はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2014年3月の記事

3/30 自然栽培の決意を新たに(1)

先日の自然栽培講習会で考えたこと。

今回の講習のメインは、果樹の自然栽培の現場実習。私自身、果樹は自宅の庭にある程度で、生業としての栽培自体に興味はないのだが、果樹うんぬんではなく、肥料や農薬を必要とせずとも植物はいくらでも育つのだという事実を、とてつもない説得力で容易に実感させるこの講習を素晴らしいと思った。農業者に限らず、もっと多くの知り合いを誘うべきだったと大いに後悔をしている。

講習会に先立って主催した普及会から、自然栽培普及のサポート役として私は指名され披露された。光栄なことだ。先日、普及への意欲を書いたばかりだったが、今後向かう社会の中で「自然栽培の生産者の責任は重い」という言葉を肝に銘じている。

なぜ自然栽培が広まらないか、という講演があった。過去の歴史を紐解けばそれなりに理由があるという。その一つが、栽培への誤った理解。理念や法則を無視した我流の取り組みが元凶とのこと。なるほど、今なら私にもわかる。いや、わかっているのではないかとビクビクと思う。私が誤った理解をしていてはこんな役に任じられたことは逆効果になるのだから、常に分かったつもりになった自分を省みなければならない。そうやって巷にあふれる都合のいい理解を一つずつ揉み解していけるような存在を目指したい。

具体的には何をするか。続く。

3/29 今日の作業日記

早朝、種籾の催芽状況の確認からスタート。まだ早いと思いつつも、念のため確認に出向く。まだまだ動く気配なし。

続いてトンネルの排水対策を。水の逃げ場のない圃場に作付しているので一部で水が溜まって生育が悪くなっている。バックホウで何か所も大穴を掘って、その穴に水を誘導して浸み込ませようという魂胆。明日にかけての大雨に対しかなり威力を発揮するはず。もっと早くにやっときゃよかったんだけどね。

その後はついでにトンネルの草取りを1時間ばかり。今期の草取りマラソンも、さあどうか、あと10時間くらいか。ゴールは見えたぞ~。

催芽の確認を兼ねて事務所へ戻り、デスクワークをば。一部が催芽中。全体的にはまだ時間がかかりそうだったので、苗代の代掻きの準備としてトラクターにハローを付けに行く。これ結構大変なんよね。

終わって事務所へまた戻る。昼飯食いながら天気予報見たら、あれれ~、強い南の風が吹くというではないか。毎朝、気温と風速と風向きは必ずチェックしているが、見落としたか。こんなことならわざわざ事務所へ戻ってくるんじゃなかった。さっさと弁当を片付け、慌てて畑へ。

トンネルを厳重に閉めて、マイカ線で一部を補強。もう半月くらいで撤去するものに対し今さら補強というのは気分的に面倒だが、ここはこの一手の判断。

事務所へ戻り、催芽の確認。うん、いい感じ。終了。夜にならんで良かったよ。明後日から播種作業の予定。

締めの作業は、ニンジンの洗いと選別。ガラガラ・・ガタンガタン・・。もう飽きた。

終わって、気が抜けた。疲れが溜まっている。で、こんなものを書いている。今夜は集落の総会。明日は集落の行事。嫌いじゃないんだけど、疲れているときは面倒だね。終わり。

3/26 自然栽培の勉強会に出発

今日は昼ごろをめどに広島の呉に行く予定。泊りがけで自然栽培の勉強会 。11月に淡路島であったやつには、当日朝の判断でのドタキャンを強いられた。

今回もトンネルの換気作業の最盛期で微妙だった。夜が低温で昼が高温、あるいは風がやたらと強い、とかならドタキャンの覚悟だったが、なんと2日間ずっと気温が高く、風も弱いという。奇跡だね。これなら換気をしたままでOK。たった今、最終的に参加を決定。2万円という会費が今度は無駄にならなくてすむ!(笑)

もちろん内心はお金のことなんかよりも、勉強ができるということや人に会えるということ。今回のメインは果樹の自然栽培。剪定の工夫で簡単に無施肥に移行できるというのはすでに常識らしい。別に果樹栽培に興味があるわけではないが、その理論となる植物生理について学べるのを楽しみにしている。

あとは「何の気付きがあるかわからない」という楽しみ。その意欲満々。どちらかと言うとこっちがメイン。修業的だね(笑)。何だって、学ぶってのはコッチよ。

3/25 自然栽培育苗への期待

3月プチ繁忙期を粛々とこなしている。

メインは稲の育苗準備。本線は、自家採り籾のノゲ取り→塩水選→温湯処理→浸種(進行中)まで進んでいる。

そして支線の培土準備。今年の自然栽培区はポット苗で450枚。床土を田んぼの土のみで、覆土は稲わら堆肥のみで、と考えている。稲わら堆肥から雑草が大量に芽吹いて失敗した、という記事をどこかで見たが、そんな風にはならないんじゃないかという気がしている。

これらの土や堆肥を土嚢袋で採取して、8ミリ目のふるいで揺すって合計で17時間。少し要領をつかんだので効率化した。使用量は昨年の覚書をもとにはじき出しているので無駄がない。プチ充実感。

昨年は3年目にして、ようやく自然栽培苗の育苗に手ごたえを感じた。殺人的な6月繁忙期の緩和のためには5月20日までに育苗を終えたいという人間(私)の勝手な都合を重視している。うまく行けば、自然栽培コシヒカリの成苗5月田植えが実現する。

また普及の点から考えると、このあたりではすでに用水などの都合が5月田植えしか考えられていない事情を考えても、この度の一連の育苗が成功するかどうかは重要と考えている。

しかし作業時間的にはどうか。培土準備にかかったすべての時間は、先の17時間に加えて、稲わら堆肥の製造(わらの仕込みと切り替えし)が5時間。ポット苗450枚に対して多いと見るかどうか。今後の工夫としては、あまり気が乗らないが電気の力を借りて土の篩いの時短を計るかどうか。

特殊な道具は一切使っていないが、ポット苗というのが、もうこれ以上に特殊なものはない。ここが難点か。反面、ポット苗は自然栽培には最高と思う。

3/24 「風の国」でお泊り

のん気なことばかり書いていたが、実は作業が押しており、バタバタと動き回っている。近年は3月というのはかなり忙しく、4月に入って苗代に苗箱を並べ終わるまでは息をつく暇がない。それが終われば、5月の連休明けまでは意外とゆとりが出る。

そんなときではあったが、昨日はすぐ近くの温泉リゾート「風の国」 で家族でお泊り。事務所から車で10分ちょっとという立地で、こんなところで泊まろうなどという発想すら出ないのだが、今月末まで有効のタダ券を持っていたので(笑)、せっかくなので一度泊まってみようかということになったのだ。息子もお泊りが大好きだし。

直前まで作業に追われて、夕方チェックイン。大して金も落とさんことだし、知った顔もあるので何となく落ち着かない。温泉も入り慣れたとこだしね。

そしたらどうだ。部屋からの眺めが結構いいではないか。見飽きたと思っていた風景ではあるが、ホテルの部屋からの眺めとなれば、うん、これがいいではないか。今までのホテルの中でもかなり上等。おかげでビール片手にまったりと過ごす時間がかなり格別なものとなった。

この風の国。個人的にも少しだけいろいろ思い入れがある。敷地内に生えている木は風の国の造成の前にもともとこの山に生えていた木。山を切り開く前に、どの木を切ってどの木を残すか、という印をつけるため、上田満州男さんとまだ寒い藪の中を歩いた。もう20年くらい前のことだ。

他にもあるが、あらためて思い出そうとしないこともある。まあそれは置いといて。

料理も美味かったし、とにかくあの景色がいい。かなり気持ちのよい時間を過ごさせてもらった。息子の分も含めて結果的に8千円くらいは落としたので、まあ良かったか(笑)。機会があればまた泊まりたいね。

3/23 修業の前提

長々と私のバカ話を披露してきたが、私の修業には、本来あるべき修業とは異なることがある。

先に紹介した本「修業論」 のまえがきから。

『師匠は「いいから黙ってやれ」と言うだけです。同じことを延々と繰り返しやらせることもあるし、そうかと思うと、まだ出来ていないはずなのに、「じゃあ、次はこれ」と新しい課題を与えることもある。処罰も報奨もなし。批判も査定も格付けもなし。それが修業です。』

そう、本来の修業とは、できないからといって叱られるということはないはずである。しかし私は叱られ続けた。私は以前から自分は「正式な」修業をしていないと考えているが、それがまさにここのところなのである。

私の場合、親父と修業の契約をして始めたのではなく、あくまでアルバイトの立場だったからこうなるのである。説明もなくやらせた上にそれに対し何の評価もしないという正統な修業の体を取るのであれば、せめてこれから修業をするのだという契約をし、修行中であるということを常に双方で共有しなければならない。

そして、アルバイトのため賃金が発生しているということがある。経営があるのだから、叱りもせず評価もせず、できるようになるのを呑気に待つというわけにはいかない。短期間に賃金に見合うだけのパフォーマンスを求めることになるのは仕方がない。

つまり効果的な修業をさせるためには、修業の契約をし、かつ無給でなくてはならない。住み込みで必要最低生活費がかからないようにしてやるスタイルが一般的だったのはそのためである。

うちが研修生受け入れの条件を今のようにしたのは(→★ )、つまりこういう方向を目指しているため。都合よくバイト的に使う作業については、自分が麻痺しないために賃金を発生させるけれど、基本は無給。補助金も認めない。これがあると、何日も雑用ばかりやらせる、なんてことをすると「きちんと指導していない」とか「不正受給だ」などと言われかねず修業にならない。また、もう辞めなさい、ということが言いにくくなるし、修行する側にも甘えができる。これを担保に取られては「いいから黙ってやれ」の効果は半減である。

私は途中、「おまえは役に立たないから日当を下げる。」と言われて下げられたし、途中でも2度「もう来なくていい」と実は言われている。その都度粘ってお願いして留まっていた。だからと言うわけではないが、支払日に月間の作業日数が実際より少なく見積もられていたこともあったが(うっかりだと思うが)、それを指摘したこともなかった。私は日当を目当てにこのバイトに通っていたわけではなかったから。

初期に、役に立たない私を、日当を払いながら、剪定ゴミの掃除ができるまで気長に待ってくれた親父の態度が、今となっては奇跡と思える。あの初めの3ヶ月がすべて。その3ヶ月があったから今の私がいると思っている。当時はバブル。親父のほうにもいくらか余裕があっただろう。バブルというのはそういう意味で人を育てる余裕があった時期だったなあと、以前タルマーリーの主じと投合したことがある。だがもちろんバブルなど望んではいない。造園屋の親父に救われた私は、与えられた環境で私ができる範囲のことに、ただ力を注ぐしかないのである。

3/22 私の修業話(その5)

親父の肩書は造園会社の社長。しかし従業員のいない会社で、ただの植木屋、とび職、土方ともいえる。しかし出はエリート。映画会社に長らく勤めた脱サラ組。哲学や見識には恐れいるものがあった。

私のあまりのバカさ加減にいろいろなことを教えてくれた。そば屋で、新聞によって同じ記事でも内容がまったく違うことを初めて知った。

ソ連が崩壊したときの臨時ニュースは作業中に聞いた。「俺たちは今、世紀の大事件に立ち会っている。作業なんかやめてニュースを聞こう。」このことが今後どういう影響を及ぼすかという私見を語ってくれた。

芸能界ネタはさすがに詳しかった。黒沢明に取材したときのことや、その他もろもろ。でも疎かったからあんまりピンとこんかったけど。

車での信号待ちで、へそを出した姉ちゃんが横断歩道を渡っていると、おもむろに窓を開けて、「姉ちゃん!へそそんなに見てほしいのか~、可愛いと思ってんの?」とやる。俺にはそんな勇気ねえなあ、といつも思っていた。

富士五湖の近くの現場では泊まりこみだったが、半日は一緒に山へ登った。私の土俵だ。もちろんこれは後年のこと。

大学を卒業してからも週1~3のバイトとして働いていた。その他は海外登山の計画に明け暮れていたのだが、登山が終わったら従業員として勤めろと言われていた。私もそのつもりだったので、在学中にはいわゆる就職活動というものを一切やらなかった。そして海外登山が実現していよいよというときに、急きょ私は実家の建設業を手伝うために故郷に戻ることになった。親父はガッカリしていた。最後に飲み屋に初めて連れて行ってくれた。嬉しかった。飲み屋を出て別れ際、反対方向へ帰っていく親父の後姿に何度も何度も頭を下げた。涙が止まらなかった。

3/20 私の修業話(その4)

同じ時期に言われたことの一つ。

「お前には気を使わないでいいから楽だな。近頃は気を使わせるやつが多いけどああいうのはダメだねえ。いいか反田くん。この人から学びたいと思う人がいたら、その人に絶対気を使わさせてはだめだよ。お前もマシというだけでまだまだ気を使わせている。2度と俺に気を使わせるんじゃないよ。」

その時は分かるような分からんような感じだったけど、逆の立場になると簡単なことだ。気を使わなくていい奴というのは、何でも言える。言い方も考えなくていい。空気に対してものを言うような感じだから思いつくままに言ってやればいい。落ち込むこともないし、腹を立てることもない。つまり少しでも気に入らないことがあれば簡単に指摘してやれるわけだ。

この気を使わせないという指示。これもかなり大変だった。まず親父の目の前で落ち込んではダメ。叱られっぱなしで1日3回は落ち込みたくなったが必死でこらえた。なんと叱られた時の謝り方もずいぶんと工夫した。どういうリアクションをすれば「叱ったことを親父に後悔させないか」ということを本気で考えていた。あるときトラックの荷台に積んでいた私の弁当を、何を思ったか親父が、「なんだこの汚いものは!」といって草むらに放り投げた。どう見たって弁当なのに。あまりにも驚いたのだが、こんな時でも弁当を取りに行った直後のリアクションで親父に気を使わせないようにと思いながら振る舞った。

おかげでよっぽど接しやすかったのだろう、どんなことでも指摘してもらえた。歩き方が汚い、顔が汚い、体が臭い、と言われたこともあった。顔が汚いのは性格がゆがんでいるからだ、体が臭いのは食っているものや洗剤が悪いからだ、そんなんじゃ彼女ができないぞ、などと冗談ではなく本気で改善策を考えてくれた。もっとも私は汚いとか臭いとかは思っていなかったけど、真面目に言われるとおりのことはしてみた。

お茶菓子を買うようにと言われて施主(お客)さんがくれた千円札を、どうせ自分が買いに行くんだからとポケットにしまいこんだことを、エレベーターに乗り込んで施主さんの顔が見えなくなった瞬間、「ふざけるな!」と叱られたこともあった。

今考えると懐かしい思い出だが、当時はやっぱり叱られ続けるということは辛く、朝の出勤は気が重かったし、帰宅後は体力というより気力を使いはたしてクタクタであった。

続く。

3/19 私の修業話(その3)

ネタはたくさんある。

会社は東京の小平市だが、現場は山梨から茨城まで広範囲にあった。車で片道2時間というのもザラ。ある日、現場へ向かう車の中で言われた。「お前と一緒にいると辛気臭いんだよな。もっとしゃべろよ。」

といきなり言われて困った。困っておたおたしていたら、「だからしゃべれって言ったらしゃべるんだよ!」と追い打ち。ハッキリと記憶にはないが、あーあーへーへーと取りとめのないことをしゃべったと思う。そしたら、「け、全然面白くねえよ。ホンット愚図だな。」

それからというもの、ただでさえ常に緊張して辛いバイトが、輪をかけて辛くなった。話しかけられて親父の満足するリアクションで返せなければ、コテンパンにコケにされる。こんな親父と話が合うわけないだろ・・・と思いつつも結構頑張った。

そしてずいぶん経ったころ、「お前最近話が面白いじゃないの。」と言われた。別にネタ的に面白いわけではないから、きっと親父にとっては会話のキャッチボールが自然になったのだろうと思った。私の中ではまだまだ頑張っていたので褒められたところで喜びも半ばだったが、次にこんなことを言われてハッとした。

「な、反田くん。誰とでも話ができるということは生きていく上では大事なんだよ。こういう商売は特にお客さん相手だから、話が面白くない奴はダメなんだよな。それに話が面白ければ人からかわいがってもらえるもんだよ。」

ようやくこんなことを言われて腹にズドンときた。同時に以前の自分がどれだけ会話が下手だったかを、そして今の自分が未だどれだけ未熟かを思い知った。自分はもっともっと学ばなければならない、学びたい、この親父から学んでみたい・・・。

続く。

3/18 私の修業話(その2)

週1~2で通うことを許されてからの作業は、明けても暮れても庭の草取りか剪定ゴミの掃除。ほとんどの場合、親方と私の2人だけという体制。

その日の現場ごとに状況が変わるので、初めに要領を教えてもらって、あとはひたすらやるわけだが、「お前いつまでやってんだ!金を払うこっちの身にもなってみろ!」という矢が飛んでくる。で頑張って早くやって、どうだ!とやると今度は、「なんだこの雑さは。給料もらうからにはきちっとした仕事をするんだよ!」とくる。

初めのうちはとにかく認めさせてやるという気持ちで頑張ってやっていたが、来る日も来る日もこれである。何がどう悪いのか、どうしてこの程度ではいけないのか、前回はこの程度でいいと言ったじゃないか、などと聞いてみるのだが、「うるさい、こんなことで口答えするもんじゃない。お前ホンット愚図だな。」などと一蹴される。作業のかかりの簡単な要領以外は、他に何も教えてくれないのだ。

こんなのが続くと、だんだん気持ちも落ちてくるし自分なりの工夫や努力も煮詰まってくる。「この親父、ただ俺をコケにしようとしているだけかもな。」という気持ちも正直湧いた。バイトの朝は起きるのが辛い。昼飯食いながらの話も憂鬱。もう辞めようと何度思ったかしれない。こんなのが3か月続いた。(週1~2でも、3か月って長いよ~)

そしてある日、お?!今回はそれなりに早く、かつ上手にできたんじゃないのか?と自信を持って思えたことがあった。何となく、どうだ!という気持ちで親方に終わったことを告げると、「珍しく上手くやったな。お前もやればできるじゃないの。」と褒められたではないか!!!

このときの感動というか、不思議な気持ちは今でも忘れない。何かが降りてきた感覚。自分なりの確信めいた何かと実際のパフォーマンスとが一致したという不思議さと、技術が身につくとはこういうことなのか、ということを強く感じ、思った。そしてこの親父を信じてこのバイトを続けてみれば何かがあるぞ、と思ったのだった。

そしてその後の同じ作業では、2度と叱られることはなくなった。しかしやはり時々下手なことはあり、下手だと思うとこちらから言うと、「そう思うなら上手くやれよ。」と言われるくらいで叱られることもなければ、上手い下手さえ言われなくなった。そのことも当時は不思議であったが、今になれば良くわかるのである。

思えば、社会の入り口の時点でこのような体験ができた幸運を認めずにはいられない。この体験があったからこそ今の自分があると思っている。次から次に入れ替わる同僚を横目に、大学卒業後しばらくまでの3年半この親父のところに通うことになるが、はたしてみっちりといじめ抜かれることになる。

続く。

3/17 私の修業話(その1)

私の修業の話。いつか書こう書こうと思いつつ。

私の場合、改まった目的でどこかの職人に弟子入りしたわけではない。修業の場はこれまでときどき触れてきた学生時代の造園のバイトである。

時はバブル。バイトには困らず、フリーターが一番金持ちという時代。先輩の紹介で応援要員で造園会社へ単発のアルバイトに行った。その日は記憶にないくらいに淡々と過ぎた。

後日、今度は仕事をやらせて欲しいと自分で直接電話をしたら、「君は使えないからいいよ。」と言って断られた。悔しくて数日後また電話をした。「あんた、誰?」といって電話を切られた。

悔しかった。バイトは星の数ほどあるさ、と気持ちを切り替えようとしてみたが、悔しさが消えることはない。しつこく食い下がるべきかどうか。でも何か惨め。電話の前で腕を組んで悩む日が何日も続いた。

そして悩みくたびれてまた電話をした。「もう1回だけでいいから仕事をさせてください!」許しが出た。

2回目のバイトは親方と2人きり。散々だった。「お前の親父が土方で苦労してきたという割には、何でお前はそんなにダメなんだ。」「近頃の学生はダメになったねえ。よくこれまで生きてこれたな。」「お前に給料払うのはもったいないよ。」・・・吐き捨てるように言われ続ける。ぬくぬくと育ってきた当時の私には免疫などなく、気持ちはどんぞこにまで落ちた。しかしその日は見返してやりたいから来たのであって、ひたすら「はい」「すみません」と耐えて踏みとどまる。その態度がわずかに認められたのかどうか、「またやりたきゃ使ってやるよ。」と週に1~2日通うことを認められた。

若干20歳の秋。続く。

3/14 続・「修業論」

昨日紹介した本、「修業論」の続き。

これまでにいろいろな立場の人から、人を育てることについての意見をいただいてきた。そして傾向は明瞭で、修業の経験のない人というのは、「説明をすることが重要だ」ということを言われる場合が多い。そういうあまりにも真反対で相容れない主張が意外と幅を利かせているので私の中で無意識のうちにうっぷんが溜まっていて、それを圧倒的な説得力で説明された本に出会ったために、どうだ!と言わんばかりに紹介したという次第である。

私らの目から見てズレているなと感じざるを得ないのは、研修(修業)の目的を勘違いしているということ。例えば農業研修であれば、農業で一生食っていける自分になる、という目的の子に対し、研修を無事に終わらせることを第一義として接する、つまり途中で研修をやめるという行為が最悪の事態と考えるのである。一生食っていけるかどうかは関係ない、まずは研修を無事に終えて数年でも続けてくれればいい、と考えているとしか思えないケース。

これでよければ受け入れる我々も苦労はしない。しっかり研修の意義を説明してやって、適当におだてながら楽しく接してやって、独立した後も営農や販売の実際を後押ししてやればいい。実に簡単なことである。

しかしそれで3年は続いても10年、30年とは続かない。本人の意思に反して一生続けることは叶わない。人生はゲームではない。本人の命がかかっている。社会は厳しい。農業は厳しい。その厳しさの中にしか生きれない生身の人生なのだ。

だから受け入れるこちらもそれなりに接する。その厳しい世界で生きていけるようになることを第一義とする。その兆候が見えるまでは待つ。待つことが唯一の手段である。他に方法がない。ここでは明らかに兆候の見える期待がないと思えば辞めさせる。うちで辞めて、次でも辞めさせられれば、その次くらいでは何か見えてきてほしいという期待を持ってやる。その時にようやく私が言ったことの1つや2つくらいを理解してくれればいいと思ってやる。信じてやる。

「職人」という言葉がある。職人になるには人間改造とか、職人は仕事を最優先とか、いろいろな職人像を聞く。私なりに職人とは何ぞやといつも考えてきたが、この本はこういうことにも示唆をくれた。

とにかく私が言いたいようなことはすべて書いてある。生意気な私にとって本に流されるなどとは悔しさの限りだが、流されているのではなくて本当に思っていたことが的確に書かれていて脱帽なのだ。そして世の職人の哲学の行きつく先はほとんど収束していくのではないかと考え始めている。自然界に原理原則があるように、人の道にも同様のものがあるのではないか。

「職人とは多くを語らない。口下手もいれば、機会を得ない人も多い。しかし哲学が素晴らしく、社会を良くする方法論を持ち合わせている。」ということを私は造園の親方から良く聞かされていた。具体的に教えてもらったことはなく、分かるような分からないようなことであったが、今になって少しはその意味が分かりつつあるのだろうか。

3/13 「修業論」

自宅に女房が買ってきた本が転がっていた。「修業論」内田樹著(光文社新書) 。「まえがき」の10ページを読んだだけで圧倒されてしまった。修業のことをこんなに分かりやすく表現した本があったとは!!

私は農業研修生の受け入れの際に、研修というより修業だということを伝えてきた。うちのような農業スタイルでは小手先で技術を身につけるだけでは従業員としても足りないし、ましてや独立就農ではなおさら。だから必然と単なる「研修」というニュアンスではなく「修業」ということになるが、修業とは何かということをあまりに実感できない子が多く、では、と「私が」説明すること自体がすでに修業の目的と相入れないため、いつも困っていた。

以下、前書きから抜粋。

『・・・修業というのは「いいから黙って言われた通りのことをしなさい」というものですけれど、いまどきの若い人たちには、そんなことを頭ごなしに言ってもまず伝わりません。どんなことについても、「その実用性と価値についてあらかじめ一覧的に開示すること」を要求しなければならないと、子供の頃から教わっているからです。・・(中略)・・彼らはこう考えます。努力させる以上は、努力した後に手に入るものを、あらかじめ一覧的に開示して欲しい。そうすれば努力するインセンティブ(動機、励み)になるから、と。・・(中略)・・ところが修業というのは、そういうものではありません。修業して獲得されるものというものは、修業を始める前には「意味不明」のものだからです。・・(中略)・・修業は商取引とは違います。「努力」を代価として差し出すと、使用価値の明示された「商品」が手渡されるというシンプルなプロセスではありません。だから消費者として育てらてきた子供には意味が分からない。・・(中略)・・この本はそういう「子供」に対して、修業とはどういうものかをご理解いただくために書きました。・・・』

読んで、しびれた。よくぞ言ってくれた。しかも圧倒的な説得力を持って(涙)。これからはうちで研修を受けたい子には黙ってこの本を買わせて読ませて、私が何も言わないことが晴れて可能になる。

私も20代前半でまさにこういう修業を受けてきたが、修業をした後何らかの成功を収めている人は、修業に対するこういう姿勢がひとりでに出来ていた、あるいはいつしか出来るようになった人であると確信する。一方でどうしても姿勢が変わらない人はいる。それはそれで仕方がないし、別に悪いことではない。その場の修業をやめることも長い人生の中では一つの修業として位置づく。

「子供」に対して書いた、とあるが、子供だけではない、ぜひ人を育てる立場に「何らかの関わりを持っている大人」にもこの本を読んでもらいたい。私に関わるところでは、新規農業者育成に関わる行政マンにはぜひ。

ここ島根でも農業者を育てていこうという動きが盛んだが、私の目から見てあまりに関係者の残念な態度が少なくない。もちろん行政の仕組みや本質からいえば、修業の概念と相容れないということは仕方がないとも思う。(そもそも「現場」でも「修業体験者」でもない立場でリード的に関わるというところに無理があるのだから、そのくらいは前提でやらねばなるまい。)しかしこういう理解くらいあれば、研修者(弟子)と受け入れ者(親方)を同じ場に呼んで、研修のための研修会を行うという不思議なことはなくなるだろうと思われる。

まあ周囲がどうであれ、修業をする本人がしっかりしていればすむことだから、行政など関係者への要望は私にとってはおまけ程度のこと。よくよく誤解をされないで欲しい。

ちなみに身の程知らずにお節介を言うと、関係者が読むのは「まえがき」だけでもいい。わずか10ページだ。両面コピーで回覧で。他は修業未経験者には少し難しいかも。できれば最終章の「稽古論」。ここは読みやすいだろう。これもわずか15ページ。まえがきの理解を手っ取り早く深めることができるのではないか。

もちろん当事者には全部読ませる。読ませておいてそれについては何も触れない。ときどき思い出したように「また読め」と言う。それですむ。素晴らしい。

3/10 人参のネット販売の再開

ニンジンのネット販売を続けている。自分で種採りをして世代を繋いでいる「固定種」のものは早々と店じまいをしたが、今日から種屋さんで買ったF1品種(向陽二号)の販売を開始した。今回のは固定種の半値くらい。うちのサイト からどうぞ。

昨年思いがけず好評だったものと同じ品種。味も昨年同様の味ではある。違うのは全体的に小さ目ということ。種まきの半月の遅れではどうしようもない。肥料を振れば何とかなったことは間違いがない。肥料とはそういうもの。反面、だから使いたくない。

ネット販売以外でも、今週半ばから県内の「グッディ」と「ラパン」に並ぶ予定。近隣の道の駅などの直売所以外では、今回はこの2社だけ。東京の紀ノ国屋さんは今回はなし。サイズと量が全然足りないから。情けないね。

はんださんのなら何でも置きますよ!とまで言ってくれているところもあるのだが、ゴボウでも何でも、量が足りなくて期待に沿えずばかりでいる。洪水ということもあるし、うちのような栽培での宿命ということもあるので、いつもというわけには行かないだろうがもう少し底上げをしたいものだ。

3/8 祝・10周年

今の農業を始めて今月で丸10年になる。10年前のちょうど今頃、千葉からこの故郷へ戻ってきた。祝!10周年。無我夢中でがむしゃらに走ってきたというところで、なんとか生き延びてこれたなーというのが素直な実感。

一昨日、農地の契約更新のことで市役所へ行って坦当さんと話していたら、部長さんが戻ってきた。「・・もう更新かな。」「・・もう更新です。」今の農業は当時課長さんだったこの方からのお誘いが発端。「いろいろ調べてあんたに連絡したんだ。」「真っ暗になった田んぼで携帯が鳴ったときのことはハッキリと覚えていますよ。」そんな昔話を2つ3つ。その部長さんも今月で定年だ。

いきなり10ha規模から始めろという就農話だったが、よくもまあ受けたものだ。若かったし勢いがあった。苦労をよっぽど覚悟していたつもりだが、その想像はその後直面することになる実際のものにはまったく及ばなかった。挫折と絶望が何度となく襲ってきたけれど、それまでになめてきた辛惨を思い返し、かけてくれた両親を思い、こんなところでくたばってたまるか、の一念で走ってきた。

そこには多くの人、・・・実に多くの人のおかげがある。昨夜ふとんに入って眠りに落ちるまでの間、これまで関わりがあった人の顔が1人1人脳裏に浮かんでは消えた。今では関わりのない人も多い。

みなさんのこと、決して忘れません。

始めた当初のメインは大麦若葉で、あれだけ全力を傾け経営の柱になっていたのに今ではまったく作付けをしておらず、いつもの間にか自らを「ゴボウ屋」と称し、お米と大豆という日本人にとって基幹食糧ともいえる作物が経営の柱になった変遷を、興味深く、また驚きをもって他人事のように眺めてみる。

またふるさとの宿命ともいえる洪水の洗礼をたびたび受けた。その都度絶望に陥り、恨めしさを抱いたが、今ではその田津地区の洪水由来の土の偉大さに陶酔し、洪水と共存できる経営の確立こそ私に課された使命であると心の底から思えるようになった。

そして自然栽培との出会い。土の「ゼロ場」を表現する守り役としての自分の存在、生き方。そういうものをこれから本格的に追及して行きたいという意欲は大きくなるばかりだ。

と、きれいごとはいろいろあるが、何より続けてこれたという事実が何よりも尊い。新規就農組の「続けることの難しさ」ということを、28歳の時の岡山での研修で師匠から嫌というほど聞かされ見せられ、ずっとそれを強く意識してやってきた。敵は「くたびれ」。簡単なようで難しい。その強い意識の先にはさらに様々な視点が見て取れて、師匠には感謝だし、勘違いすることなくこういう思いでやっていられる境遇がとてもありがたく思える。

さて、次の目標は20周年だ。鬼門である機械の更新期をまだ迎えていないので、これからの10年がうちの農業経営にとって一番大切な10年になるだろう。これを乗り越えたときにようやく展望が見えるのではないか。

そしてさらにみんな歳を取る。10年後に私は53。女房は44。息子は中学卒業。他に小学生がもう2人くらいいないかね(笑)。両親は70後半。両親に感謝はし尽くせない。譲り受けた基盤があってこその今。傾けることなく息子の代に繋げたい。20周年に向けてはそういう位置づけになる。

3/7 草取りマラソンの再開

3日前から、急きょトンネルの草取りマラソンを再開している。またやってしまった・・・というべきか、タイミング的にはもう少し早くに再開するべきだった。草の様子を気にかけているつもりではいるが、近年では慣れが出てきて5日も見ないことがざらである。これがいかん。ニンジンの収穫をしていた頃の高温傾向で一気に様子が変わったらしい。

今やっているところは太陽熱処理区。うちの全圃場の中で草が一番多いようなところだが、処理のおかげで今年はかなり楽が出来ていた。しかしやはりトンネルのビニールが古いところでは草の勢いが凄い。処理の効果を無関係にするくらいの状態に一気になってしまってびっくりしている。

この太陽熱処理区。今回はゴボウの生長が悪い。しかしそれは処理のせいではなくて、9月4日の洪水の引き水によって隣接の竹藪から圃場に流れ込んできたA0層(落ち葉など)の扱いを誤ったからと考えている。

太陽熱処理はできるだけやめたいと考えているが、今のうちの経営規模と私の実力では切るに切れない。前回書いたニンジンについていえば、ゴボウとお米と大豆の片手間にやっているのだから太陽熱処理をしない管理は考えられない。

来年のゴボウにも太陽熱処理は導入するつもり。トンネルビニールの新しさの程度と、圃場の土質との組み合わせ技で、より効果的になるだろうということが見えてきた。それとこの度考えた地元の人にでもお願いできるレベルの除草方法。ようやく「とりあえずの管理」が見えてきたぞ、という期待にかろうじて支えられて、明日からを何とか凌ぐつもりでいる。

3/5 圃場見学会を恒例にしたい

昨日の続き。

河名さんの主張、都合良く解釈しようと思えばどこまでもできるし、悪く解釈しようと思えばこれまたどこまでも悪くできる。大事なのはベースであって、やることをやった上でのことであって、これを無視する(考えられない)から都合のいい解釈になってしまうのである。(もっとも私だってまだそうだろうけどね。)

仮に当地で氏の講演を開催して、聴いてもらいたい人は山ほどいるけれど、私の勘から言って、果たしてどれだけの誤解が渦巻くだろうかという心配が尽きない。

といってただじっとしているだけ、とは思っていなくて、これは私のライフワークにも関わることで、私なりにこれまで、いろいろなことをそういう意識でやってきたつもり。だけどこのたびは私ももう少し何かせんとならんかなあ、と思ったところ。

「自然栽培から見る」というのが一つのポイントだろうから、私が貢献できるのは、まずはたくさんの人にうちの圃場を見てもらい自然栽培というものを知ってもらうということではないか。年に最低1回は圃場見学会を実施する。実際にそういう希望は多々あって、そうしょっちゅうは時間が取れないために何となくあまり実現していない。昨年の8月に「風のえんがわ」の多田さんの呼びかけでこじんまりとやったことがあったが、かなり好評だった。それ以来このことは念頭にはあった。

しかしイマイチ前向きに考えられなかったのは、恒例のタイミング作業問題のせい。かなりの時期にタイミング作業で待機をしているのでなかなか予定が入れられない。強いていうなら昨年同様8月上旬がいいか。タイミング作業はニンジンの太陽熱処理マルチングだけ。しかしこれは極めてタイトで、逃すと一作を棒に振る可能性もある。あとは判断。または得意のドタキャンあり前提での開催。

こうやってベースを伝える。ある業界からこのブログの自粛要請が出ていることもちょうど良い(爆)。ただそれにはそれなりに私が学んで、見せれるだけのもの説明できるだけのものを準備できなければならない。失敗や恥は堂々と。うちのホドホド加減はそれでそれでいいのではないか。シロアリのことだって考えれば考えるほど仕方がなかったことのように思えている(内輪ネタ・笑)。

さあ、地味に行くぜよ。

3/4 久々に河名さんにお会いして

先週末は鳥取県米子市へ。「虹の麓の暮らし市」というイベントで講演をされるナチュラル・ハーモニーの河名さんに会いに。

実に河名さんとは4年ぶりの再会。自然栽培の勉強中には半年で3回もお会いしていたが、いざゴボウやお米を納品できるようになってからは一度もなし。その間島根には2~3回来られていたが、こちらの都合が合わずに失礼をしっぱなしだった。

イベント翌日には自然栽培を始めたばかりのM氏の畑を見に行かれるというので、家族で同行。出雲大社の正式参拝にもご一緒させてもらってとても有意義な時間をいただけた。

講演は相変わらず凄い。同様のことを主張される人はたくさんおられるが、河名さんのスタンスは「自然栽培から見る」というのがいい。考えだすととても深くて、人間の浅知恵を振り回したところでしょせん自然界からは出られないのだということが、より一般の人に分かりやすく見えるのではないか、と自然栽培農家である私は思ったりする。

またいわゆる「自然農」からでは見えない事柄もこの人間社会には多そう。そういう角度からも「自然栽培」の意義を感じたことだ。

そして何より大変大変勉強になった。もっともっと多くの見方考え方を学んでみたいものだ。

当地でも河名さんの講演ができないものだろうか。食や健康の域から飛び出して、経営や地域づくりにまで活かせる示唆が溢れるほどにありそうである。一見盛り上がりを見せるかのような周辺の動きに何となく違和感を感じているのは私だけではなく、是非そう人たちで力を合わせて実施する価値は大きいだろう。

しかし一方で期が熟していないという思いもある。それだけ当地では地盤沈下が激しいと私は考えている。ではどうすればいいか。

続く。

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