しておこうということになった。

50年後といえば私は94歳で生きている可能性は低い。息子や隣の家の子らがこの地に生きていてくれれば大丈夫だろうが、現状では集落の子どもはその3人のみ。神社どころか集落の存続自体が難しいと思われる。

今日の新聞で、江の川の築堤(次は当地の番)を50年計画で634億円かけて進めることをある会議が認めたとあった。1972年の水害の教訓というからバカでかい堤防だ。何を寝ぼけたことを言ってるのか。人のいない地区の、社会価値の最後の砦である農地をつぶしてどうしようというのだ。南海トラフ地震による裏日本への大移動対策としても、田津の築堤は明らかに無駄。

ちょっと先の未来すら見てみぬふりをして、今だけを生きる人間の都合、とりわけ業界の都合ばかりで動くこの風潮はどうにかならんか。

10/3 地味に作業と思案を進めている

しばらくのんきなことを書いてきたが、連日、地味に作業と思案を進めている。おかげで体も頭もくたくたよ。

作業の方は、秋まきゴボウの収穫(まだやっている・・)、緑肥や大麦作付け予定圃場の耕うん、緑肥種子の風選、お米の出荷、機械の清掃・整備、JASの臨時検査・・・。

思案の方は、来年や5年後レベルの作付け、繁忙期の省力化、設備投資、求人・・。具体的なところでは大麦の作付けをやっぱりやめないということと、2009年以来中断していた雇用の再考ということが大きいか。一つを決めようとするといろんな課題が玉突き的に出てきて簡単ではないが、第3次5カ年計画のスタートには相応しいんじゃないか。

いつか来る、故郷の過疎と地域消滅問題。当地では合併10周年ということでこの問題にスポットが当たっているが、いつかきっと私のような存在も必要だろうと信じるからには、今はじっと基盤作りをしておきたい。というか、するしかないのだが。

10/2 御嶽山の噴火

御嶽山の災害、国内の山を散々歩き回った私にとって他人事ではない。

初めて災害を知ったのは、FBで誰かがアップしていた動画。八合目のような場所から撮った、突然立ち上った噴煙が山を駆け下りてくるもの。動画を見た瞬間、「自分ならどうするか」ということを咄嗟に思った。これが火砕流ならもう助かるまい。家族であの世の再会を約束して涙の別れだ。火砕流でなく水蒸気なら高温でも何とか助かるかもしれない。熱風の直撃を避けられそうな場所をとにかく探し、そしてザックを下して水を取り出しタオルを浸す・・。

とこんなところまでは1秒くらいで頭を巡ったが、噴石のことは想像できなかった。きっと煙が上って爆音がしてから、噴石が落ちてくるまでに何秒か間があるだろうから、この対策を思いつくべきだ。私はこれで死んだかもしれない。

今回は噴石に当たって多くの人が死んだらしい。自分一人なら自分が痛い目に遭って死んでいくだけだが、家族と一緒は地獄だな。ああ、辛い。ただただご冥福を祈るばかり。

家族で行って助かった人の手記をネットで読んだ。当時の状況や心理が詳細に分かりやすく書かれている。運が良かった人、悪かった人。この世は何としても不条理である。

*

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