はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2017年1月の記事

1/31 続・パフォーマンスがすべて

昨日の続き。誤解を生む恐れもあるので、むしろ今日が本題かもしれない。

うちの農産物の評価は、ゴボウを筆頭に高い。そして経営も何とかやれている。パフォーマンスはそれなりに高い、としたら、じゃあ私は評価に値して凄いのか。

必ずしもそうでないのが農業の世界だ。なぜなら良い農産物が育つのは私の腕というよりも、その農地由来の原因のほうがはるかに大きいからだ。簡単にいうと元々の土がいいからということ。決して謙遜しているわけではない。農業者にとっては当たり前のことである。

「いい土を作っているのは反田だろ。」ともあっさりと言われかねない。しかし土作りなんて簡単に言うが、私らが目指す「根本的」に本当にいい土なんか簡単にできるものではないのだ。

良くも悪くも、うちに対するだけでなく世間一般の農産物の品質や農業経営に向けての評価には虚しいものがある。それらが、人為による努力だけでなくむしろ他の要因(自然要因)に大きく依存しているという肝心なことが現代人には理解できていないからだ。食糧生産が今のように分業化していなかった一昔前にはここまでの不理解はなかったのではないか。

だからこそ、料理や伝統工芸、木工などの他の分野と違って、農業分野の職人にはまた一段違った価値観が必要である。頭でかっちではダメだし、技術でっかちでもダメ。心でっかちでは・・・、きっとこれもダメ。では何がいるのか・・・。

「能力が低かろうと、性格が悪かろうと、人間的にくずだろうと何だろうと、どうでもよい」というのはこのことにも大きく関係すると思っている。

やっかいな分野だ。

1/30 パフォーマンスがすべて

一畑電鉄での一コマ。たまに乗ると電車って楽しいね。 盛りだくさんの休日だった。家族で穏やかに過ごしつつも、不思議と今年へ向かう決意みたいなものも湧いてきて、便利な性格なことだ。

私ら職人が評価をされるとすれば、それはパフォーマンスがすべてである。つまり私なら、いい農産物を作り、それによって経営と生活を立てること。それ以外はどうでもよくて、私の能力が低かろうと、性格が悪かろうと、人間的にくずだろうと何だろうとどうでもよい。それが本質。ただパフォーマンスを上げ維持していくためには「結果的に」能力もそれなりに磨かなくてはならないし、性格もそれなりに良くしなければならないし、人間性も鍛えていかなねばならないというだけのこと。その辺が理解できるかどうか。

世の中には我々の目から見ると面倒な頭でっかちというのは多くて、そういう人は「知識のあるなし」、「部分的な能力の高低」などに固執していて苦しそう。そして勝手に自分の世界だけで浸ってくれていればいいが、そういう態度はコミュニケーションにも当然表れてきて、物事を進める上でとても面倒。「別にバカでもいいじゃん!」と言いたいところだがもちろん言わない。だからといって「はいはい、あなたは偉いですね。私はバカですよ。」と返しても失敗する。こういうのは刺激をしないに限る。

愚痴で脱線してしまったが、つまり、そういう本質にひたむきに沿っていこう、と思いをこの休日は強くしたということだ。高いパフォーマンスのためには自分自身を律するしか方法がないし、し過ぎて無駄なことは絶対にない。

まあいつもの「自分見つめネタ」ということで。「職人はいつも同じことを言っている」、と誰かが言っていたが、本当にそうだ。もっとも何事もそう簡単じゃないと知っているから同じことを言うのだろう。自分に言い聞かせていると言ってもいい。

「どうやったら今の世で職人が増やせるか」という話題に職人同士で先日なったけれど、ちょっと発想を変えなければならないところと、愚直に行くべきところとがあるはず。世間に迎合していて上手く行くとはとても思えんからね。

それと「待つ」ということ。これも変わりばえはしないが大事なこと。こういう機会に改めて自分に言い聞かせる。目先のその時気分の勝ち負けには目を向けない。私らはパフォーマンスだけが命だから。

1/27 旧暦の大晦日

今日は旧暦の大晦日。今年は計ったように多くのことでケリがついた。今日は幸い金曜。子供たちがいると金曜の夜というのはいくらか解放感がある。今夜は意識して心を安らかに過ごしたい。

明日からの週末は、たまたま新年初日ということになったが、家族で新年会旅行に出かけてくる予定。珍しく1年ぶりかなあ、と女房と話していたが、今思い出した、そうそう、5月に岡山へ行っていた。明日は珍しく天気もいいみたいだし、ゆっくり楽しんで来たい。

そういえば体調不良により3日前から1滴も酒を飲んでいない!今日も午後からは疲れが出て早々に自宅でゴロゴロしていたのだが、今晩も飲まずに我慢して明日こそはお祝いの一献にしよう。

ところでこの体調不良は、実は4日前にシコタマ飲んだせいもある。かねがね気になっていた人を招いて実に有意義な場となった。この1年は自然栽培的生き方の普及に向けて少し何かが進む予感。後退することがあれば進むことあり。キーパーソンたちでタッグを組むことが必要だね、やっぱり。

そんなことで、新年への期待感に満ちた年越しである。

1/26 ストレスは当たり前の人生

ここ数日は体調を崩したこともあって大変楽をしているが、頭はシコタマ回っていて、経営に関わる大小の様々な決断をしている。おかげでストレスが結構大きい。体の不調もそれにいくらか関係あるかなとも思わないでもないが、お酒の飲み過ぎかも知れない。といっても日本酒で2合だから、そんなに多くはないと思うんだけどね(笑)。

経過した人生の年数は、生まれて46年、実家を出て30年、社会人になって22年、農業を志して18年、農業を始めて13年。ということになるが、私の中で一番大きいのが社長になって6年、ということかも知れない。

社長というと大げさだが、要するに「あらゆるすべての事柄の最終的な責任」が自分の肩に乗っているという立場。例えば今の農業を始めた時は、いくら実質私が切り盛りしていたとはいえ、何かあったときの責任は当時社長だった親父にあった。もちろん当時だって私は全責任を負っているつもりになっていたし、どう説明したってピンと来ない人は多いだろうが、こういう立場になったからこそ初めて分かることというのはあるし、それが(分かっているつもりでいたが)思った以上に私の中で大きいということだ。

こういう境遇の良し悪しをいっているわけではない。自営業の家に育ち、性格的にサラリーマンにはなれないと悟ってからは、いずれこうなるという覚悟というか諦めの元にずっと生きてきた。常にストレスと紙一重のところで生きていて、特にそのことについて感情があるわけでもないし、誰かに気持ちを分かって欲しいわけでもない。辛いわけでもないし、楽しいわけでもない。ただ粛々とストレスのある日々を生きていくだけのことである。

ただ、ふと思うことがある。例えばいつの日か息子が後をやってくれて、私はただ部分的な作業に専念する。もちろん様々なことを気にはするが、おおよその責任からは開放されて、自然と向き合い、田畑と向き合い、社会と向き合う。そんな日が来たとしたら・・・。その時になって見ないと分からないが、そういう生活に憧れがないといったら嘘になる。

まあいい。どんな風になろうとも、どんなストレスだって食い物にして、じっと穏やかに楽しく振舞っていくつもりだ。

1/25 有機JASの年次講習で提案してみたい

昨日は微熱でしんどい中、有機JASの年次講習を受けに東広島まで。大雪で山(中国山地)越えが大変だったが、賑やかに報道された鳥取県ほどの積雪はない。軽トラの背中に重石を200キロ載せて、ケツを振り振り越えたことだ。

そして講習中、体と頭がだるい。座席がギュウギュウでセットされている上に、後ろからは太陽の直射。それよりも何よりも講師の話がまったく面白くない!というか(たぶん)良いこと言ってるんだろうけど、あのプレゼンはないよ。これまでで2番目のひどさだ。辛いのを耐えながら、じっと終わるのを待つ悪夢のような1時間半・・・。

ところで、こういうときの素朴な疑問。参加者のほとんどが聞いていないってのを、講師は分かっているのかね。私なんかそればかり気にしてるけど(笑)。

でも今回のつまらない講習、ただの法令の確認にとどまらず、農業者にメリットになる情報を提供しようというものだろうから、主催する認定機関の心意気は分かるつもり。

だったらいつも盛り上がる肥料ネタについて取り上げるのは面白い。「自然栽培を知れば肥料の使い方が分かる」と私は思っているが、経費が下がり品質が上がる、という多くの有機農家にとって有意義な内容になること間違いなし。今回だって、「いいものつくろうよ!」って盛り上がってたし、経費の話にもなってたし。ピッタリじゃないか。あ、従来の土壌分析して肥料駆使して・・・ってのはダメよ。それ、あまりに対症解決的で楽にならない農業者も多いから。講師ももちろん心当たりがある。タイミングを見て提案してみよう。

1/23 寝てばかりの週末

この土日は、やたらと寝た。土日だからって寝てられるなんて、贅沢な経営者である。(もちろん自嘲的に。)

いくら寝てもまた眠くなる、の繰り返し。当地では今インフルエンザが流行っており、保育所で3割、小学校で2割くらいが欠席しているようだ。我が家もそれらからの飛び火がいつ来るか分からず、もしかするとそういう予兆の眠気かなあ、と。つまり、「潜伏したよ、ゆっくりしなよ。」って体の合図。などと都合よく考えている。

一方で就農時の懸念だったフヌケの不安。どうせやるときはバカみたいに動けることが分かったし、そうでなくても梅の花が咲くころになると自然と体が動き出す。が、昨日、庭の梅の花が咲いているのを女房が見つけた。これは明らかにこの冬の暖かさに騙されたクチだろう。

せっかく咲き始めたころに本格的な冬になった。梅にはお気の毒様だ。私は騙されないぞ(笑)。焦ることなく、すこし意識して怠け気味にして、ついでに年来の疲れを取りたいと考えている。

しかしながらもちろんただでは休まない。ゴロゴロしながら頭はシコタマ回す。考えるべきことは山のようにある。

1/21 (株)土の味 山内外茂男氏の勉強会

昨日は取引先の方からの勉強会のお誘いを受けて、急きょ広島県の安芸高田市まで夫婦で。あまりに急だったが、せっかくのお誘いだ。行ける時には行こうと。

自然栽培を知ってしまったらか、大方の勉強会は物足りなく感じてしまうようになっていて、この数年、この手のものへ参加することが極めて少なくなってしまっている。しかしそれでは世間の流れを見失ってしまい、私が人に伝えて行きたいことに乖離や食い違いが生じてしまうことになりかねない。だからこの手のものにはできる限り参加して、世間の理解の流行と程度のリサーチはしておく必要があると、常々思っている次第。

この度の講座は初体験の切り口だった。講師先生は(株)土の味の山内外茂男氏。「食品の表示に惑わされない見分け方」という趣旨で、実際に食べてみて、農薬、過剰肥料、添加物などがその食品に残留しているか、含まれているかを見極める手法を学ぶというもの。会場で、醤油、大葉、ミズ菜、オレンジの4品目について実際に食べて口利き。それなりにイベント性があって面白かった。ちなみに私は1品目で間違ってしまった。

まあ突っ込みどころは何にでもあるし、独り歩きするとロクなことはない。しかし「おかしな食い物が氾濫しているんだよ。ほら分かるでしょ。」「表示はあくまで参考ですよ。自分で感じて判断しましょうよ。」という今回の趣旨は大変おもしろい。ここに至るまでには相当のご苦労があっただろう。山内氏のこれまでの歩みと築きあげてこられたものに最大限の賛辞を送りたい。

またいつもの「無農薬・無化学肥料」のスローガンの残念感は、この度も会全体の雰囲気として感じることに。化学物質が悪という定性的な見方はおそら当分続くだろう。「そうじゃないんだよ。」というのが山内氏の主張だと思われるだけに、このたびの氏の主催側への配慮は少し残念なところ。

有機肥料と化学肥料を問わず、肥料自体の適正な使用がもっとも大事なことで、次に農薬。こういう順序で訴え、そして自然栽培へ繋ぐ、という手法の妥当性を再確認した勉強会になった。

※1回目草取りマラソン:昨日終了!

1/19 目立つことなく高度な努力をしている人たち

面白みのない「追われごと」から開放されつつあり、また久しぶりに晴れ間がのぞく穏やかな天気ということもあって、今日はいくらか気分が晴れやか。こんなときこそ様々なことを前向きに考えてみる。

先月行われた恒例の江津市ビジネスプランコンテストでの、最後の市長の長い地味な挨拶が最近よく思い出される。「ビジコンのように目立たないけれど、高度な努力が当地でもたくさんなされている。」表現は思い出せないが、こんな内容のことを言われ、具体例も挙げられた。

それそれ、と、うなずきながら聞いていた。私などはよく注目されて表舞台に露出することも多いけれど、人も雇っていないし、売り上げも少ないし、地域へのたちまちの貢献度は低い。地味だが、例えば地域の土木会社などは、たくさんの雇用を守り、バックに抱える家族も含めると何十人、何百人という人の生活を保証している。私もそういう家に生まれ、経験もしてきた。人を雇いそれなりの生活の保証をするということは、地味だが難しく、そして極めて尊いことであることを私は知っているつもりだ。

本来はそういう人こそ、もっと脚光を浴びてよい。私などは、「反田は口先だけでべちゃべちゃと、言いたいことは良くわかるが、つまるところ大したことはしてないじゃないか。」と言われれば、「はいそうです。」と素直に返すしかない。売り上げと雇用は錦の御旗ではない、と先日書いたが、私の本意を誤解のないよう汲んで欲しいものだ。

もっともここで、「脚光を浴びる」ということについてのスタンスの問題。脚光が商売に直接プラスになる場合も少なくはないが、一般論として、「脚光を浴びたいうちはまだまだ」、という言い方は確かにあると感じる。だからそういう人たちはすでに、別に脚光なんて浴びなくても良い、と考えている場合は多いだろう。評価の能力が本来ない人によって、多くの事柄が評価されまくるこの世の中だ。脚光を浴びようと浴びまいと、そんなことに構わずに本質的なところをで高いものを目指して進みたい。この午後の陽気で、そんな思いを強くする。

※1回目草取りマラソン進捗率:98%

1/18 地味にやる

中山間制度の資料を提出し、一段落。しかしこれですべてが終わったわけではない。次から次へ、今年はデスクワークの嵐だ。

補助金関係の書類作り、その他受発注対応、取引先とのやり取りなどしていたら、あっという間に昼になってしまった。午後からは里芋の箱詰めをやる予定だが、途中から研修生らに任せて、今度は農地の管理譲渡や購入関係の資料作りをする予定。う~ん、麻薬かね。

昨日のショックはいまだに尾を引いているが、昨日訪ねてきたお客さんとのお話を思い出したり、取引先さんの活躍をネットで垣間見たりして元気を出す。派手に自分のおかしさを問いただす反省もいいが、同時に経営の整理などの、やるべきことをジッとやることが大事。スリムで骨太な経営を作り上げることは、これから何をするにおいても必須のことだ。

※1回目草取りマラソン進捗率:96%

1/17 当地の農業の隆盛と空洞化

夕方、中山間の書類提出で市役所へ。別件で衝撃の事実を知る。

目の前が真っ白。うちの目先の経営には関係のないことだが、中長期的な私の楽しみが思い切り崩れてしまった。

当地の農業の空洞化は、まさに一般的な作物の減少のことである。さらに、あまり声高には言えないが、将来に禍根を残す可能性のある今の隆盛のことである。売り上げがあって雇用が生まれれば何でもいいじゃん、というわけにはいかない。これでは第三世界のプランテーション農業と同じだ。その時々の流行に左右され過ぎることや、そうやすやすとあとに戻れないことや自力で修正できないことはほどほどにしたい。今後何らかの時代の要請で農地が必要となった時にまったく対応ができない。当地は死に体。まだ遊休地の方がマシだったというジョーク。当地の今の農業の隆盛は、そういうもの。

農業に限らず、林野行政だって、環境対応だって、自然に関わる施策は何だって迷走してきた歴史だ。しかしそれは人間が過ちを犯したというよりも、自然というものがあまりに大きく深すぎて人間がその全体像を見ることができないため、ある意味で仕方のないことだったのではないか。人間が歩むということは自然に対して過ちを犯しながら進むこと。そして全体像に向けて進むこと。今度こそ考え抜いた対応をしている、というのは幻想に過ぎず、だから人間は、まだ自然に対して何も分かっていないという自覚をもって、常に謙虚に歩まなければならない。

自然は大きく、深く、緻密で、それゆえに保守的である。人間が犯した過ちを5年10年やそこらですっかり水に流してくれるものではない。

目先の売り上げや雇用は決して錦の御旗ではない。誰でもいい、利害関係を持たず、大局が見れる人が現れて、今の流れを修正してくれ。私らが何を言っても、一経営者あるいは一チンピラの思惑として一蹴されてしまう。私が今の経営をリタイアすることができるなら、やれることはもっとあるが・・・。

このたびのこと、夕げの晩酌で、自分の力のなさが悔しくてならない。私はこれまで何をやっていたのか。もっとアンテナを張っていれば、できたことはあったのか、なかったのか。秋に知った、島根の自然栽培を10年遅らせることになる出来事に続く衝撃だったといっていい。あんたの経営には関係ないんだろ、ではない。未来の人間の命を担い得る可能性のある唯一の立場という自覚を持つ私らにとっては、目先の経営だけがすべてにはなり得ない。中長期での社会貢献という視点を持つことが、ひるがえって目先の経営の根拠になるという、そういうありがたい立場、ありがたい人生である。しかしその立場、人生が流行らない。何かがおかしい。私は何かがおかしかった。しばらくそれを問うてみたい。

1/16 鍛えられたきゃ田舎じゃダメ

今年の草取りマラソンは楽をさせてもらっている。数日前のある日は3人の元気な若者が同時にトンネルに潜った。従業員研修の30歳、独立就農研修の30歳、経営者兼農業見習生28歳。たったこれだけのことで世界が明るくなったように感じるのは、ここが若者を普段見かけないというド過疎の田舎だからということがあるだろう。

このレベルの田舎というのはいい。何をしても若いというだけで注目してくれて持ち上げてくれる。とやかく言ったところで、やっぱり人間はそういうのが嬉しいものだ。

しかしながら話の筋を返して、このことは田舎の弱点でもあると思っている。例えば職人に憧れ、技能を学ぼうとする意思を持つ者の今の存在は、ある意味で「ゴミ」のようなもの。技能を会得して始めていっぱしであって、でなければ価値ゼロのゴミ。これが本質なのに、それを忘れさせるような周囲の雰囲気。そんな中をどう泳いで行くか。

幸い私は完璧だった。20代前半からあちこちで無闇に持ち上げられてきたけれど、造園屋の社長にけちょんけちょんにされ慣れていた私はそういう周囲を完璧なほどしらけた目で見ていた。「俺は何にもできねんだよ!勝手なこと言うな!」みたいに。「骨抜きにしようたって、その手には乗らないぞ!」って。それで私は今それなりに何とかやれているんだろうと思っている。

このご時勢、農業をやりたくてド田舎へ行くと、まるで救世主のように扱われかねない。ただのゴミが、救世主だって。なわけないじゃん、と思うが、この風潮はどうにもならない。結局救世主になるどころか、大したことにならなくて、周囲は飽きていく。持ち上げられ慣れた身にはあまりに寂しい。ささやかなはずの人生にも傷を抱えることになって、かわいそう。持ち上げる人たちに対し、「みんな惨いことするなあ」と私などは眺めるのだが、周囲は、「ゴミ」扱いする私のほうが惨いって言うんだよね。

だから自分を鍛えたいなら、若いうちはやっぱり都会へ行く方がいい。田舎にいては飼い殺しだ。周囲であなたが憧れるような人を見てみろ。ほとんど都会で苦労した人ばかりだろ。

まあ私もきつく言ったりがまったくできないたちで、研修を預かる立場としては失格っぽいのだが、せめて勘違いさせない程度の接し方はしてやりたいとは思っている。

それにしても、今28や30と言えば、かつて私が進学塾で担任をしていた小中学生の教え子らの歳だ。「お前ら、大きくなったなあ!」って。FBで検索するとチラホラ見つかるけど、懐かしいね。みんな今頃あちこちでいろんなことしてるんだろうなあ。

※1回目草取りマラソン進捗率:90%

1/13 デスクワークのゴールが見えてきた

● 集落自治会の事務局
● 田津の農地を守る仕組み(中山間地直接支払制度)の事務局
● 農地の管理譲渡

今年のデスクワークは長い・・。昨年までなかった以上のものらが、年末からまだ続いている。農地の管理譲渡に関わることでは、不在地主さんへの連絡がネック。電話が何日も繋がらないし、じゃあ手紙を、と昨日などは1時間かけて書いたとたんという素晴らしいタイミングで電話がかかってきた。事情が2重3重に交錯したりしているので、その説明にも神経を使う。まあ最終的には、ほとんどの場合が「いいようにしてくれ」という返事で助かってはいる。

しかしながら、ようやくゴールが見えてきた。中山間制度の提出書類はほぼ完成。ついでに来年から楽になるような処理もしておいた。農地の管理譲渡に関わる合意解約についてはあと1件を残すのみだ。

没頭さえできれば、この手の処理能力はそこそこ高いという自負はある。しかし、その没頭が怖い。こんなところに頭を使えば必ず自然を見る目は落ちる。信じてくれてもくれなくてもいいが、こういう能力は努めてセーブしている。ここが自然農業の経営の難しいところでもあり、面白いところでもある。

1/12 浜原ダムへ

先週末は家族でドライブ。その途中に、浜原ダムへ。

改めて、小さい。決して大きいとはいえないダムだ。川幅はそれなりにあるが、高さがない。

やはりこうやって見るものだ。洪水のときには必ずこのダムの放水量を意識する。それが毎秒2000トンで田津地区は2時間後に浸かり始め、5000トンで全域が浸水、という具合にだ。そのせいもあって、このダムが発電目的のダムに過ぎず、治水という目的の操作がされていない、ということへの不満を感じさせることになっている。洪水との戦いではなく、中電(中国電力)との戦いか!などと憤ったこともある。

しかし、こうやって見れば、ダムの放流自体はそう悔やむものでないということが感覚的に分かる気がする。ほとんど溜め代がなさそうなので、2000来れば2000を、5000来れば5000を流すしかない、というこのダムの性質にまずは納得する。

このダムを見るのはもちろん初めてではない。子どものころから遠足でも馴染みがあり、大人になってからも何度か、今の農業を始めてからだって3度目くらいだ。決して大きなダムではないというのはずっと知っていること。しかしその時々でダムへの感じ方が微妙に違うのはなぜか。今回は意外と穏やかに見られた。子供らが無邪気に遊んでいたからということも無縁ではないだろうが、やはりうちの経営が洪水を前提に成り立ちつつある、という事実は大きいのではないか。

私は日頃から「3~4年おきに畑がすべて水没する」という言い方をしているが、それは私が農業を始めた2004年以降の事実を言っているに過ぎない。2006年より前は1999年だったらしく、その間の6年は洪水にはならなかったわけだ。そしてその前は、・・・これが分からない。記録に残るようなことはないし、地元の人も「いちいち覚えてないよ」と。それだけ田津地区の洪水とは特異な現象であって、田津の人たちからするとあまりに馴染みの出来事なのだ。

とりあえず私は3~4年に一度の頻度という前提で今の経営を作っているけれど、これがもし6~7年に一度というなら、また違った経営が可能になる。逆に2年に1度などともなれば、今の経営では全然ダメだ。実際の頻度は、もっと年数が経ってみないと分からない。上流の堤防の完備で、近年頻度は高くなっているというのが人々の「感覚」だが、このあたりは冷静に対応していかねばならない。

小規模のものも入れると5年連続の冠水から一転して、この2年は農地をかすりもしなかった。大きなのは2006、2010、2013と来ている。そろそろ今年はどうだろうか。

※1回目草取りマラソン進捗率:85%

1/11 やりたいこととと、やらねばならないことと

何事もやる気が起きない。かなりマシになったとはいえ、まだまだ気分は谷である。

といってもボーっとしているわけには行かない。今日は大豆の小分け、車のタイヤ交換、デスクワークを、かなりのペースで片付けたところ。一応は鍛えられているので(笑)、体が勝手に動いてくれる。というか食っていくってそういうことよな。

さて、何かプラスのことを進めたいね。そういう欲求に駆られているということは、まだ救いようがあるということか。しかし現実はそうは許してくれない。やりたいことではなく、やらねばならないことに忙殺されるのが人生というものだ。そういう中に、時々やりたいことをやるチャンスがあるかもしれないし、ないかも知れない。とそれだけのことだ。

1月4日にリンクした記事にも関連するが、私は自分のやりたいことというのは意外とできていない。今の農業だって成り行きでこうなったのであって、自分の意思で強く作ってきたわけではない。成り行きというのは、他者から求められるということでもある。つまり他者からの求めに応えよう応えようとしてきたらこうなったということだ。

お世話になっている人たちや、私が好きな人たちの期待にどうやったら応えることができるかということを、日々考えているし、今日も考えている。もちろんトータルで考えるわけで、何でもかんでもができるわけではない。だからできないことはできないと断る。そしてあとは成り行きに任せる。私の日常というか仕事というか人生は、砕いてみれば、たったこれだけの繰り返しである。

※1回目草取りマラソン進捗率:82%

1/10 こんなこともあるさ

ここ数日、気分が底。日の出の底と合致したかどうか。

人生山あり谷あり、ということはこれまでの人生の中で嫌というほど分かっているつもりだが、その時々で振り出しだ、初めての試練かの様に受け止めてしまう。まだまだ青いね。

昨日の午後、違う集落の新年会に呼ばれて、少し復活。いいよいいよ、細かいところでは情けないが、それを裏返して大胆に行ってみたい。信じるのは自分の感性だ。信じるのだ。不安だが、信じるのだ。

※1回目草取りマラソン進捗率:

1/6 この時期としては有り得ない好天気続き

こんなに好天で条件が揃うことがあるとは思っていなかった。春まきゴボウのトレンチャーがけができるではないか。しかし油断した。さっとかけれるようにあらゆる前準備をしておくべきだった。今日はそれで半日が潰れた。もう半日はデスクワーク等。こっちは仕方がない。

明日丸1日かければトレンチャーは終えられる。しかし他にもやりたいことがある。次に降ったら田畑はどこも当分は入れない感じ。何を優先するか、悩みに悩んでいる。

表日本の農家には分からんだろうかね。裏の冬ってこうなんよ。関東の冬って、晴れるのが当たり前で当時は天気予報なんて見なかったな。おお、そういえば明日の最低気温は氷点下の予報だった。こないだいじった水道パイプにカバーを巻かなくては。当地ではちょっと気温が下がっただけであちこちで水道管破裂よ。それだけ普段が温(ぬく)いんよね。

※1回目草取りマラソン進捗率:61%

1/5 田津の農地、縮小へ

新年の始動は、農地の返還に関する手続きから。田津の農地は初年度の7ha、33枚から始まって、多いときには11ha、41枚まで広がった。しかし現在は8ha、24枚。これを春からは6ha、18枚に減らそうという計画だ。

拡大路線で死ぬ寸前まで努力して、食っていける事実を得たら徐々に整理、という当初からの青写真の一環だ。洪水と共存しながらとりあえず食っていくことはできるようになった。しかし今のままではいつかくたびれる。敵はくたびれ。どうやったら楽になるか。整理の選択肢が多くある中で、一番効果が高いのが田津地区の縮小。そんなことは当の前から分かっていたが、ずっと踏み切れなかったことでもある。

正確には農地の「返還」ではなく「譲渡」。耕作したい人へ譲るのだ。そのためにまずは地主さんの了解を得る手順。訪問または電話で事情を説明。皆、快諾して下さる。しかも違和感があるほど好意的にだ。中には「不安もあるが、あなたが言うなら。」とおっしゃってくれる人もいる。中山間の代表をやることになってからも痛感しているが、あの有名な「田津の人たち」(笑)が皆、私に対し例外なく好意的にしてくれる。田津でなくとも、大体どこにだってうるさい人はいるものなのに。嬉しい反面、どうも居心地が悪い。

こういうときに自分のルーツを思う。私の先祖はまさにこの田津のルーツ。私は反田正春の孫、反田忠志の子。私の存在とはそういうことだ。この狭い田津に限らず、桜江町中のどこででも「あんたのおじいさんには世話になった」、「お父さんは元気かな」と声をかけられる。

そんな風だから、善行は相手のためではなく、しかしながら諺にあるように自分のためでもなく、それは子孫のためにある、と思えばとても痛快である。息子たちのため、子孫のため、「反田孝之の子だ、孫だ」と言われるように私も頑張りたいなどと改めて意識したことだ。

このようなルーツある田津の農地を守ることも限界に近い。このたびの譲渡はそういうことだが、決して敗軍の将というわけではなくて、残された農地はさらにレベルの高い管理をしていくつもり。言い換えれば、それらを可能にするための縮小でもある。そしてゴボウ栽培のレベルを上げる。いつかはこの地をゴボウ産地として復活するということには、最近の農地利用動向からしてほぼ終止符が打たれつつあるが、せめてもの一刺しで、「今だけ、金だけ、自分だけ。本当にこれでいいのか?」と世に問いたい。それが私の人生に求められていることではないかと思える。

※1回目草取りマラソン進捗率:58%

1/4 人真似をすることの大切さ

「個性」や「自己実現」が鬱陶しいと前回書いた。こんな本がある。

『自分を捨てる仕事術-鈴木敏夫が教えた「真似」と「整理整頓」のメソッド』 石井朋彦著

購入はアマゾンではなく、地元の書店で(笑)。悩んで空回りをしている若者にぜひお勧めだ。個性のことも書いてあるし、若者の間で当たり前になっている価値観がいかに虚しいものであるかが全部書いてある。そしてどうすればいいかも全部。・・・ただし私はまだ読んでいない。きっと書いてある(笑)。

と言うのも、こういう記事を読んだから。

『宮崎駿は20年間ある人の真似をし続け・・・自分を捨てたとき、あなたがやるべき仕事に出会える』 上に挙げた本の紹介記事だ。これを読むだけでも十分なエッセンスがある。特に我々のような「技能」職に憧れ、その習得を目指す人には大事なことである。

「真似をする」というのは、多くの場合否定的な意味にとられる。そういう風潮はいつの頃から流行りだしたのか。私は意外と最近のことではないかと思っている。

「倣(なら)う」という言葉があるが、このことこそ少し前の日本では重要視されていただろう。倣うことこそ上達の早道、いや唯一の道、そういう認識であっただろうということが、年配者を見ていると何となく感じられる。しかし今や、「倣う」という発想がない若者が明らかに多いと感じる。むやみな「個性」重視の風潮と関係はないだろうか。

「習うより慣れろ」という言い方がある。これはこれで正しいのだが、おなじ「ならう」という音だから、都合よく間違った解釈をする人は多いだろう。まずは「倣う」こと。技能の習得はもちろん、それ以外のことも何だってそうで、この大切さが分かってなさそうで「惜しいな~」と思える人が少なくない。

これだけでも生きるのが楽になる。

※1回目草取りマラソン進捗率:52%

1/1 ただ生きていくということ

年が明けた。

テレビで煽られることもなく、生き物相手で区切りのない生活を送っているため、世間(新暦)の年越しをそれほど意識しない私だが、それでも近年の年末には、締めくくりの気分でちょっとは気の利いたことを書いたりしていた。しかし今年はいつになくそれどころではない。

・・・いや書く暇くらい実際にはいくらでもあるはずなのだが、2人の息子のPC争奪戦のため、私の残り少ない人生の時間はノンタンやウルトラマンを見ることに費やされてしまっているのである。

これを書く元旦の早朝、今年の抱負は何かと目線を上げると、ベタに「みんなで元気に」ということが思い浮かぶ。長男は数日前に8歳になったばかりだが、これをPCで書く私の目線の方向には、昨年8歳で亡くなったお隣の子供が眠っている。この集落のたった4人の子どものうちの1人で、息子とよく遊び、我が家によく上がりこんでいた彼が突然いなくなったということは、私の中であまりに大きい。長男については、まずは彼の年を越えてくれ、などと細かいことを願ったりする。今年1年、みんなでしっかり生きよう!・・・というのが、抱負の正確な言い方になるかもしれない。

若者と接する機会は以前から多いが、近年は彼らの中で「生きる」という概念が薄くなっている気がしている。悩みの質が私らの若い頃と随分変わった気がしているのだが、ただ「生きていくためには・・」というところに執着するだけでいいのに、と感じることが多い。人間、生きていく、食っていく、ということがもっとも尊いことであり、それだけで勝ったも同然である。「個性」とか「自己実現」とか、もう鬱陶しくて仕方がない。食っていくために頑張っていたらいつの間にか出来ちゃったよ、というのがそれらではないか。

「普通の人が家庭菜園で自然栽培を続けていったら、その人はどう変わるのか?」と先月のある会議で聞かれた。不意を突かれて、「生きるのが楽になる」ととっさに答えたけれど、これは本音である。自然栽培に関われば、個性は要らなかった、自己実現も要らなかった、ただ生きるだけでいい、ということの気づきはないだろうか。私がそう思うのは単にこれまでの人生のおかげかもしれないので確信とまではいかない。ただ実際に自然栽培というものを深めていくうちにそう思うようになったのは間違いなく、そんなことを期待しているのである。

そろそろ息子たちが起きてくるぞ。もうこれくらいにしてアップしておこう。これを読んでくれている皆さま、本年もよろしくお願い申しあげます。

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魚コロッケ(送料込)

販売価格(税込): 3,240 円

イベントで2000個売れた大人気の蒲鉾屋さんの魚コロッケ!贈り物にお弁当やおつまみに子供から大人までリピート多数の人気商品です!

ごぼちく(送料込)

販売価格(税込): 3,240 円

水で溶くだけの衣付だから、お家で揚げたてを食べられます。ボリューム満点のごぼちくは、1本だけでもおかずにおつまみに十分です!

かまぼこ・揚げ物詰め合わせ 5,000円セット(送料込)

販売価格(税込): 5,400 円

ギフトに喜ばれる住京蒲鉾店のイチオシセット!人気のすまき蒲鉾から、おつまみにも最適な天ぷらなどギュッとつまったギフトセットです

ミニ瓦 5枚セット

販売価格(税込): 2,160 円

職人が1枚1枚手作りするミニ瓦。和菓子の受け皿や、お香をおいたり、アロマキャンドルをおいたり、ジュエリーをおいたりと用途は様々。お部屋のアクセントにもなります。

瓦箸置(唐草) 5個セット

販売価格(税込): 3,240 円

島根県石見地方にある江津市で製造が盛んな石州瓦。この瓦をそのままミニチュアサイズにした箸置きです。

瓦根付 1個入り

販売価格(税込): 918 円

石州瓦をそのまま小さくした粋な根付。携帯ストラップや鍵につけたり、着物の帯につけたり。赤茶色といぶし銀、大切な人とペアでつけても渋くて素敵です。

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