年末年始の出荷について

はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2015年8月の記事

8/31 江津市街への行き帰りには「蔵庭」へ

身の回りがいろいろ動きつつある。午前中は急用で江津市街へ。今日も明日も夜は会議だ。

過疎のど真ん中で、45歳が、最先端の農業に取り組み、17haの農地を守っている。求められるようになるのは必然であろう。しかしもちろん日々の生活、とりわけ生半可でない会社経営というものがある。あくまで身の丈を意識し、可能な限りで汗をかかせてもらいたいと考えている。

帰りに「蔵庭」に立ち寄る。こちらは。7月末にオープンしたばかりのカフェとパン屋。この欄からもアップしようしようと思いつつずるずると・・・。WEBサイトはこちらから。ランチメニューにもパンにも「はんだ牛蒡」を使っていただいている。それがまたしっかりゴボウ臭くて良い。

ほぼ261号線沿いという立地が、何かあれば江津市街へ出向く桜江町民にとっては嬉しい。

入り口の様子。そうそう、あそこよ。

8/30 鎌で指を切ってしまった

昨日の夕方ゴボウの草引きをしていて、鎌で左手人差し指をザックリ。深さが5ミリくらいある。この細い指で5ミリは深い(笑)。病院行きも考えないではなかったが、傷口が固くくっつくように指を固定して様子を見ている。一日経って、大丈夫そう。

こういう商売をしていると、この手の怪我は宿命みたいなもので、これまでにも数え切れないくらいにやらかしている。病院で縫ってもらったことだってあるが、指が欠けている人も少なくないのだから、この25年間でそこまでひどい怪我をせずに済んでいるのは幸いというべきだろう。

怪我をするたびに、改めて注意を払う良い機会だと思っている。こういうことがあるから、大きな失敗がないということ。病気と同じだろう。

一昨日の夜から、夜が更けると咳が出る症状に苛まれている。軽度だし、単純にありがたいと感謝するだけのことだが、ちょっぴり寝不足になるのが不満。このたびの指の怪我も、キーボードを打つのが不便。ま、左手だから農作業の障害にならないのが嬉しい。

8/29 秋まきゴボウの収穫が終わる

今朝、秋まきゴボウの収穫が終了した。これまでで2番目に遅い終了となった。

遅くなった原因はいろいろあるが、収量が極めて良かったということがある。トンネル頭数を大幅に減らしたが収量はそれほどの減にならなかった。その結果冷蔵庫に入りきらずに収穫作業を中断するはめに。

収量が良かったのは歩留まりが良かったため。B品、C品の少なさは過去最高だろう。農家が儲けるための最大の方法は歩留まりを上げること、という極めて当たり前でほとんどの人が軽んじる事実を、理論ではなく現実として実感したところ。

自然栽培に取り組み始めて徐々にではあるが歩留まりはよくなっている。太いゴボウが上がりにくくなって、それを待っているお客さんの期待に応えられない方向であることが申し訳ないが・・。

また恒例の「抜けないゴボウ」問題。解決には程遠い。過去4回の作付けが専用収穫機でほとんどきれいに抜けてきた圃場が、今年はかなり抜け残ってしまっている。これから暇を見てはバックホウで抜いていくことになるが、これも楽でない作業だ。推定で300kgくらいあるからトラクターで潰してしまうにはあまりにもったいない。自然規範に沿うほど楽になるはず!ということが、とりあえずここでは苦戦している。

8/28 一押しの夫婦

少し前になるが、新規就農の若い夫婦を我が家に招いて一杯やった。自然栽培にも取り組み始めていて、個人的には県内で一押しの駆け出し農業者だ。

直接的には販売についての相談にのるという名目で招いたものだったが、販売は販売だけと簡単にはいかないので、当然経営全体に話に。「こいつら何者?」と予てから思っていたのだが、話して分かったのは何事にも勘がいいのである。聞いてみると2人とも商売人(自営業者)の家で育ったとのことであっさり納得。

いい玉だけに今後に期待したい。が、相談を受けながら思ったのは、もう「一すがり」できるものが足りないかなということ。私の場合では、両親の応援、研修時代の岡山の社長の協力、行政の熱烈なバックアップ、そして類まれな田津の土といったところか。こういう「運のよさ」があって今の取り組みがある。これらがなかったら、付近に大消費地がないという当地にあっては、私は明らかに専業農家にはなりえなかった。

寄らば大樹の陰という言葉は好きではないが、凡人には寄るべき大樹というのはやはり必要である。

白紙の新地に農業経営という楼閣を作り上げる。それは並大抵のことではない。となれば、まずは寄るべき大樹を1本でも2本でも見つけること。それは試行錯誤をしながらでいい。迂回をしながらでいい。「経営」はこういうところから始まっている。

ということを、この夫婦はさりげなく分かっているっぽい。こういうところで勘がいいのである。後は分かっていることの実践。いつの間にかうちの販売協力を取り付けたことは天晴れ(笑)。

「いっそのこと、こっち来てやれば。」

「実は来る途中に車の中でそんな話をしてたんです。」

そのときは冗談の会話だが、マジで来んかねえ。うちは結構使えるよ。過疎で戦い場所も十分あるし。間違いなく面白いことになると思うけどな。

8/27 最近の畑の作業

ただただ、ジッと畑の管理。近頃やっていることを以下羅列。

春まきゴボウや里芋や大豆の草引き、
緑肥後圃場の耕うん、
耕作放棄地の耕うん、
大豆の電気柵周りの草刈り、
圃場周囲の草刈り、
農道の草刈り、
事務所周りの草刈り、
秋まきゴボウの収穫、
抜け残りの掘り取り、

あくまで畑の作業を挙げただけで、他にも倉庫や田んぼの作業がある。これらを天気や体調や気分を考慮して適当に選んでやる(笑)。全部今すぐやらんとならんことだから、何をやってもいいわけよ。

こんな状況なのに、週間天気予報は悪いねえ。雨でも合羽着てできることはたくさんあるし、デスクワークも溜まってるし、困らんのだけどね。畑が進まんよ。

ああ、腰痛て。悩みや不安は山ほどあるが、家族も元気だし、毎日が平和で幸せなことだ。

8/26 台風は強烈だったが

昨日の台風は風が凄かった。冬の季節風の強風では時々あるが、台風でここまでのものは久しぶりだったのではないか。田んぼを見回った時はちょうどピークだった感じで、それはもう凄まじく、揺れながら斜めに引っ張られ、稲株が抜けて飛んでいくんじゃないか心配したくなるほど。大豆も同じく。

稲は一部でいくらかなびいたが、「何かあった?」と言わんばかりの様子。強いねえ、よく折れないよ。あんな細い茎のくせにね。

もちろんこれはうちの田んぼであって、周囲を見回ると倒伏したところもある。ただキヌムスメの普及でまだ穂が青い田んぼが多く、全体的に被害は少な目。よかった。

ところでうちの稲。どうせどんな風が吹いたって倒れることはないと高をくくっている。というのも収量がしょぼいため。私の経験では反当400kg程度まではよっぽどおかしな水管理をしない限りはまず倒れない。逆に言うと台風でせめて少々なびくくらいでないとお米は取れない。だから今回も「いくらかなびかんかなあ・・・」って思っていたのだが、ほとんどなびかんかった(笑)。

自然栽培はまずは目標が反当300kgなんだけど、今年も届かなさそう。台風で田んぼ全面が美しくなびく稲を作ってみたいものだ。

8/25 田んぼの水管理の工夫

今年は田んぼのことをあまり書いていない。昨年に引き続き安定した感じなので、つい書かないということになってしまっている。

しかし手のかけようは例年と変わらない。いや例年より少し頑張っている。それは水管理。取水口と排水口が同じ場所にあるせいで奥の水が入れ替わらない仕組みがずっと気に入らなかったが、今年は奥の畦を切って塩ビ管を埋め、隣の田んぼとくっつけてみた。3枚続きの田んぼで、例えば1枚目と2枚目から取水し3枚目から排水するという水の循環が可能になったのだ。

これによって稲の質がどうなるか、というのは実は微妙なんだろうと思っている。いわゆる「地力」が少なく、毎年白濁粒に悩む田んぼだから、これしきのことでもし症状が改善されるのであれば苦労はない。ただ年を経て少しずつ改善していく上で、こういう良い条件を整えていくことは大事だと考えている。

そうは言うものの、一応毎日見回って細かい水管理をしているわけだから、少しでも「お、ちょっといいじゃん!」ということがあることを期待している。

その田んぼももうすぐ稲刈りを迎える。今のところ9月5日頃から始めるつもりでいる。ちょっと早いが、そのくらいで始めないと最後が刈り遅れということになりかねない。毎年収穫時期の決定には気を使う。

などと気を使っても実は使い損になりがちなのだが、何を言ったところである程度「畑の始末」が付いていないと稲刈りは始めれない。逆に言うと、今年は9月5日までに畑の方をつけないとならないということ。あと10日足らずで、しかもそのうち2日間は出張で不在。いやはや、これは一体どうなるのだ、もうどうにもならんじゃないか、と半ば諦めているところである。

8/24 楽しみは多いぞ

「続く」、と書いたが、やめた。ちょっと頭の中がそれ以外のネタに占拠されていて、それと関連しながら別の可能性やステージが見えてきそうな気配がある。それに田津地区の作型の悩みなんてものは、きっとこれからもずっと続いていくだろうしね。

頭を占拠しているネタってのはこの地域の行く先に関連することでもあり、前向きで楽しい構想。ロマンチストはリアリストでなければならない。ようやく自分にも何かができそうな気がしてきている。

それにしても頭の中がグチャグチャよ。歳をとって能(脳?)力が低下している実感を持ちつつも、我ながら、それなりにようやっとるわ。

8/22 田津の作付けが、いよいよ困った

最近はちょいちょいと触れているが、田津地区の土地利用について悩んでいる。ブログを書き始めて8年半になるが、以前から読んでくれている人は、まだ同じことを言っているのか・・、と呆れるかもしれない。

スタートが7haから始まったのだ。7haって、分かる?100m×100mの正方形が1ha。それが7枚。実際には1枚の平均面積は0.25ha程度だから30枚くらいあるわけ。それだけの畑に何を植えるか。植えるだけならサルでもできる、それを売らねばならぬ。そうして初めて畑を活かすことになる。それを新規就農者がやったわけ。未来も見えず、生きているか死んでいるか分からんかったよ、当時は。

あ、ちなみに7haって田津地区がってことね。他の地区もあって全体では10haあったんよ。

その田津の畑は多いときで12ha(全体では20ha)まで膨らんだ。しかし徐々に減らして今は9ha(全体では17ha)。幾多の試行錯誤と変遷を経て、ゴボウと大豆と大麦で何とかなるかと、ついにこの問題に終止符が打たれるかと期待してきたこの1年だったが、ここに来てまたもや頓挫。

原因は何度も書いてきた「洪水」と「イノシシ」と「有機JAS」。もうこれだけの面積を維持するのには、これまでも何度もそうであったが、いよいよ精魂が尽き果てそうである。

続く。

8/21 家族旅行にしょっちゅう出かけている

ときどき、「旅行に行くことはあるのか?」と聞かれることがある。休日のない日が多いのでそう思われるのは当然かもしれない。

しかし実は、あまり口外しないのだが、我が家は家族旅行によく出かける。産地視察や研修を伴ったものも多いが、ちゃんと旅館に泊まる家族旅行である。

6歳の息子がこれまでに泊まった旅館を数えてみたら28もあった。初めの1年はあまり行っていないから、それを除くと年に5泊以上のペースで泊まっていることになる。「旅館行こ~」はある時期の息子の口癖だった(笑)。

私は学生時代に放浪癖があって、社会人になってひと所に縛られて生きていくことができるかどうかの不安をよく感じていた。旅先で遭う人々に「今のうちだぞ~」と言われてきたこともその不安を増幅させたかもしれない。今では土地にしがみつく百姓。しかもまったく苦にならない。これは意外だった。すっかり「遊び」きったという感覚なのかもしれない。

人間は深いと感じるシーンは多いが、今のようなネタについてもある。つまりあることに熱中したら、それにはまり込んで他のことに見向きもしなくなるか、逆に飽きて別のことをしたくなるか、人によって場合によってそのどちらかだ。そしてどちらかになるかは運のものかどうか。それとも法則があるのかどうか。

まあ、そんなことを真剣に考えるほど気難しくもなれない。なるようになる。何でも思いっきりやればいい。そして「足るを知るの範囲で」楽しむ。話はそれるが息子ともっと好きな山歩きをしてやりたい。旅館をベースにそれなりの山にも連れて行ってやりたい。今はその暇の捻出に苦闘している段階だが、その苦闘自体を真剣にかつ楽しんでやっていきたい。今日は朝から田津地区の土地利用に頭を抱えて鬱が入りそうだったが、このこと自体を真剣に楽しんでやってみたい。そうすれば次の境地が必ず来る。息子にも何かを感じてもらえるかもしれない。

8/20 今年も洪水の不安

お盆以来、すっかり猛暑を忘れさせる天候になっている。

一足早いというのかどうか、気圧配置は明らかに秋雨前線を思わせるもの。南海上には台風も2つ。ということでここ数日は、恒例の洪水の不安にかられている。

今年は江の川の水位は近年にないくらい少なく、ここ5年連続で浸かっている低い圃場ももちろんだが、ほぼ例外なく毎年浸かっている河川沿いの土地も浸かっていない。そろそろ来るか、というところか。知り合いが寒試しによる独自の予報で8月末にかなり荒れるということを半年も前から言っておられることも不安に拍車をかける。

実は今年はサトイモを一番浸かりやすい圃場に作付している。どうせ今年も浸かるだろうと期待していたので当てが外れているが、そろそろ期待できそうだ。マルチ栽培なのでマルチ下が乾いてしまっている。洪水は大歓迎(笑)。

まあせめてもの一矢。負け惜しみ。実際には大きな規模の洪水ともなれば、春まきゴボウと大豆の損害は甚大。2年前の9月4日の例もある。ただただそうならぬよう、ひたすら祈るのみである。

8/19 どうにかならんか・・

爆発した畑の必死の管理。ゴボウの販売計画。その他いろいろ・・。忙しくてどうにもならん、ぞ。

8/17 お盆期間

お盆期間は公私ともに盛りだくさん。あ、こういう生き方って公私は区別がないんだけどね。

13日に女房の里へ帰省がてら、移転したタルマーリーへ。忙しい時間帯にお邪魔したから、真面に話ができなかったが(特に女将と)、彼らの「地味な軌跡」とこれからの挑戦を感じることができただけで十分。息子も子供たちでピザ食ったり遊んだりできて楽しかったようだし。といいつつ、自然栽培普及用のネタも少しだが仕入れることができた。このことはずっと考え続けていく。

帰り際に、忙しい主らを除いて子供たちとパチリ。またゆっくり来るよ。

その後は、女房の里へと、帰ってからは両親の古希の祝いの会と、「血」や「家」を意識する3日間。曽祖父母は誰にも8人いる、という当たり前のことを改めて意識したのは初めて。8人の血があって、と考えると世代の血の繋がりは凄いなあって思える。これをもう一歩遡って16人とやると、さすがに目の当たりにできないので現実味がない。8人の曽祖父母なら、息子にとっては「ああこの8人か」とやれるので分かりやすい。(1人は直接知らないが。)

一方でお盆前に発送した荷物の不達騒動も。こちらにできる対応が限られている中で、先方を混乱させていることを思うとやりきれないし、落ち着かない。

爆発した畑は4日ぶりに昨日から管理を再開。いや~、この時期に雨が降ったら3日で風景が変わりますな。意気込んでいたら今日は結構降るのね。諦めてデスクワークを朝から。デスクワークは何時間やったって終わることがない。農業でデスクワークって何をやるの?って質問を何件か受けてきたけど、農業経営って難しいんよ。世の中で一番難しい分野って私は思っているが、まあ他の分野を知らんもんね。でも、まんざら外れてないと思うよ。だからやる人、いないじゃん。

8/13 静かに高ぶる

静かな雨の早朝。気になっていた日航機事故のことを今更にネットで調べる。真相は闇の中、か。。

真相はあるのだ。ただそれが一部の特権者の中だけに。何でもそうだな。一部の人間の思惑のために、弱者は常に犠牲になる。

最低賃金、六次産業、自然栽培・・・、私に身近なところでも、何でもかんでも一緒だ。一部の人間の利益に露骨に反することを慎むふりをしながら、私は私の思うところを行きたい。

8/12 続・改めて「先生はえらい」

これまでに従業員研修生や独立経営研修生を受け入れていつも思っていたことがある。彼らのほとんどが私のことを「えらい」と思ってくれていないのだ。

これにはいろいろあって、私が元来、体格的にも人間的にも小さく見えるということもあるし、わざと大きく見せようとしていないということがある。「俺ってバカで運がいいだけでここまで来たんだよ~。実は情けない男でさ~。」的に随所で接する。これはこのカラクリが分かるかな?という試しである。でほとんどは「反田はこの程度か」、と結論付けて惜しい時間を費やすことになる。研修はまずは親方のことを無条件にえらいと思うこと、この壁を打破しないと始まらない。

あ~あ、言っちゃった。こういうのを種明かしっていって、言っちゃあいけないんだよね。

という職人修業では当たり前のことを高校生向けくらいに分かりやすく書いてある本だ。多くの人に読んでもらいたいところ。

しかし今時、この修業的な考え方は当たり前ではない。私がこれまでに受けた批判で圧倒的に多いのが、「反田は自分ができるから、できない人の気持ちが分からないのだ。できない奴は放っておくか、諦めてやるべきだ。」というもの。まあこういうことを言う人はほとんどすべてが職人教育に関わったことのない人たち。初めはその都度、大丈夫かこの人は?と思っていたが、あまりに多いのでちょっと驚いた。これは単純に職人教育の否定だし、もっと身近なところで学校の先生は落ちこぼれの教育ができないと言う理屈になる。

世の中の親方の多くは、自らの修業中に様々な同僚を見て、過程を見て、自ら「先生はえらい」で親方と接し、更には現場でこれまた様々なレベルの人を見て、その結果としてそこにいる。学校の先生は修業とはまた違うかもしれないが、理論通りに一筋縄にはいかない現場を通じて多くの事例を見、聞き、体験し、直感を磨きながらやっている。先ほどのような批判が簡単に成り立つほど単純な世界ではないのだ。

話を戻して、「反田の言うことなら聞くが、他の人の言うことは聞かない。」という輩も少なからずいた。これは農業研修生以外も含んでのことだが、これも明らかに残念な態度である。他の人を「えらい」と思えない姿勢では、誰々式農法!に陶酔するのと同じことで、決して物事の本質を理解することはできず、実は私の言うことも理解できないということに気づいていない。

もっといろいろ言いたいことはあるが、種明かしだ。本当はこの本を読むこともやめた方がいいのかもしれない。ただただ「この人は偉いに違いない」、という態度で接しさえすれば、学びの道は自ずと開かれる。

8/11 改めて「先生はえらい」

以前触れた本、「先生はえらい」(内田樹著)を風のえんがわの多田シェフに貸したところ、彼が絶賛している。読めば読むほど気づきがあるらしい。今4度目の読み返し中とのこと。私も我が意を得たりと膝を打ちながら読んではみたが、彼が言うほどの感動というわけではなかった。多田さんが言うのだからと改めて何があるのか読み返してみたいところだが、返ってこないので(笑)それができない。それで折を見て何が書いてあったかをジッと思い出してみたりしてみたり、彼の感想や発言などを顧みたりしていたのだが、いやはや、やっぱり「先生はえらい」だと痛快に思えた出来事があった。

先日の圃場見学会の発表でも多田さんはこの本を取り上げていた。「先生はえらいのです。たとえ何一つ教えてくれなくても、えらいと思いさえすれば学びの道は開かれる。」というスライド上の文字をバックに、「自然に対しても同じことが言える。」と。

自然栽培の世界では、「人を師匠にするな。自然を師匠とせよ。」という言い方をよくする。誰々式(川口式とか木村式とか)という学び方では多様な自然界を本当に理解することができない、物言わぬ自然から何を読み解くかがカギ、という意味で聞くところだろうが、多田さんがこのことを言った時に私はとっさに違う解釈が浮かんだ。

それは、「目の前の誰をもえらいと思うことで、はじめて悟れることがある。」ということ。逆に言うと「学ぶべき人を選り好みしているうちはダメ」ということ。

よく「この人から学ぶことはもうない」という言い方をすることがある。私も若いころはそうだった。しかし最近は違うと思っている。特に自然栽培を始めてからは明らかに変わったなあと思っていた。それが多田さんの言葉を聞いた時に、「ああそうか、先生はえらいだなあ。」と。自然界を見る目とこういうところで具体的に繋がっていたのかと。このたびで言うならまさに「多田さんはえらい」だ。それで得た気づきということ。

誰しも無意識のうちに価値観の形成には努力している。しかし多くの場合、どこかで自分に都合のいい解釈や固定化した解釈に走ってしまっている気がしている。

例えば自然栽培を初めて意識するようになった、「すべてのことには意味がある」という命題。これには私自身ずいぶんと救われてきた気がしているが、実はこれは心の持ち方のテクニック的要素が強いのであって、実際には「すべてのこと」というのは言い過ぎで、「意味のないこともある」が正しいと考えている。そこをあまりに自分に都合よく理解してしまうと惜しい結果になりかねない。

「先生はえらい」は、この手の都合よく走りたくなる衝動から価値観の形成を守ってくれるのではないか。誰をもえらいと思うことで、見えなかったことが見えてくる。具体的には、「こいつのことを偉いなんて認めたくない」という我と戦うところから、まずは見えることが出てくる。

続く。というと7割がた続かない(笑)。がこのたびは続けたい。

8/10 イノシシ肉は美味い

近くに大大大先輩のゴボウ農家さんがおられて、イノシシの肉を冷凍保管しているので欲しいときは昼休みの時間帯に取りに来いと言われている。イノシシ肉は大好きなのでいつでも行きたいところだが、昼になるとコロッと忘れてしまい、夜の晩酌時に思い出すということをもう1年以上も繰り返していた(笑)。

そして先日ようやく実現。久しぶりに食べるシシ肉はやっぱり美味い!牛肉も豚肉も鶏肉もスーパーで売っているレベルのものはまったく美味しいと思わなくなって久しいが、さすがにイノシシ肉は格別である。

私はいわゆるマクロビ的な菜食主義などではない。肉も本来は好きである。しかしお店で売られている牛、豚、鶏肉が美味しいと思わなくなったというだけのこと。何が美味しくないかって、食べ初めてしばらくはいいんだけど、食べ続けていると胸のあたりがウンザリしてくるのだ。それがイノシシだといくらでも食べ続けることが出来る。ああ。もちろん血抜きで失敗したとかはダメよ。やっぱり臭いかいら。

教条的に、心理的に、肉を食べたくない、という人も少なくないが、日々(昨日も今日も明日も)イノシシ対策に奔走している私にとって、やはりイノシシとはある意味愛すべきで、食えるもんなら食ってやりたいと思える存在である。また肉食が健康にとってどうかということも、日本人だって大昔は肉が主食だったはずだから、そんなことを考える必要はないと思っている。野生の中で自然に育ったイノシシだ、食べるに値するという、ただそれだけの判断。

自然栽培に取り組み始めて以来、ストレスの少ない生活に徐々に変わってきているが、中でも自然な食べ物に囲まれているということは大きい。もっとも自らが自然栽培農家だからということに他ならないが、肉だって自然な肉が身近に簡単に手に入るという境遇は素晴らしい。ただそのたびに女房の手を煩わせるのが申し訳ないが。

8/8 今冬は人参をやらない

連日の猛暑。遅々として作業が進まず。何を捨てるかの見極めが大事になっている。

一番大きなところでは、冬人参の作付けをやめたこと。楽しみにしてくれている方(特に小学校の給食)には申し訳ない限りだが、今人参の作付けをしていては、おそらく多くのものを失ってしまう。

今年は途中までいい感じで来ていたのに、いつのまにか回らなくなってしまった。もちろん原因は分かっていて、今後この反省をどう活かすかだが、それはそう簡単ではなさそう。常時スタッフを入れるということは有力な一つではあるが。

今日からゴボウの収穫を中断している。これのせいで涼しい朝の時間と実質的には午前中が潰れているので少しホッとしている。昨夜の圃場見学会の反省会で飲みすぎたため今朝は棒に振ってしまったが、明日からは早朝の時間を有効利用して追い込みをかけるつもり。お盆までに多くのことの方を付けたい。

8/7 配慮の足りなさを悔やむ

昨日は久々に凹むことがあった。

対人関係を無難にこなすことにはいくらか自信を持っているつもりだが、私があまりにお粗末で、身近なところで少しこじらせかけたのだ。そういう時は何事も正直に事情を話し謝るしかない。甲斐あって今日にはすっかり信頼関係が作れたと思っている。

図太いと思われることも多いが、こういうことは意外とノミの心臓だ。恫喝や脅しの類は結構平気だが、頼りにしている人からの否定的なアクションはわずかであっても強烈に苦手。まあ経験を積んで、それなりに耐えれるようにはなってきたが。

誰しもそうかもしれないが、私は特に暑いときに配慮が足りなくなる。普段からロクなもんではないが、暑い時はからっきしダメ。修業が足りんな~とこれまで何度悔やんできたか知れないが、一向に良くならない。

このまま諦めて人生を終えるのは悔しい。見てろよ、この度は学んだぞ。の意気込みだ。

8/6 来年の圃場見学会の方向

そういえば、先日(7月26日)の圃場見学会のことに触れていなかった。参加者は22名。昨年に引き続の方も5名おられ、昨年と同様に賑やかな開催となった。

今回も「田畑の現実を見せることがメイン」という昨年と同様のスタンスで臨んだが、今年はちょっといろいろ足りなかった。連日の暑さでへばっていて当日の集中力が弱っていたということもあるし、今回は市の職員さん4人の応援もあったことで意外にも進行にむしろ気を使ったということもあって、メインの中身が少々お粗末になった感あり。「いつもより何か急いでいる」という指摘もあり、省みて「お粗末だったな~」という点が多々。

まあそれはそれで今後に活かすとして、以前も書いたが、来年以降は少し趣旨を変えようかと考えている。もちろん普段の見学を断っている代わりに開催しているという趣旨もあるので圃場見学的な要素はなくさないが、様々な参加者の人がなるべく満足できるだけの幅は必要。ただもう少し絞り込みたい。少し講習的な内容を入れようかと考えている。

これまではまだ自分が何も分かっていないのだからと、また自分が「勘違い」しないようにと、講習的な内容は敬遠してきたが、自然栽培を見る目にも少し自信も持ててきたし、要はやり方だろうからそこをしっかり省みながらやればいいのではないか。それに周囲の雰囲気というのもあるし。

ちょうど明日、関係者による反省会をやる予定でいる。農業の風土がほとんど育まれていない当地からの発信をどういう方向でしていくべきか。何度でも考えてみたい。

8/5 お盆前の恒例作業

暑いねえ・・3年ぶりの猛暑・・。

お盆一週間前だ。この時期は作業の優先順位が変わり、一番が草刈りになる。お盆を前に誰しも身の回りはきれいにしておきたい。というわけで、広大な農地を借りている私にとっては無言のうちに草刈りを強いられているということになる。

しかしもちろん他の作業があるから草刈りばかりしているわけには行かない。またこの猛暑の中を田津の畑のど真ん中にいたら、私は砂焼き芋になってしまう。だからいくらも進まない。優先順位を付けて、かつやれるところまでで済ませるということになるが、今年は大豆畑に長大な電気柵を張っているので、どうしてもそこを優先ということになる。あちこちでイライラされることを今年は呑み込まなければならない。

本当は春蒔きゴボウや里芋、緑肥の管理を集中してやりたい。がこの時期は仕方がない。今年は特に畑が爆発寸前なので落ち着かない。開き直って種採りや来年のゴボウ圃場の管理など、来期に禍根を残しかねない作業だけは厳しくやって、あとはなあなあで済ませるしかないと考えている。

8/4 いい風が吹いている

今日の午後は近所の不幸のお手伝い。明日は午前中いっぱい。亡くなったのは94歳のおじいさん。

私がゴボウ栽培を始めた2004年、農薬を駆使されてはいたが、隣の畑でいいゴボウをつくっておられた。「そんなんじゃゴボウは育たんぞ!」とよく声を掛けていただいた。3年後に「あんたはすごい。」と一言。素直に嬉しかった。その翌年に畑をリタイアされ後を私に託された。

話は変わるが、最近私の周辺での風向きがずいぶんと変わりつつあると感じている。多くのことが明らかに追い風。以前訪問されたある方に、うちの取り組みが「清く富む」典型だと言っていただいた。私はとっさに危機感を感じ、それを「聞かなかったことにする」と言ったが、やはり聞いてしまったものは聞いてしまったのだ。

もう聞いてしまったことを認めて、また本当にそうであることを願って実直にやっていこうと思っている。私のやり方や生き方を、ちょっと違うとか残念とか思う人は少なくないようだが、随所に反省をしつつも根本的には自分はこれでいいと思っている。「常に反省をしている自分」であれば、その感ずるところを最大に信じてもいいのでないか。それで現に、今がある。

田畑に立ち、意識を研ぎ澄ませる、すると何かが聞こえてくる、と格好のいい事を言ってみたいが、実はそれが田畑ではなく、山にてある。明らかにあると言わざるを得ない。信じてもらえんかも知れんが。そういう不思議体験をすでに学生時代からしてきた。私にとっては自分の場所とは、まだまだ山だ。

そういう山に囲まれて暮らしている。見上げると空が狭い。山だらけ。ありがたい。その山々に囲まれて自分の思ったように生きてみたい。失敗はあるだろう。しかしそれを打ち消すほどのいい風がきっと吹く。

8/3 21回目の生存記念日

今日は21回目の生存記念日。

夕方、女房が「乾杯しよう」とビールを冷やしておいてくれた。息子にも、「お父さんは昔クマに襲われたけど、奇跡的に助かったから丈土が産まれたんだよ~。」などと話してくれたらしい。うう~、泣ける。

毎年この日に、「生」への感謝を噛みしめる。実は3日前から発熱し週末を棒に振った上に、今だに本調子ではない。畑が炎上どころか爆発しそうな目の前の状況を思えば焦るばかりだが、こんな焦りや苦しみを抱けるのも生きているからこそ。

また、人生はたまらなく楽しいが、日々は楽でない。家族のこと、子育てのこと、経営のこと、悩みは少なくない。しかし物事の本質や真実を見つめ、知り、高山から下界を見下ろした時のように高みからそれらを俯瞰したとき、もうどんな悩みも大したことではない。繰り返すが、煩悩は生きているからこそだ。

正直、これまでの人生は辛かった。「辛かった!」と堂々と言える。辛かった人生を省みて「何やってたんだか」と振り返った一時期もあったが、今は自信を持ってよかったと思える。そのおかげで今があるという当たり前。

そんなこんなのいろいろな当たり前を1年に1回改めて確認させられることに感謝。そして、両親、家族、お世話になっている方々、応援してくれている方々、この地の自然、田畑、江の川、神様、そして土、に、ただただ感謝、感謝、感謝!と読む人にとってはさっぱり面白くなく、今年の記念日を締めくくる。

8/1 「ブランド共創会議」で改めて思ったこと

前回書いたことは少なからずお騒がせをしたようで、少しばかり反省している。もちろん私の本心などではなく、養老孟子氏のいう「バカの壁」をいくらかでも切り崩してみたいという意図で、わざわざ目立つように書いてみたことだ。逆説的に説明することで聞く耳を持ってくれたり、見えにくかった全体像が見えることもあるのではないか。また時々覗いてくれる人がなるべくスルーしないように、しばらく更新をしなかった。そんな思いからのことだとご理解いただきたい。

更新をさぼったここ数日もネタには事欠かないが、一番印象的だったのは、29日にやった「江津ブランド共創会議」。全国で流行っている市民参加型の地域振興策のネタ集めのイベントに70人余りの人が参加。そこで改めて痛感したことがある。それは、ほとんどの人がこの地の特産品や一次産業が今置かれている状況を知らない、いや知らなさすぎだということ。

例えば江津市(桜江地区)の特産品と言われるものの一つにゴボウがあるのだが、現在では私が全体の7割くらいを生産している。だから何?、ではない。特産品とは「量」が「安定」しているということだ。明日私が交通事故で死んでしまったら、江津のゴボウは終わってしまう。実に脆弱な状況なのだ。こういうものを特産品とは言わない。

そしてその特産品や一次産業の担い手の現状についてほとんどの人が知らない。ゴボウを専業レベルで生産しようとする人は私以外にもういないということにみんな驚いている。みんな驚いて食いついてくるから関心はあるようだ。しかしこれまでに考えてみる機会がなかったということらしい。

重要なことは、こういうイベントに集まる層の人たちにそういう認識がないということ。それなりに高い意識やアイデアを持っている層だから、むしろ今を反映する象徴的なことかもしれない。「何で農業をやろうとしないのかねえ。」というのん気な質問があったから答えておいた。「そんな地味なことするより、駅前(再開発に関わる動き)に行った方が若者は楽しいんですよ。」もちろん冗談含みだが、本質はそういうことだ。

続く。

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販売価格(税込): 3,240 円

イベントで2000個売れた大人気の蒲鉾屋さんの魚コロッケ!贈り物にお弁当やおつまみに子供から大人までリピート多数の人気商品です!

ごぼちく(送料込)

販売価格(税込): 3,240 円

水で溶くだけの衣付だから、お家で揚げたてを食べられます。ボリューム満点のごぼちくは、1本だけでもおかずにおつまみに十分です!

かまぼこ・揚げ物詰め合わせ 5,000円セット(送料込)

販売価格(税込): 5,400 円

ギフトに喜ばれる住京蒲鉾店のイチオシセット!人気のすまき蒲鉾から、おつまみにも最適な天ぷらなどギュッとつまったギフトセットです

ミニ瓦 5枚セット

販売価格(税込): 2,160 円

職人が1枚1枚手作りするミニ瓦。和菓子の受け皿や、お香をおいたり、アロマキャンドルをおいたり、ジュエリーをおいたりと用途は様々。お部屋のアクセントにもなります。

瓦箸置(唐草) 5個セット

販売価格(税込): 3,240 円

島根県石見地方にある江津市で製造が盛んな石州瓦。この瓦をそのままミニチュアサイズにした箸置きです。

瓦根付 1個入り

販売価格(税込): 918 円

石州瓦をそのまま小さくした粋な根付。携帯ストラップや鍵につけたり、着物の帯につけたり。赤茶色といぶし銀、大切な人とペアでつけても渋くて素敵です。

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