はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2014年2月の記事

2/27 人参のネット販売開始

毎年採算で苦戦しているニンジンだが、ようやく収穫を始めている。

このたびは何といっても昨夏の集中豪雨の影響で播種が大幅に遅れてしまって、全体的に小ぶりということがある。なるべく太らせるためにこの時期まで引っ張ったわけだが、これからは薹立ちの心配があるので、慌てて収穫を始めたという次第。

作付けはほとんどがF1品種の「向陽二号」だが、わずかに固定種で自家採種3~4年目のものもやった。向陽の方はそれなりに大きくなってくれたけど、固定種の方は散々。両者の比較は興味深いものがある。

さて販売だが、今日からネット販売を始めた。→ うちのサイトから。まずは固定種。これはわずかしかないので、終わり次第「向陽二号」に。

注文はサイトの専用フォームからお願いしたい。電話やメールやFBでも不可能ではないが、個人向け販売対応に力を入れていないし、日々余裕がなく能力的に限界で間違いが絶えない。何とぞご協力を。

2/25 採種圃場を変える

明日の夜の降水確率が急に上がった。どのくらい降るかを見込むことで、今日、明日の段取りが変わる。それなりに降ると予想して、それに応じて効率を求めた微妙な段取りで動いている。これを書く今(お昼)までのところ、自画自賛。

急ぎのデスクワークが入ってきたために午後一はちょっと中断だが、急いで畑に戻って今度はニンジンの母本選抜の予定。夏の災害のせいでずれ込んだのだが、こんな時期にすることになるなんて思いもしなかった。大して種を付けんだろうが仕方がない。従来の採種圃場も災害のせいでいい状態でないため、新たな地区に構える予定。ゴボウも次からはそこでやる。

今の場所は採種する7月中に洪水がきたらアウト。悩み続けてきた採種圃場だが、ようやく収束すると考えている。

だから土を作らんとならん。これまでの3年を捨てて振り出しに戻る、ということだが、30年後に振り返えれば大した差ではない、と言い聞かせてやるのだ。

2/24 段取りが難しい

昨日は願った通りに山へ。といっても江津市街のバックに小さくそびえる高角山なんだけど。車で登って歩きは最後の3分のみ(笑)。山頂は無風で暑いくらい。何といっても眺めが良い。息子は大満足だったらしくまた行きたいと言っていた。こうやって布石を打っていこう。

いに天気がいい。これも厄介なことで、トンネルの換気を考えなければならない。昨年派手に焼いてしまったのでトラウマになっている。ニンジンの薹立ちの兆候が早くもわずかにみられるようになってきたし、いろいろと段取りの練り直しを迫られている。

他にもゴボウのトレンチャーがけなど急ぐ作業が多々あるなかで、じっとこらえて今日の午前中は友人の会社へパレットを引き取りに。今行かないとずっと行かないことになりそうなので。そして午後はこれから緑肥の播種を。これも今蒔かないと結局蒔かないことになりそうなので。

こんな段取りでいいのかと思わないこともないが、昨日山からの帰宅以降、昼寝をしながら、晩酌をしながら、晩飯を食いながら、布団にはいりながら、ずっと考え抜いた結果である。自信を持ってやるのだ。あとはニンジンの収穫を40PSでやるか50PSでやるか、などの細かいことがいくつか決まらなくている。仕方がないので動きながら考えるのみ。

2/22 久しぶりに山に行きたい

いい天気が続く。珍しく久しぶりに山に行きたくなった。低山でよいので、木の芽が盛り上がる前の雑木林の登山道を歩く。そして山頂からの景色を見ながらラーメンを煮て梅酒を飲む。そんなささやかな日帰りの山旅でいい。

あれほど通っていた山だったが、今の農業を始めて滅多に行くことがなくなった。作業をしないなら体を休めたいという願望が何よりも勝るため。まさかこんなに山から遠ざかる人生が可能だとは当時の私には想像もつかなかった。

山に通った目的はその都度いろいろあったが、根底にあるのは「自然と一体になれるか」という漠然とした好奇心。一体となる境地というものがあればそれはどんな感覚なのだろう、そして何が見えるのだろう、という極めて曖昧な探究心であった。

そういうことをクソ真面目に考えていたのだから大方の人からは好奇の目で見られていたようだが、そういう青春時代があって今の自分があるのだろうと思う。結局どれだけ自然と一体となれたかはわからないが、不思議体験というものはいくつかあって、それが物事の深さに思いを致す素地になってくれているのではないか。

ここらで一度、単独行で自然の声を聞いてくるのもいいかもしれない。しかしあれだけやった単独行なのに、今はどうもその気が起きない。家族で行きたくてならんのね。ほんとこの寂しがり屋はどうにかならんか。明日あたり息子の機嫌をとって提案してみるつもりでいる。

2/20 倉庫作業で寂しさ

天気はすっかり真冬らしさは消えたけど、まだまだ春は遠い。昨日は風が強い中を、細かい段取りで圃場や倉庫をウロウロと。

うちには倉庫の類が4か所に散らばっているのだが、これは土木をやっていた頃のなごり。もともとの農家というならこんなことにはなるまいが、土木で使っていたものに加え成り行きで増えて行ったのでこうなった。

それらの倉庫を回りながら、なにか無性に寂しい。土木従業員や農業従業員で賑わっていた頃を思い出してしまうのだ。土木資材はかなりを親父が始末したので、無秩序に閑散とした様がなおさらそれを感じさせる。すでに亡くなった人も多く、この数年の間にも私が直接お世話になった人が立て続けに亡くなられた。私ですらこうだから、土木一本でこの会社を作り上げてきた親父にとってみればどんな思いだろうかと推してみたりする。

そんなことを思いながらの上、風が冷たいし、体も重いし、ここ数日息子が「風の谷のナウシカ」のDVDを連日見るもんだから主題曲やら挿入曲がこびりついてしまって頭の中を流れるのもよくない。

こういうテンションが上がらない時は時間を気にせず寡黙にだらだらとやるのがよい。そう思ってやっていたら急に元気が出てきて、すでに夕方ではあったが、トラクターを田津から今田へ回送して苗代の苗床の耕うんをやることができた。

昨日と一転して今日は穏やか。今日は育苗用の土の採取を女房と。レンゲも育っているし、ツクシの地下茎も見られた。春は着実に近づいているね。

2/18 苗代の準備開始

今年も稲の育苗の準備が迫っている。あ~あ、また育苗の季節が来たよ(笑)。胃が痛てえのよな。

昨年の苗代は前年の秋のうちに耕うんを始めて有機肥料施肥区には肥料も振ったけど、今年はまだ何も手をつけていない。怠けたのではなくて考えてのこと。そろそろか、ということで昨日から準備を始めた。今年は置き床の向きを90度変える。一長一短でどちらがいいかわからないが、やってみようということ。その位置出しと草刈りを昨日やっておいた。次は天気を見ながらなるべく乾いた時に耕うんだ。

培土の準備もまだ。施肥区は購入土を使うからいいが、無施肥区は田んぼの土を採取して使う。秋のうちに採取しておくつもりだったが、こちらは怠けでやっていない。やっとけばよかったと痛烈な後悔。あとで篩う行程があるからある程度乾いた状態で採取したいんだが、この時期では田んぼがなかなか乾いてくれん。あ~、後悔・・。

今日は育苗で使う資材の検討。暇な時にずっと考え続けているが、机に座って改めて。施肥育苗ばかりなら大して悩むこともないのだが、無施肥区は昨年ようやく及第点で、まだ不安さが多く残るのでそこをどう改良するべきかに頭を抱えている。資材がただならいろいろ自由に試せるが、買うからにはそれなりに金がかかるからね。昨年の育苗中に今年の計画を立てたつもりだったが、なるべく手持ちのものを使いたいということがあって踏ん切りがつかんのよな。あ~どうしよどうしよ・・。

育苗ハウス欲しいなあ。田んぼの中にハウス立ててそこでやれば大した苦労はいらんのだけどね。苗箱の搬入搬出の苦労が解決した今、建てるのもありなんだよね。しこたま苦労しておいて結局いつかハウスを立てる羽目になるのなら、早いうちに建てるんが正解なんだけど、これも大金なんよな。

2/17 研修生受け入れについて

そういえば少し前に研修生受け入れのスタンスを変えている。

2つあって、1つは、あえて募集はしない、ただどうしても経営を盗み見して学んでやりたい、という強い意志を持った人は意気に感じて受け入れる、ということ。自分もそうやって学ばせてもらった。順送りで恩を返していくのは人としての慣らい。

もう1つは、これが重要で、原則として研修期間中の補助金を勧めないこと。せっかく一念発起して研修に来たからには責任を持ってその人の意思に応えてやりたいが、補助金があるとなかなかそれが難しい。ということは今までにもずいぶん聞いてきてはいたのだが、今になってようやく骨身にしみて理解したところ。

このあたりの説明をすると長くなるが、一例として例えば先日の講座に参加していたある若者。隣町で研修をしているらしいが、彼とは1年ちょっと前のイベントの際に会った。なかなか面白い奴で期待できる。ただまだ24歳だし、当然金もない。私なら研修を一旦中断し5年くらいどこかで社会経験積んで、ついでに金も貯めてこい、そして戻ってこいといって放り出したくなるが、補助金を使っているとそいうことができない。まして行政の立場ではその地に留めることばかりでそんな発想はできない。せっかくの素材なのに実にもったいない。戻ってこなかったらというリスクを言うのは考えが小さすぎる。別の新天地を見つけて活躍するのも本人にとってはいいことだと、補助金を受けていなければ言えるのである。

研修や修行というもの、本来は各人の人生に寄り添って考えるべきもののはずだ。しかしシステムに組み込まれると、受け入れる我々や本人の人生とは切り離されて一人歩きを強制される。よっぽど出来る子ならそれでもいいが、我々は当落線上にいる子を預かる場合も多い。

さて昨今。巷には甘い補助金の臭いが溢れている。うちのような条件ではおそらく応募者はほとんど期待できない。でもそれでいい。ようやく分かったんだよ。

2/16 奥出雲のS氏を訪ねる

先日の岡山県新見での援農で畑を発った後は、急ぎ島根県は奥出雲へ。目指すはS氏。県境の雪も大したことはなく安堵。

S氏との出会い。3年近く前の奥出雲での映画「降りていく生き方」の上映で出雲のN氏からの紹介だった。私のことを知っていて会いたかったと言ってくれた。N氏から聞いておられたのだろう。

昨年一度、N氏らとともに夫婦でうちに来てもらった際にいろいろ話したのだが、このS氏、やばい。と言うしかない渋さ、魅力、オーラ、経歴。古民家を買い民宿的なことを始めたと聞いていて、年末に伺う計画が流れていたし、今回新見に行くついでに寄らない手はないでしょ、ということで訪ねたのだ。

この人にこの家、というべき素敵な古民家。特に構造においてこれまで見た中で最高ではないだろうか。囲炉裏を囲んで話に花がさき、時間を忘れて夜が更ける。遊び相手がいなくて辛そうな息子が不憫だったけど。

話の中で、自然界の摂理について。これがまたヤバかった。ゴボウのプロを目指す私が知らないゴボウの話。自然界の中でのゴボウ栽培の位置付け。収量が落ちつつあるウチの現状と照らしてどう考えるか。そういう示唆がざくざく。というかそれらの話以降私の中でスイッチが入ってテンションが下がってしまった。そのくらいの衝撃があったということではあるが、せっかく楽しく話しに来たというのに厄介な性格である。

S氏、よく学んでいる。感性も凄い。奥さんもまた何かやばい。もともとなのか旦さんに引きずられたのか。これも、この人にこの奥さん。奥さんあってのS氏でもあろう。どうであれ今では一緒になってやばくなっているふう。

私も女房もあそこまでにはなれない。自分を知る。でもそんなことはどうでもよくて、私らにはゴボウ、これを何とかせんとならん。このたび聞いたことなどを今後の管理にどう活かしていくか。

2/15 講座の後で

昨日の夕方は、講座で講師。なんとなく偉そうに説教する内容に対し、予想外にご年配の人が多くて居心地が悪く、始めは気持ちがビビッてだめだった(笑)。進学塾の頃は教室に一歩入ったら演じろと言われていたが、やめてもう10年になる。こういうことからも時が経ったことを痛感する。

講座では「職人」ということに少し触れたが、私は職人である。講座でしゃべり倒した興奮と終了後に友人知人と話した楽しさの余韻を振りほどき、すっかり切り替えて帰りの車では翌日の作業や日々の課題について頭を回す。自分の道を間違えないように努めてこういう態度をとってきたが、今では自然に出来るようになってきた。昨日の続き風に言うなら、そういう態度の中に楽しみを見つけるのである。

器用な人、出来る人はこんな不思議な努力をしなくてもいいだろう。しかし私はそこまでの人間ではない。自分を知る。知ったつもりでの自分なりの努力。農家を継続するための努力である。

と何だかんだと言いつつ、帰りの車では早く女房と息子に会いたくて仕方がない(爆)。どうにかならんかね、この寂しがり屋は。帰宅するも、いない。風呂から声。帰ったよ~と言いにいくと、なぜか底にヒタヒタのバスタブの中で、女房と息子が寒そうにひざを抱えてにっこり笑って並んでいる。あんたら何をやっとんねん・・・。

ブロックしたりお話したりで3人でいつもより遅くまで。こうやって職人の夜は更けていった。

2/14 岡山へ援農

今週初めに、脱サラして岡山県で夫婦での新規就農を目指すコルトゥラーダさんのところへ援農に行ってきた。

新規就農を目指しているのか、すでにしているのか、よくわからなくて、というのも何と彼らはワインを作るのが目的なのだ。現在はその原料となるブドウの栽培を始めたところ。早い株がようやく2年目に過ぎず、今回手伝ったのは苗を植える前の作業で、棚の支柱を立てる作業。本人たちは遊休地の開墾から始めていて、棚を作って苗を植えて、3年目からブドウがなって、そしてようやくワインになるという何とも気が遠くなるプロジェクトである。

ここのご主人、取引先の以前の担当さんだった。私が2009年に初めて自然栽培の勉強会に参加したときに出会ったのだが、まさか0℃近い雪の中でこうやって一緒に作業をすることになるとは思いもしなかったなあと話し合ったことだ。

今回私が応援に行きたくなったのは、彼らが大変なことに挑戦しているから少しでも私に役に立てればということも当然あったが、そういう彼らに現場で接して私の気持ちを整えたかったという自分の都合もあった。こういう生き方をしていると、そうやって時々自分の気持ちを整えることがある。これまでは無意識のうちに当たり前のようにやっていたが、昨年に体の養生を意識的にやっていこうと考えたのと同じように、心の養生も改めて意識してやってみようと思うようになっている。

この日の作業はすでに掘られた穴にひたすら支柱を埋める作業。作業をしながら全行程を想像で頭の中で疑似体験してみるが、助っ人の私は何とも途方に暮れそうである。この日がもし逆の立場なら、私は助っ人に少しでも多くの作業をして欲しいと思うだろうから、とにかく少しでも進めるつもりで動いた。

運って大事だなあ、などと話しながらひたすら作業を続けるも、途中で近所の老人がやってきて彼らは中断。話が終わって、ちょっと興奮気味で「願っていたことが叶うかもしれない、反田効果だ。」とご主人。もちろんそんな効果というものはないが、そういうシーンに居合わせれることって理屈でなくて嬉しいものだ。

夕方、次があるのでそそくさと畑を後にしたが、車の中でさらに今後の行程を勝手に疑似体験して途方に暮れる。そしてこの夫婦の凄さをかみしめた。俺もやるぜよ。

2/13 ゴミの撤去でやってしまった

うちに隣接する畑でイノシシ除けの鉄柵をしている人がいるのだが、その柵のせいで昨夏の洪水で結構な量の流木がせき止められ、うちの畑の中に堆積してしまった。それらを撤去するのがつい億劫で放置してしていたのだが、作付も迫っているしさすがに今月中にはやっておかないとと思っていた。

今週初めに何気にその場所を見たら、なんと隣の畑の人が撤去してしまっているではないか!

確かに私の畑に流木が溜まったのはその人が鉄柵を設置したからである。その人が設置しなければうちの畑には溜まらなかったのは明らかである。

しかし、だから責任はその人にある、という考え方はここ田津ではいけない。それを言い出すとキリがないからだ。畑に残されたゴミは畑の管理者の責任で始末する。ただしトタン板やマルチなどで所有者がはっきりわかる物についてはその人が回収する、というのが、田津での暗黙のルールである。

だからこの度の流木の撤去はうちの責任。私も当然そう思っていた。

ところがいつの間にか隣の人によって撤去されて、その人の畑の中に積まれている。かなりご年配で体力的に大変なのでご好意で取ってくれたということは考えにくい。「反田がいつまでも取らないのは、このゴミが自分が立てた柵のせいなのだから、自分に取れと反田が暗に言っているに違いない。」と思われて、仕方なくやられたに違いない。

取ってもらったよ、ラッキー、などと喜んでいる場合ではない。ご年配の方にそんな思いをさせ、そんな作業をさせてしまった、このことはかなりヤバイことである。

せめてその人の畑に積まれているその流木らは、私が運んで処理をしなければならない。何としてもその人にやらせてはダメ。その人がやる前に自分でやっておかないとならない。気が付いた時にすぐにでもやりたかったが、ちょうど仲間の援農で泊まりがけで出かける直前だったので、戻ってからすぐやることに。頼むからまだやらないでおいてくれ・・・。

今朝、無事に自分の手で処分することができた。作業の途中で、少し遠くをその人がこちらを見ながら車で通ったので、「コノゴミ ワルカッタ ジブンガ ハコビマス」と身振り手振りで伝えた。また会ったときに謝っておこう。

以前ならこういうことにはピリピリしていたが、慣れてきたんだろう、どうも最近勘が鈍っている。今一度見つめ直したいものだ。

2/10 訃報を知ること

桜江に戻って来てもうすぐ丸10年が経つが、当初住んだ地区でいろいろお世話になった当時の区長さんが急逝され、今日はその葬儀だった。

この地区に住むに当たって、たまたま地区内の田んぼも借り受けることになったので、それらのお世話もいただいた。「いずれはこの辺の田んぼを頼むけえな。自分がくたばってもあんたが田んぼをやってくれる思うたら、気が楽になって元気になったあな。」などと言われたことがある。

ほどなく引越しをし、続いて田んぼも返して、この地区と縁がなくなって久しくなった。何かでお会いするたびに気さくに声をかけてくれていたが、それ以上の関わりは特になくなってしまっていた。

葬儀というのは、私くらいの年齢であれば遺族との付き合いで出席することが多いが、本来はそのときばかりに故人を偲ぶ場だと改めて思ったことだ。普段からお世話になって感謝の気持ちを伝えている人と違って、縁がほどほどの人の場合は特にそう。いつのまにか亡くなっておられたというのではあまりに寂しい。せめて最期に偲ぶ場はあってほしいと思う。

江津市内であれば亡くなられたことは無線放送でお知らせがあるのだが、それを聞きそびれてしまったときが困る。新聞の訃報欄では遅い場合も多い。普段からお世話になっている人なら、話題として身近な人から耳に入る可能性も上がるが、ほどほどの人の場合は厳しい。「○○家葬儀場」という看板が目立つところに掲げてあるのを見ることで知ることもあるが、よくある苗字だと、いちいち確認までしないことが多い。

こうやって最期の機会を逃した人もいるし、私が知らないだけですでに亡くなられた人もいるはず。かといって常日頃から人の亡くなることに意識を向けておくのも難しい。仕方がないんだろうな。

2/9 そういえばラジオに出た

そういえば、BSSラジオの「シマネのファイト人!」という番組に出演した。放送は2月1日。この日は午後からのJAS講習を前に慌てていた。すでに一週間も前のことだが、昨日DVDを送っていただいたので私も初めて聞いた次第。

農業開始当初と比べて、マスコミやメディアへ出ることへのありがたみが減っている。当初はまだ作物の栽培が軌道に乗っていなかったが、そのうち来るであろう販売での苦労を想定してとにかくアピールをしておこうというスタンスだった。しかし「物」が出来るようになるかどうかという不安の中でのそれは結構辛いものがあった。NHKの「週刊子供ニュース」にも出たということは案外みんな知らない。

そのうち作物が育つようになって、多くの人のご助力により販売先が増えていったが、メディアの直接の恩恵というのは少なかった気がしている。でも後にはメディアを受けての問い合わせというのも増えてきたから、たまたま巡り会わせが悪かったということだろう。

そしてせっかく増えてきた頃には、今度は供給量(生産量)が追いつかない状態になっていてお断りするしかないという状況。断る手間だけが増えて何のメリットもない。もっとたくさん作りたいんだけどなあ・・無念。

しかしそんな今でも、メディアからの申し出はよっぽど忙しいときでない限りは受けることにしている。現場からの情報の発信は、農産物の生産とともに私の大きな役割と考えているから。

そういえば4日前も雑誌の取材を受けている。編集長のおばちゃん、面白い人だったな。雑誌の取材はもうこれまでに何件受けたか覚えがなくて、捨てはしないからそれぞれ事務所のどこかにはあるはず。このブログのアーカイブの移転に頑張るんだから、それと同じことで雑誌だってちゃんと保管するようにしておこう、と今思った。

2/8 このブログについて

2007年3月より「石見問屋」にアップしていたブログが、近々、石見問屋の閉鎖に伴って終了することになった。1900近い記事が消えてしまうのはあまりに寂しいので、このブログを立ち上げ、記事を引っ越しすることにした。

ブログは一番が息抜きの目的で書いてきたものだが、後から振り返って有益なことも多い。この際カテゴリー別に仕分けし、870余りの記事に絞った。

だからこの記事を境に、以前のものは石見問屋時代の抜粋、以後のものは日々のブログということになる。

引っ越し作業を急いだものだから、カテゴリー分けが結構デタラメだし、題名と内容が合わないものもある。少しずつ修正していきたい。

2/6 今期の作付けの変更や不安

今、春からの作付け計画を立てている。このたびは大きな節目があって、まず「下の原」を返したということ。それからかつて耕作していた「渡」の復活。そして何といっても田津の農地が順次更新を迎えるということがある。返すかどうか、圃場ごとに結論を出さねばならない。

作付計画というやつ、考えれば考えるほど結論が出なくなる。何かにつけ一長一短だから、どこかで、えいや!と踏ん切りをつける。その結果上手く行くかもしれないし、ひどい目に遭うかもしれない。しかしそれは自分の判断だから仕方がない。

冒頭の地区の事情に加え、今年はニンジンとサトイモを田津に戻す。これが吉と出るか凶と出るか。ただこれについては悩みぬいた末のことで、畑のものは畑でという基本に立ち返っての判断だから、出た凶には寄り添ってシンプルに工夫をしていく覚悟。

それと大豆の連作。今年5年目を予定している圃場があって、はたしてどうなのか。4年目は収量が大きく減ったが、遅まきやその他の条件が悪かったため、何とも言い難い。今後数年の作付け計画を考える上でこのことには注目している。収量が上がらないようなら来年以降のことを改めて考え直す必要があるかもしれない。

それにしても、細かいことで結論が出ないことが多い、多すぎる。昨年に比べ改善すると思われることもあれば、また同じことの繰り返しもある。すぐにでも改善できそうなのに、自分の力不足でそうならないことも少なくない。

就農後しばらくは、今日書いたようなことで強烈なストレスを感じていたが、今ではずいぶんと慣れた。いい意味でも、悪い意味でも。悪い方に潰されないように気を引き締めていきたい。

2/5 現場を見ようよ

「事件は会議室で起きてんじゃねえ。現場で起きてんだ!」

というドラマのセリフがあったが、今の農業を始めてから特に、こういうことを感じさせることは多い。農業を取り巻く世界が広く深いために、そこに携わる多くの人の気持ちが交錯してそうなるのだろう。

現場とは、各論である。このことで扱いを難しくする人が出てくるのだろう。理論を扱う人にとってはとても厄介な存在が現場。理論に合わないから、「その現場は間違いだ!」なんて笑い話が横行する。

うちがやっているような自然栽培も、「そんなんで作物が育つはずがない。」とやられてしまう。全国の事例を見れば育つというのはもうどうしようもない事実である。事実から理論は生まれるはずなのに、既成の理論にしがみつかざるを得ない(つまり事実を認めた社会になると自分の立場が悪くなる)事情の人が多いから、こういうことになる。

もっとも少し前は、有機栽培で作物が育つはずがない、とやられていたわけで、今やこういうことを言う人は呆れられるくらいの時代にはなったのだから、それと同じこと、時間の問題に過ぎないのではあるが。

起業(新規就農)の分野でもそういうことはある。理論を重視したい立場の人は多いだろうが、真実は現場にしかない。理論栄えて現場滅ぶ、なんてことにならないようにしたいものだ。

2/3 旧暦の年替わりの日々

旧暦の年替わりを迎えて何かと日々が穏やか。数日前から雪の重みで畑に倒れこんだ竹の伐採を進めている。野焼きして処理をするなら新月に合わせて切っておいた方がいいから。どんな作業をやっていてもここ数日は晴れ間があるというのがいい。太陽のありがたみをストレートに想う。

日曜の昨日は少し遠出して仲間の援農に行く予定であった。しかし雨の予報を受けて延期したため、一日が丸々空いてしまった。何処かに行こうと息子に提案するも、最近の息子は家がいいといってどこにも行きたがらない。しかもそれが強硬(笑)。お泊りに行こうと言えば承諾するので、延期した援農はどこぞでお泊りを組み合わせて行こうと話している。

そんなことで、家で暇。家のことでやらねばならないことがたくさんあるのだが、息子はそれを許してくれない。夫婦で交代で草取りマラソンに出かけた以外は、ほとんどをラキューというブロック工作で費やした。

このラキューというブロック、よくできている。ちょっとこれ以上のものはないんじゃないかと思う。しかも奈良県の小さな栓抜き会社が作ったというストーリーがいい。

本当はこういう現代風のおもちゃに頼らなくて子育てできればいいなあと思うのだが、理想だね。

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