年末年始の出荷について

はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2014年12月の記事

12/31 年越しは麦の増産を夢見て

と、気がついたら31日。って感じ。息子が長期保育所休みなので確かに年末!の感はないことはないが、ここまでのことは珍しい。

うちの経営では大体、旧暦の年変わりの頃に一息ついて、今の時期はまだ片がつかないことが多いもの。今年はそれが輪をかけているということもあるし、たまたま旧暦の年変わりの頃に「人生の一大イベント」が控えているからということもあるかもしれない。家族が増えるということ、もうこれに勝るイベントはない。

と、ここまで書いて、いつものことだが、こんなことでも大晦日の気分がしてきた。ということで一応振り返りを。

来年はうちの経営にとってはまた新たなステップを考えている年。具体的には栽培作物の規模。うちのように「少品目大量生産型」で「労働生産性」が高い経営では、経営全体でも作物ごとでも「適正規模の模索」というのは最重要課題。近年安定しているここにメスを入れてみようと考えいるわけ。

メスを入れる、という表現はピッタリしていて、日ごろの改善と異なるのは「設備投資」をするということ。うん十万という投資をして機械を増やす。経営革新!とまでは行かないけれど、設備投資というのはそれなりにリスクを背負った挑戦。悩みぬくという行程はあった。

最大のものは、大麦の作付け増。逆に一度は作付けを止めることを決定した作物だが、わずかその2ヵ月後にむしろ増産する決断を(笑)。これには、もて余している農地を何とかしたいということもあるし、経営の中で土作りをしていくためには欠かせないと考えたこともある。もちろん洪水に遭いにくい作型という大前提がある。

それともう一つ。作付け増とともに発生する「出口」の問題。きれいごとを言ったところで実は増産を決める要因はこちらの事情が大きい。ちょうど2人の友人がたまたま同時にそれぞれでビール事業を立ち上げるという。その原料のオファーがある。

もちろん計画段階の話だから取引量に確定したものなどはないが、こういう流れに貢献してみたいという気持ち。麦とは「肥料で取れ!」というくらいに近年では肥料を入れる作物だが、ここに自然栽培のものを突っ込んでいくとどうなるか。ビールとは発酵業界だけに、少数派の取り組みは当然面白いことになるはず。

世の中の「食育」や食に関する啓蒙に薄っぺらいと感じることが多い中で、私ができうる最大のミッションが本物の原料の供給。ひたすら腰の骨を削りながら、ひたすら地を這って原料を育て、そして出荷する。数年経ってふと顔を上げると、「おいおい、これはどうなってるんだ?」っていつものパターン。ふふふ、やめられんね~、この役回り。おお、わかるか?あんた!できるね!!

振り返りというか、新年の抱負になってしまった。まあ今年はこんなところで。

※1回目草取りマラソン進捗率:24%

12/29 年末どころじゃないよ

気が付けば今日は29日。これまで悪天で進まなかった作業をここにきて取り戻す日々で、とても年末の余韻に浸っている場合ではない。

それに加えて作業以外のことも。経営って、いろいろあるよ~。

年賀状は今年は年内無理。明けて4日にようやく書いて、5日に出せるか。何事もなければね。出荷が始まるから無理か・・。

元旦は、荒れる。トンネルの修復がまだ終わっていない。何とかせんと。そうそう、倉庫の屋根も剥がれていた。いい加減に直さんとダメになる。

※1回目草取りマラソン進捗率:21%

12/28 収穫を進める日々

続く。と言いつつ続かない、いつものこと。

奇跡的な好天続きで、本日、里芋の収穫が終わった。パンパカパーン。この安堵感、半端ねえよおおお!

ついでにゴボウも進めている。残りあと36時間役。天気予報がいい方へ変わっているので明日と明後日が掘れるかも。そしたら残りのうちのちょうど半分が進められそう。

今日は息子の誕生日。帰って祝ってやるか。

12/27 野菜に栄養素は必要なのか?

野菜に含まれる栄養素をどうやって増やすか、という議論をネットで見かけた。

農業の分野ではそれなりに著名な人らのやり取りなのでそれなりに面白くないことはないが、肝心なこと、それを食べる人間にとって栄養素は必要なのか?という前提が抜けているため、読んでいてどうでもいい議論に見えてしまう。

石綿氏の言葉を借りれば、人間は季節の移ろいが野菜に持たせる性質を欲して食べている。そういうふうに進化してきた。機器で計測できるビタミンやらカロチンやらはどうでもいい。こんなものを庶民が意識し始めたのは戦後のこと。腹をすかせて健康を保っていた人間の歴史は忘れ去られ、栄養を取れば元気になるという迷信が現れた。次第に日本人の体力は江戸時代の3分の1とも言われるくらいに減り、幾多の病気に悩まされている。

これには反論もあって、平均寿命は伸びているとか、体力がないのは体を動かさなくなったからとか。

平均寿命が延びたのは、保温性の高い衣類や暖房の普及で体を冷やさなくてすむようになったから、ということを多くの医者も認めるらしいし、体を動かさなくなったのは体力がなくなったせいもあってどっちもどっちだろう。栄養の必要性を説く人が微妙にメタボだったり、体格がいいが体力が無かったりする笑えない現実は私の目には多いように映る。

他にある反論は、劣性遺伝子の蔓延。う~ん、これは悩コメント(笑)

それにしても栄養信仰はあまりにこの社会に根を張っている。この入り口の入り口での誤解は、これを打ち破っていかなければまず病気が減ることはないだろうし、さらにもっと広く言えば、社会全体が小手先の改善と悪化を繰り返すパフォーマンスから抜け出すことができないだろう。近道は食べ物を生産する農の現場からの発信だと思っているが、客観的な実証が短時間でできることではないので気が遠くなる。

続く。

12/26 収穫の「この一日」

今日は久しぶりの収穫デイ。いつもの方々にもお願いして朝から里芋を2時間終わらせた。午後はゴボウを2時間の予定。

小雨が降り気温も低いので、里芋にもゴボウにも収穫には不向きコンディションだが仕方がない。これ以上いい日なんてこれからはそう望めない。マシな日にやるしかなく、今日明日は、この一日。

先日の土壌凍結を受け、里芋は焦る。明日やっても少し残りそう。くそ~。

ゴボウは少しのんきでもいいはずだったが、この年末需要のせいで年明けに途切れそう。スーパーに対し、途切れて、再開、というのはなるべく避けたい。ということでにわかに焦る羽目に・・。しかし掘れないのでは仕方が無い。収穫開始時刻が迫っているので行かねば。さてさて、トラクターは入れるだろうか。

12/25 先日の研修会で感じたこと

先日の「自然農業研修会」で石綿氏の講演内容に感動したと書いた。私は、

『人間に(植物にも)とって必要なのは食べ物の持つ「生命力」であって、「栄養」や「養分」という概念の発明(発見ではない)が人類を誤った方向に追いやっている。』

という仮説を支持する者だが、会場にはそういう認識を程度の差はあれ共有する人たちがいて、その人たちは皆、私同様の感慨を覚えたようである。

そこで思う。「栄養」に対する概念を共有していない、おそらく会場の大多数の人たちにとっては、彼の講演内容はどのように映ったのだろう。行き届いた内容であったので良い学びがあったことに疑いはないが、私らが抱いた感動ほどのものはなかったんじゃないか。

石綿氏とて、「栄養」という概念が必要ないなどとは言っていない。私はあくまでこの仮説に私なりのお墨付きが欲しいのであって、そういう思いで聞いていて、大いにそのヒントになるものがあったということである。おそらく石綿氏もこのことを意識していたはず。いや、そんなに白黒がつけられることではない、ということは分かってはいるのだが、あまりに極端な「栄養信仰」に対峙するには、詭弁にならない程度でいくらか断定型の理論や説明が必要だと思うのである。

実は石綿氏の講演の最後の方で、私は焦った。休憩を挟んだ後は私の番。まさか石綿氏のここまでの発表内容を想定していなかったので、彼の感動の理論を台無しにしないように、実践例をどのように発表するか。もちろん無いネタは出せぬ。結局、念力で路線修正(笑)。会後の評判は思った以上に良く、安堵。

繰り返すが、食材に必要なのは「栄養」ではなくそれが持つ「生命力」である。極端な例を出せば、栄養価さえあれば生命力がない野菜でもいいのかということ。このことを周知していくには、石綿氏の講演内容ひとつとっても、周囲へのその代弁が必要になるが、詭弁を弄さずポエムにされないためにはそれなりの客観性が必要。そしてその客観性を担保するために実践が必要。そしてそれには私ら農家の出番。私なりに学んできた上の持論でこれまでやってきてはいるが、今後は石綿氏が使ったようなアプローチは大いに効果ありと考えている。

もちろん師匠は「自然」。この一線を勘違いしてはならない。説得のアプローチを工夫しようと言っている。「自然」とは石綿氏の言葉を借りれば「自(おの)ずから然(しか)らしむ。」何かを加えたりコントロールしたりする手法重視で物事を解決しよういう生き方を見直すこと、このことこそ最終目標だと考えるが、ある方向の人に対してはそれでいいが、またある方向の人に対してはそれを前面に出すと説得力を失い兼ねない。私は後者に対して何か働きかけていきたいと考えるが、そう簡単でない。

じわじわと行こう。

※1回目草取りマラソン進捗率:17%

12/24 暇なし

先日の研修会の余韻が今だ覚めやらない。いろいろ書きたいところだが、ここに来てちょっと書く余裕がないのよね。そのうちには何か書こう。

12/22 「感動」の研修会

一昨日の「自然農業研修会」は凄かった。石渡氏の講演を聞いていたら、納得とか学びとか、そんなものはもう何もかも通り越して「感動」の領域に。資料もボールペンも足も投げ出して、ああ~などと叫びたくなったことだ。

かつての同窓生に「石渡ってこんな凄い奴だったのか」と脱帽したのが3年前。今回は明らかにさらにパワーアップ。

「みんな凄いよ!俺もやるぜよ!」、と生きてきて、これからも生きていく。いろいろ書きたいところだが時間がないので今日はお終い。

12/20 暴風の爪あと

昨日は久々に穏やかな天気に。陽の当たらない山かげ以外では雪もすべて溶けた。そして畑が乾く間もなく、今日からはまた雨。

先日の暴風の爪あとがいろいろある。ごぼうトンネルでは裾が緩んだだけでなく、隣のおじさんの畑から次々と飛んでたトタン板によってビニールがあちこち切り裂かれた。倉庫の屋根も一枚剥がれて雨漏りが。

貴重な晴れ間に何を優先するかを悩んだ挙句、切り裂かれたビニールの補修だけは終わらせた。来年使いまわしの予定だったのにバッサリと派手にやられたものもあって相当の損害だが、一番痛いのは3時間の繕いの手間。隣のおじさんがやってきて大変な迷惑をかけたと誤ってくれるが、このたびはもういいから今後こういうことがないようにトタンを撤去してほしいとお願いしておいた。以前も飛んだことがあったんだけどね。そのときは被害がなかったことが逆に災いした。

今日は例の研修会のため松江に出張だが、ビニール緩みを直せずのままで気持ちの片隅がスッキリしない。どうせぬかるんだ土では良いことにならないし、少々の風ならもってくれるだろう・・・、などと結構ぐじぐじと悩む。

「心配性」は農家に限らず多くの職で何かを成していくためには大事な性格と思っている。このおかげで致命的な失敗をせずに何とか生き延びているのだと確信している。親方の心配性の意味がわからない弟子は、結局のところ何も学べない。修業はまずこういうところからなんだが、分からない人間はなかなか分かるようになるものではない。

などという私はこのたびの暴風で楽観が過ぎた。隣のトタン山の存在だって知っていたんだから、大いに反省がいる。

12/19 里芋ネット販売と大豆の予約受付

トップページからはとっくにお知らせしているが、里芋のネット販売と、大豆の予約受付を始めている。改めてこの欄からも。

里芋は少し小さめのもの。ゴボウをいくらか食い飽きた(いくらかよ、いくらか)私は、夕方仕事が終わりそうになると、早く帰って日本酒を飲みたいのと里芋が食べたいのでイライラしてくる(笑)、ホントよ。「小さいのは皮を剥くのがねえ・・・」とおっしゃるあなた。皮付きのまま茹でてから後で皮を剥けば簡単に指でにゅるにゅる剥けるわね。お試しあれ。

かき口が痛んだものがあるかもしれないが、検品の手間代を省いたお値段にしているので何卒ご容赦を。慌てなくてもしばらくはありそう。

大豆は例年のように期限があるのでお忘れなく。今年は今月の26日(金)15時。この時刻までに振込みまでお願いしている。例年、「忘れてた~何とかならない?」とかあるけど、穀物検査や端数の関係で、何とかなる場合もあればならない場合もある。くれぐれも期日厳守でお願い。

いつも言っていることだが、ネット販売にはあまり力を入れていない。というかうちの体制では力を入れられない。経営的にも微妙で、いっそのこと止めて手が回っていないところに力を入れたほうがいいかなと思わなくもない。でもせっかくなので「少しでも多くの人に食べてもらいたい!」という思いでやっている。最近SEO対策や通販加盟の営業電話がよくかかってくるけど、そんなことで全部お断り。

てなことを書くと誤解をされかねないが、もちろんそんなことはない。ぜひとも左の「ネット販売」から覗いてやってほしい。ゴボウもまだやっている。

12/18 トンネルの被害で最高の収穫

歩くのがままならないという暴風の中、昨日は早朝からトンネルを守るための5時間の戦い。土は凍ってカチカチだし、雪混じりの風は痛いし、呼吸が楽でないし、散々の環境。

現場に駆けつけたときは一部で裾が緩んでビニールがバタついている程度だったので、何とかなるなと思った。ビニールが剥がされると、この風では破れてしまって使い回しができなくなるので、剥がされてなるものか!の一念で補強を急ぐが、その間に他の箇所が緩んでいくという繰り返しで、結局あれよあれよとその圃場すべての6棟が緩んでしまった。補強さえしておけばビニールが飛ばされることはないにしても、これだけのものを風のない後日修復するのは骨が折れる。やっちまったな~という後悔。

そして同時にそのときの絶望というものがあって、別の圃場に18棟あるのだが、一番丈夫と思っていた6棟がやられたのだから、その18棟はもうただでは済んでいまいと思ったのだ。だからそこへ向かう前に、さすがに疲れた、諦めで自販機まで行ってお茶を一本。無残な姿を見ながらお茶をすすろうと、その圃場へ。

したら何と何と、1棟は緩みかけているが残り17棟はまったく動じていないではないか!これは嬉しかった。地獄から天国へ。お茶なんて買ってる場合ではなかったぞ~と急ぎ1棟の補強を。やっているうちにさらに1棟が緩んでしまったが、残りは無事で済んだ。

しかしこのたびのことで、トンネルの強度の課題が思いがけず解決したと思われる。この課題については過去にも何度も書いてきたが、省力と強度の二兎を得るための試行錯誤を何年もかけてやってきた。そして近年、決定打がなく。

が、このたびの圃場間でのこの差。例年弱い砂地の圃場でビクともしなかったという事実。違ったのはビニールを張る行程でのちょっとしたこと。人の手(鍬)で土をかけるところとマイカ線締めする箇所を計画的にやったということ。たったそれだけのこと。どう思い返しても違いはこの1点のみ。手間も労力も変わらない。

あらかじめ補強していたらこのことは発見できなかったかもしれない。また地元の皆さんのトンネルの類が壊滅の今回の暴風の中で巌として生き残ったのだから、あと一行程の補強さえ時間をみて進めておけば今後も恒久的な強度が期待できるだろう。

また「来たなー」という快感。まだまだ来るぞ、きっと。

12/17 猛烈な風

これを書く早朝、近年にない強風が吹き荒れている。これ程のものは2009年3月以来か。

不安はトンネル。昨日の夕方には草取りの途中で1棟の一部の裾が持ち上げられてダワついているのを発見。慌てて押さえてマイカ線補強しておいたが、あまりの冷たさで泣きたいくらいに指先が痛くていいことにならなかったかもしれない。その後暗闇にまぎれてマイカ線の増し締めを一通りやっておいたのだが、さあどうか。この風ではやられちゃったかな・・・。

それにしても今年の12月は何かと難儀だね。

そろそろ薄明るくなってきたので行くとしますか。気軽な格好(普段の作業姿)で行くと進行形の有事の際に力が発揮できないので、がんじがらめの防風防寒対策で行かねばならない。それがまた億劫。・・こんなこと言ってるようだから職人でないんだよな、俺は。

12/16 自然農業研修会のお知らせ

明日は大荒れ予報。気温が極端に低く、風が極端に強いとのこと。トンネルや里芋がどうなるか・・。

いつの間にか迫っているが、今週の14日(土)に松江テルサにて公開の研修会がある。自然農法国際開発研究センターの石渡氏の講演の後、私が事例発表というプログラム。以前もお伝えした。

現場がバタバタしていてまだ資料を作っていないのだが、経営者があまり口にしない売り上げとか利益とかそんなことにも触れながら紹介してみたいと考えている。

12月10日に時点で残席が17席らしいので、興味のある人はぜひ参加してみてほしい。

※1回目草取りマラソン進捗率:12%

12/13 草取りマラソンの開始

昨日は女房の誕生日。

そういうわけだからではないが、昨日から今期のトンネルの草取りマラソンを開始した。適期にはちょっとだけ早いけど、早めに始めないと後が手遅れになる。2人で入ったものの、草が多い・・・!この圃場の草の多さは予想はしていたが、通常より1.5倍くらいかかって1往復(0.5棟)で3時間。いや~、参ったね、これから毎日思いやられるよ・・。

夜は温泉行って、外食。我が家の日々の食事からいうと、外食は決して贅沢とかいうものではなくて、単に女房に楽してもらうだけのもの。私がパッと手料理でも作ればいいのだが、作業が押しているし、こんな人生送っていたら料理がほとんど億劫になってしまったのよな。以前は料理って結構好きだったんよ。

古いか固いかは知らんけど、私は私の本分を責任もって担うのみ。

ということで14時を過ぎた。今日もトンネルに潜ってこよう。今日は息子の半ドンのため、私1人。目標は1往復。背中、腰、肩がかなりきてるからちょっと厳しいか。いや、これが本分。ゴチャゴチャ言わんと、やれってこと。他に取り柄、ないだろよ。

1回目草取りマラソン進捗率:4%

12/11 経営は品質本位・環境本位で

一昨日の続き。

経営の方向性で考えるべきことは多岐に渡っていて、その中に栽培作物と作付け規模の選定ということがある。作物の選定では、

1.自分の興味があるもの。
2.土地や風土に適したもの。
3.利益が見込めるもの。

ということが条件になる。この3つが揃わないとやる気にならない。

1.ではハウス栽培や花卉栽培に興味がない。露地での米、麦、大豆、根菜に興味がある。
2.では「洪水」と「冬の天候」と「鳥獣被害」に見合うもの。深い作土は根菜が可能。
3.は専業農家として生きていきたいから。見込めると自分が思えるものを選ぶ。

とまあ、何も改まったことではなくて当たり前のことではある。こうやって選んだ作物を、自分の力量や設備の規模、そして販路を考慮して、続いて作付け規模を決めることになる。

めでたしめでたしと言いたいところだが、そこに有機JAS。消費者にも生産者にも誰にも利益にならない条項、言い換えれば制度自身のための条項によって、その作付け計画が大きく振り回される。

自然栽培を始めて以来、有機JASのくだらなさが身に染みる。一方で経営を考えると流通がJASを欲しがっている以上、認証を取り続けなければいけないというジレンマ。少しずつ、JASが必要ない販売先を増やしているところだが、今後もこういう努力は続けなければならない。

一時は有機JASに期待していた頃もあった。この制度が変わってゆく制度だからと。しかしいい方向に変わる気配がない。諦めるしかない。

誤解があると困るので触れておくが、JASが必要ない販売先の基準は有機JASよりももっと厳しい。品質本位、環境本位なのだ。そしてそれらの基準こそが本来の持続可能農業の指針であるべきと考えている。理解のある人どうしの連帯を増やして、現実的に経営を立てながらも世の中への一石に貢献したい。

12/10 早い冬の到来で

この2日のんきなことを書いているが、実はそれどころではないくらいに慌てている。前後で唯一とも言える今日の好天。すべてはここに照準を合わせてのここ数日。

サトイモがまだ推定で1トン未収穫のまま。ゴボウだってまだ畝長で2200m残ってはいるがゴボウは寒さに強い。サトイモはこのたびの長い寒波でかなりやられてしまっただろうと思っているが、見捨てるわけにはいかないので可能な限り掘らねばならない。ここ数日は保管場所を空けるために四苦八苦。今日は朝から400キロくらい掘りあげた。果たして品質はどうなったか。

そしてそのサトイモどころではない、実は今日はもっと大事なこと、大豆の収穫に弥栄共同農場さんが入ってくれている。未収穫面積はおよそ1.3ha。乾き具合が今一つだが、今日を逃すと今度は品質の劣化で収穫にいたらなくなってしまうのではないかということで仕方なくの判断。晴れが2日続けば簡単に済むことなのだが、ちょっとしたことで天国か地獄。さあどこまで刈れて、品質はどうなるか。

今年は2004年以来の冬の早さ。この時期から畑が閉ざされることもあるということ。明日以降、最低でも1週間は畑に入れまい。私の予感では年内はもうダメ。大豆もゴボウもサトイモも全部ダメにしたなあという悔恨と日々戦っている。

12/9 有機JASって何だ?

昨日の続き。

大多数の農業者が困ることは除外して、少数の農業者が困ることのみを取りしまるという考え方は、当の農業者から見ると明らかに公平ではない。場合によっては死活問題にもなりかねないほどのことだってあるのだから本来は極めて重い問題なのだと思う。

だが社会全体でみると、尊い理念の下であれば、その実現を図るための不公平というのはある程度は仕方のないことであるかもしれない。

しかしである。現行の有機JASの理念が尊いかどうかが問題である。そもそも有機JASの理念とははっきりしないものだ。以下は有機JAS法の出だしの部分である。

『(目的) 第1条 この規格は、有機農産物の生産の方法についての基準等を定めることを目的とする。
(有機農産物の生産の原則)
第2条 有機農産物は、次のいずれかに従い生産することとする。
1. 農業の自然循環機能の維持増進を図るため、化学的に合成された肥料及び農薬の使用を避けることを基本として、土壌の性質に由来する農地の生産力(きのこ類の生産にあっては農林産物に由来する生産力を含む。)を発揮させるとともに、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した栽培管理方法を採用したほ場において生産すること。・・・』

これだけ読むと素晴らしい!土の力を発揮して環境負荷をなるべくかけないような農業をやりなさい!と言っているのだ。

しかしこのあと、こんなのが出てくる。

『周辺から使用禁止資材が飛来し、又は流入しないように必要な措置を講じているものであり、・・・』

この辺から少しおかしくなってくる。私は出だしに謳うことの実践のためには、周囲から農薬が飛んできたって構わないと思うのだが。普及して有機ほ場が増えれば自然と飛んでこなくなるからね。この条項で有機農業の普及はかなり阻害されている。

しかしまあこれも譲って仕方がないかとも思える。要は自分がそういう対策を講じればいいのだから。生産者にもいろいろな人間がいるんだから、そういう努力をするべき、という視点は、制度の中にあっても悪くはないと思う。

しかしだ。これが当地のように洪水による冠水で、となりの畑の農薬などが水に溶けだしてやってくる「可能性がある」場合はダメ、というのはどうか。あのお、それって農業者の努力では防ぎようがないんですけど・・。

こうなると出だしの内容とかけ離れてくる。漂う水に冠水することと、土の力を発揮して環境負荷をなるべくかけないような農業に取り組む!ということの双方の間には何の関係もないからだ。v

たったこれだけのことで一部の農業者を平気で不公平に追いやってしまうのが有機JASなのだ。

なんと洪水多発地帯では有機JASの認証を認めないという認証機関も存在する。空気や雨や河川水の汚れは認めておきながら河川の氾濫水で認証を認めなかったり取り消したりすることで救われる人は誰なのか?逆に認証をして損害を受ける人は誰なのか?そんな人いないだろ?

また長くなったが、話を戻して、次回にもう一回続く。

12/8 有機JASの虚しさ

総じて偉そうなことばかり書いているこのブログだが、私自身はいつも不安ばかりを感じている。未来が見えない今の世だから誰だって同じことだろう。

農業経営をしていくにあたって、目先の工夫というものは当然大切だが、私だって一応はマクロな視点で物事を考えないこともない。

私の思いとしては、「本物の食糧生産」と「本物の地域づくり」ということがライフワークと考えているが、この2つが実は意外と相容れない命題だということが、食糧過剰というグローバルな状況を前提とすれば見えてくる。評論家気取りをしてたってどうしようもないが、この手の視点をあまりにも無視していては目先の努力が後に大きく虚しいものになり兼ねない。

そういうことの一つに有機JASがある。認証を取得して10年が経つが、年を重ねるごとにこの制度の虚しさを思わずにはいられない。人の健康や環境の安全ということに有機JASは今や何のリンクもしていない。じゃあなぜJAS認証を受けた農産物がこれだけ流通しているのかといえば、流通サイドの無知、さらに言えば消費者サイドの無知ということに他ならない。JASマークがあるものが「意味もなく」価値が高いという認識が流通および消費者サイドにあるのだ。

有機JASとは何なのか?

「農産物が化学物質を施されずに栽培されたものということを保証するもの」

ではあるが、実は大きな前提がある。それは、

「大多数の農業者に関係のあることは保証しない」

ということ。

これは2重に虚しい制度であると言わざるを得ないが、まずは後半のところ。

大多数の農業者に関係があることを保証しないというのは、例えば、雨に含まれる化学物質はOK。川の水に含まれる化学物質はOK。空気に漂う化学物質はOK。放射能はOK。つまりこういうものが田畑に施されていないという保証はしない。大多数の農業者に関係することは取り締まられない。一々NGにしていたら認証が成り立たないから、ということだろう。

また管理の面でも、うちが土づくりの定番にしている緑肥の種は普通は化学物質(農薬)がまぶしてあるが、これを田畑に施す(種を蒔く)のはOK。多くの人が行っている行為だからだ。他にもJAS法には使用が許可されている化学物質もいろいろ定められているが、これも多くの人(一部の有力者?)が使っているからだ。

しかし一方で、少数の人にしか関係ないことはかなり厳密に取りしまる。たびたび当地を賑わせている洪水による田畑の冠水。隣の畑で化学物質を使っていれば、それが漂って畑に入る可能性がある(?)ということでJASが取り消されたりする。隣から土が流れ込んできたとかならわかるが、水がただ漂っているだけでよ。わかる?この不思議な解釈。これは洪水で田畑が冠水するなんてことは大多数の農業者にとっては他人事で関係のないことだからだ。

管理の面では、いっとき流行った紙マルチ栽培も、一部の人しかやらない技術だからNGになってしまった。蚊取り線香はNGで虫よけスプレーはOKという下らぬルールもこういう理屈なのかどうか。

続く。

12/6 このたびの雪の被害

昨日はその後、畑に大きな被害はなし。今朝起きて見ても大きな降雪はなし。まずは安堵。

だが世間ではいろいろ出ている。

知り合いの花のハウスが1棟潰れた。親父が同型のハウスをやっているがこちらはセーフ。わずかだが雪下ろしや補強を手伝った。

それから道路、鉄道の倒木被害。JRは私の生活圏で見てもかなりの倒木。こりゃ復旧にはしばらく時間がかかるな。もう何もかも、「あきらめて 廃止しようよ 三江線」。

道路も狭い道路は各地で通行止め。幹線の国道でも朝から業者が伐採、除去作業。

面白いのは、このたびはわずか直線で10キロ程度の海手では全く降雪がないこと。江津市内から来られる人は口をそろえて「何ですか、この雪は!」

わずかな気温差で、雨かミゾレか。さらにわずかに雪的に傾いたミゾレだったために、融けずに積もりゆき当地でのこの被害。もっと山手ではどうだったんだろうね。

12/5 重い雪の恐怖

大雪。眠りに落ちながらも屋根からのけたたましい雪ずりの音でそれは分かったが、0時過ぎに聞きなれない音でうつらうつらと目が覚めた。ピシッピシッと何か割れるような音。寝ぼけていたのでぼんやりと聞いていたが、少したって意識が急に覚めた。これは木の枝や幹が折れる音だ!雪質が重いのだ!ゴボウのトンネルが危ない!

畑に向うために家を出た。庭木が無残な姿に。サザンカやグミは持ちこたえていたが、ツツジがひどい。積雪はまだ12~15cmだが、とにかく雪が重い。国道に出るまでは両側から雪の重みでしなった木が道のいたるところをふさいでいる。どきどきして畑に到着。トンネルは何とか無事。大豆がぼちぼち倒伏。

トンネルが潰されたら、うちの経営はどうなってしまうのか。想像もつかないし考えたくもない。 1時半に戻って、自宅の居間でこれを書く今、2時半過ぎ。周囲の山の木が割れる音がひっきりなしに闇夜にこだましている。このあと果たしてタダで済むかどうか。

雨雲レーダーを見る限りでは、もう30分もすれば降雪は峠を越しそう。そろそろ2度目の巡回に行ってくるつもり。まあ何か起こったとしても指をくわえて見るだけで、どのみち何も出来やしないのだが。

おお、今、爆音。相当太い木が折れたらしい。

12/4 就農(起業)は満を持して

学生時代から憧れた農業だったが、一念発起して研修の門をたたいたのが28歳のとき。それから6年間は専業農家として生きていくことを念頭にした人生だったわけだが、振り返ってみて私にとってこの6年という期間はちょうど良かったのではないかと思う。

周囲を見回して、ちょっとかじっただけであまりにサッサと田畑を借りて経営を開始する若者が少なくないので大丈夫かな~と思う。1年や2年の研修だけで成功させるなんて当時の私には考えられなかった。「研修は何年やったらいいですか」などというアッケラカンとした不思議な質問もこれまでには受けてきたが、生身の人生なんだから状況に合わせて自分の勘に従って判断していくしかないではないか。それが私には結果的に6年だったということ。

ひとたび農地を借りて経営らしきことを始めてしまうと、そこから離れられなくなってしまう。自分の力不足を痛感しポイントが見えたからまた研修で学び直したいと思っても、それが難しくなる。そういう後悔をしている人も数人知っている。今の私だって1年くらい休んで他で研修したいと思っているが、多くの農地や出荷先を抱えているから不可能。だから独立を焦ってはいけない。自分としっかり向き合い、勘を利かせ、満を持しての独立が肝要。

近年の流行で、補助金(生活費補助)を受けながらの研修を多く見るようになったが、補助金があると、年数の縛りがあって自分の勘にしたがって自由に研修することができない。税金からお金もらっといて、「やっぱりまだ3年は修業が必要だ!」などといってどこかに雲隠れすることが許されるはずがないから仕方がない。補助金をもらいながらの研修にはそういうリスクもある。

農業を始めるためにはどんな準備をすればいいのか。ここに明確な答えはない。

私の場合、土方のせがれで、子どもの頃から勉強を頑張って、大学で山をほっつき歩いて、造園のバイトでしごかれて、土木を3年やって、岡山の農業研修先と出会って、自分で狭い農地を借りて5年試して、進学塾で毎日プレゼンして、これら全てのことを常に全力でやってきた、ということが良かったのだろう(笑)。

強いていえば、「ジッと耐える」という訓練。例えば5年くらいはジッと耐えてみる。実は私はそういうつもりだったんよね。まあ私の場合だが。

12/3 サトイモの品質管理に煮詰まったが

トンネル設置が終わり、頭の中の大部分はまたサトイモに。次から次へ問題が出てくる。

昨日あたりは品質管理についての方法について完全に煮詰まったので、むしゃくしゃして車を走らせていると携帯が鳴った。昨年、自然栽培稲の育苗について大きな示唆をいただいた隣県に住む方が、なんと近くまで来られているという。お会いして、よし、とサトイモについて聞いてみると、こちらについても知識が豊富。それ!とばかりに質問攻め。おかげで頭の中がまたぐるぐると動き出した。

品質管理については、とりあえず来期の方針は立った。まだまだ作業の定量的な視点との絡みがやってみないと分からない、ということはあるけれど、とりあえず立った。稲の育苗もそうだったけど、この方にまた救われたかな。

それはそうと、プロへの道のりは遠いなあー、と改めて。しかしながら間違いなく進んでいるという実感もあり。

12/1 自己実現したい若者に伝えたいこと

「得るものがあれば、必ず失うものもある。」

ここ数か月は若者と接する機会が増えたが、このことを意識していなくて残念だなあと感じることが多い。

この反対の言い方、「失うものがあっても、必ず得るものがある。」はよく聞くこと。しかしそんなことはどうでもよい。大事なのは冒頭のこと。

私はこのことを学生時代に学んだが、それ以降ずっとこの視点で生きているといってもいい。学生当時の私が考える一例は、「大学に来て日々学ぶことによって逆に失っていることは何だろう。」ということだが、ちょっと考えただけでも次から次にネタは出てきた。
・頭でっかちになって地味な仕事が嫌になる、
・理屈っぽくなって生活観がなくなる、
・自分を偉くなったと勘違いして素直さがなくなる、
などなど。

あらゆる行為に対しすべてこのよう見方をする。街づくりの活動に参加する、専門性の高いイベントに参加する、志に沿って勉強会を主催する、講師として普及に一役買う・・・。あなたはさぞかし充実感に満ち溢れ満足していることだろう。しかし冷静に自分と向き合ってみてほしい。失っているものが必ずある。「そんなものはない!」ではない。必ずある。

これも簡単なところで身近な私の一例。この10年間で講師に招かれて大勢の人前で話す機会がたびたびあった。私にとっては大きな学びや経験に他ならないが、今の私の場合、これをやると自然を見る目が鈍る気がしている。また刺激を求めがちになる気がしている。これらのことはうちの農業経営にとって大敵。引きずられてはならない。常に自然に対し敏感で、かつ日々のルーティンを楽しめる素養が百姓人生には求められると思うから。

だから講師を務めてはいけない、ということではない。それでは何も出来ない。そうではなくて、失っているものがあるということを認め、意識するということ。意識をすれば引きずられることは防げる。

実はこのことは自己実現のための「肝」と思っていて、私はあまりに自然にこう考える癖がついているので、改めてこれまでブログには(たぶん)書いてこなかった。

よい師に出会った、最高のカリキュラムを受けた、力を発揮できるポジションにめぐり合えた、多くの学びを得た、運が良かった・・。なんでもいい。このように充実したと思えることがあれば、一方で失っているものを考えてみるといい。

そうすれば見方考え方が自ずと一つのところに収束してくる気がしている。それは何か。実践してみてほしい。以上のことは、これから何かを実現したいとか、何か力を発揮したくて悶々としている人、特に若者にぜひ伝えたいことである。

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