はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2017年4月の記事

4/30 大人が率先して楽しむことの大切さ

さすがに疲れた。午後からぐっすりと昼寝。腰の調子も少しずつ良くなっているし、また明日から踏ん張れそう。

昨夜は珍しいお客さんが。この記事の最後に書いた、松ちゃんの息子だ。最後に会ったのは、彼が小学3年生。そして今、22歳!隣県での就活のついでに立ち寄ってくれた。

この記事にも書いたが、彼の中で私の存在は大きいのだという。彼が自然が好きになり、水産系の仕事を目指しているのも、それは私のおかげだとも言う。聞いてみて、なるほど、5~9歳という年の頃に、自然に乏しい街の子が時々接する「谷津田」の豊かな自然は、彼に良質の自然観を与えたということか。しかし、それだけを彼を導いた要因にするのは弱すぎる。そして話をすすめるうちに、大人たちが目一杯楽しんでいる場所に一緒にいた、そのことが大きいということになった。

やっぱりそれが大事なのだ。「子どもに体験させる」というイベントは、大方において甲斐がない。子どもは基本、大人の背中を見て感じ、考える。では子どもに伝えたいことは、大人が一緒にやって楽しむのが良い。あの頃はよく田んぼでイベントを企画して、それを口実に焚き火して酒飲んで、大騒ぎをしていた(笑)。懐かしいね。

よく言われることで頭では分かっちゃいるんだけれど、改めて「具体例」と語りあって、すっきりとしたことだ。子どもが将来就きたい職業で、人間の生存の根幹である衣食住に関わるものはあまりに順位が低いが、この歪な構造、もちろん農業の受けのなさの改善にも1つのヒントになる。

う~ん、やりたいことは山ほどあるんだけどねえ。ようやくの休みの日にぐったり寝ていなければならないようだからダメなんだ。仕方ない、ジッと一手間省きを積み上げるまで。

4/29 来年は除草剤を使うぞ

この2日でやったことの1つ。

大豆作付け予定圃場にスイバが大量に生えてしまったのでその除去。剣スコ片手にひたすら手で抜きまくって、軽トラに積んで、畑の一角に埋める。軽トラに積んでしまえば、あとはユンボで楽々だから、積むところまでが仕事。意外と、辛い。

この草、トラクターで耕せば耕すほどどんどん増えるもっとも厄介な草の1つ。その都度こまめに抜いてさえいれば、こんな目には遭わないのだが、なにせ農地が広いので、普段からこまめにやるのは無理。多くなってさすがに困ったところを時々やることになっている。

大豆栽培専用の渡地区圃場の全域で、このスイバが猛威を振るいつつある。今年はひどいところはすでに抜き終えたが、おそらく来年は手に負えない。考えただけでも具合が悪くなる。仕方がないので私の人生で15年ぶりくらいに除草剤を使うつもり。先ほど大豆の販売先にも了解を得たところ。ああ、これで1つ肩の荷が下りた。

私は除草剤を否定はしない。しかし世間の人は使い方を間違っており、正しい使い方というのがあるのだ。来年はそれをとくと見せてやろう。

4/28 急に火だるま

う~ん、にわかに現場が火だるまになった。腰を痛めてしまったので思ったようにはかどらず、気ばかりが焦る。

今すぐ完了したいこと、一覧。

●秋蒔きゴボウの支柱撤去
●同じくトンネル間の管理機がけ
●春蒔きゴボウの草削り
●渡圃場のスイバ抜き
●渡圃場の耕うん
●今田圃場の大石の除去
●今田圃場の畦草刈り
●サトイモの作付け(耕うん、畝たて、植え付け、電柵)

手をつけたいことではなくて「完了」したいことだ。ほとんど手も付いてないのに・・。

同時進行を迫られる作業もいくつかあって、例えば「苗代」の管理。今朝もシート剥がしたり1時間ちょっとやったところ。

上記の中では、今田のサブソイラで上げた大石の除去が、昨日やってみたところでは相当厄介。何とかせにゃ・・。

4/26 秋蒔きゴボウにとっては初体験の雨

これを書く早朝、再び雨足が強まってきた。実は強い雨の音のせいで1時には目が冴えてしまった。今は降られて困ることは何もないのだが、そういう風に体が反応するようになってしまったようだ。

このたびの雨。困ることはないどころか、ビニールを外した秋蒔きゴボウにとっては恵みの雨だ。なにせ11月に発芽して5ヶ月もの間、雨に当たったことがない。蒸散バランスが崩れて頑張っているところに初体験の一雨が来れば、一気に新葉が萌え出してきてワサワサと茂りだす。見るからに気持ちが良い。

ま、冷静に見れば、単に私が気持ちが良いだけのことで、ゴボウはすでに地下深くに根を伸ばしているし、少々雨が降らなくたってこの季節なら問題はなく、ゴボウが何と思っているかは分からない。ただこれから収穫までの2~3ヶ月の間にはそれなりの降雨量が欲しい。乾き傾向ではゴボウが長く伸びすぎて、また例のように抜けなくなる。

ところで、「トンネルの中で長期間水遣りを一切せずに大丈夫なのか」という質問をよく受ける。冬の間、水分は地面に十分ある。私も初めてのときは心配だったけど。 そういえばゴボウの写真を近々載せると書いていた。つい撮り忘れてしまう。なかなか癖が直らない。

4/25 ようやく田んぼの耕うん

今日の夕方からの雨予報を受けて、今日は田んぼの耕うんの一手。新規圃場のジュルさに手間取ってきたが、ここにきて何とか及第点の乾きに。そしてトラクターはクローラ型の新兵器なので、何とかなるはず。

で早朝から来客を挟んで昼過ぎに終わらせたところだが、ストレス80%、前耕作者のコンバイン轍が深すぎて、また局所的には相変わらずジュルくて、トラクターの揺れがひどい。水平および耕深機能などほとんど役に立たず、スズメのテッポウでロータリーが土を抱える症状も多発で、何年ぶりかのデタラメな耕うんになってしまった。

一番ジュルいところでの旋回したの図。まるでコメディの世界。

とにかく今年は死んだふりをして、(1)均平を直すこと、(2)圃場を固めること、に専念するつもり。それによって暗渠排水の機能を復活させ、その結果として、耕うんしていてもトラクターの中に臭いを漂わせる腐った土の層を1年でも早く解消させることが私の役割だと心得ている。そうすればあとは土と水がいいお米を育んでくれるだろう。これが我々の農業である。

4/22 ビニール撤去も時短

トンネルビニール撤去3日目。24棟が終了。1回分の8棟が、今年は2人で2時間半しかかからない。マジポンかよ!10棟できるな。これまたずいぶん省力化したものだ。いつものプチ満足。

今までに我ながらうんざりするくらい書いてきたが、トンネルの強度と省力化の取り組みには、ちょっと大げさにいうと「魂をかけてきた」と言ってもいい。そして風、雪への耐性を上げつつも、作業の手間は減るという、一見矛盾するような命題を完成することができた。実は来年の撤去をさらに楽にする工夫を考えている。私の後に道はできる。実に楽しい人生だ。

と、わざとらしく書いたが、本当は後に道ができなくても楽しい人生であるべきなのだ。つまり自らの工夫「そのもの」に喜びを見つける。私はここまで見切っているよ。

昨日今日と、妙なことを書いているが、いろいろ考えていることを整理しているわけね。

さてさて現場はそれどころではない。中度のタイミングごとがかなり増えてきている。天気予報とにらめっこを続けながら右へ左へ走り回っている。早く車検終わって積載車戻ってこい。

4/21 私の農業人生の「諦め」と「野心」

訳あって、最近自分の農業について考える。私が農業を志すに当たって追い求めてきたものは、一言で言うと「痛快な」農業である。豪快でなく、痛快。そんな「軽やかな野心」を抱き続けて無我夢中でやってきた結果、とりわけ「自然栽培」との出会いで、それは叶った、と言えるのではないかと思っている。

一方で、だかだか40代半ばで、そんな人生の回顧を始めるようではどうもオジン臭い気がしないでもない。永遠の若者を標榜するのであるなら、現状に満ち足りることなく、前ばかりを見て次の展開にまい進していくものだろうから。しかし実は私は自分が老け込んだとは露とも思っていない。その事情をちょっとだけ書いてみたい。

私の農業には「諦め」がある。それが洪水である。私がどれだけ努力しようと、どれだけ拡大路線を抱こうと、3~4年ごとにやってくる洪水は決してそれを許してくれない。何とか永続性のあるささやかな経営を作るところまでは許してくれたが、ゴボウの需要をまったく満たしていない現実があろうと、私にそれに応えたい希望があろうと、地域の雇用への貢献を切望しようと何だろうと、それ以上のことはなかなか許してくれない。田津の農地にバベルの塔は絶対に建たないのである。

そうかそうか、私の鼻を高くさせないつもりだな、と気付いた時はそれなりに悩みもしたが、今ではすっかりこの境遇が気に入った。話がかなり飛躍するが、「ただ生きるだけ」の人生。両親、自分、子らと続いていく生命の定めに立ち返り、いつまでも自然に学び、自然とともに、ただ生きる。一際強い程度にそんな感覚を「獲得」できたのは、私の場合は間違いなく洪水のおかげである。

誤解して欲しくないのは、私は「ただ生きるだけ」の人生を積極的に獲得したと考えているのである。というのも、それだからこそ私が今後人生をかけていきたいことが定まっているのだから。それが何かを敢えて大きく括って言うなら「自然とともにただ生きていくことを可能にできる社会の構築」ということになるか。

それが「地域の鎮静化と人々の幸福」に繋がるということを信じてやまない。戦い好きの私には幸いにもフィールドが広く開かれていることになる。それを前にして、やらねばならないことが多い、多すぎる。その初歩の一つが今の自分の立ち位置を正確に掴むことである。オジン臭く自分の過去を振り返るのは単にこの一環に過ぎない。

静かに、ジッと、弾けて行きたい。

4/20 トンネルビニールの撤去

今日からトンネルビニールの撤去を。

この作業はいつも朝8時から昼前にかけて行う。それ以上早いと朝露が切れないし、遅いと風が出たり、畳んだビニールを暑さで溶かしたりする。そして結構くたびれるので、3~4時間しかできないというのはちょうど良い。

となると1度にやるのは8棟くらいがよい。全部で30棟だから4日弱。かつては1日で10棟やっていたし、そうすればちょうど3日で終わるのだが、3日連続で10棟はかなりハード。無理が出来る歳ではないし、また無理をする必要性もない。

ビニールはほとんどを再利用するので、露を切りながら畳んで回収する。50mのビニールをトンネルから外さずにトンネルの上で裏返すように半分に折り返し、濡れた面を乾かす。乾いたらそれをさらに半分に折り返し・・、と繰り返しながらに内側を乾かしながら折りたたんでいくのだ。裾押えの土もその都度外していく。そうすると少々の風が吹いても飛ばされることがない。ビニールは次作までに事務所の駐車場でジグザグに畳み直すのだが、こういう回収のやり方を編み出してからは、これら一連の流れが極めてやりやすく楽になった。

そして、ゴボウ。湿度環境が変わって葉がくたびれているが、数日でしゃんとする。それにしても今日の圃場は過去に入った異物(肥料分)のタマモノ。色も濃いし、葉が大きいし、背丈も高すぎる。まだまだ抜けるには年がかかりそうだ。理想形と合わせて明日以降に写真で紹介したい。

4/19 作業のタイミングにヤキモキ

今日は強風。ようやく晴れて土が乾いたというのに、トンネルのビニール撤去は延期だ。早く剥がしてやりたいのだが。

振り回されるのは、「温度」と「風」だけでなく、もちろん「雨」もだ。一昨日の夕方から夜にかけては大雨でポンプによる排水にてこずった。前の写真だが、これ。

排水量が降雨量に追いつかず、あわや冠水というところまでいったが、何とか無事。もう少しで夜中中待機して寝れないハメになるところだった。これとて、トンネルがあるからこうなるのであって、ビニールを剥がしてやればこんな目には遭わないのだが・・。

今の悩みは、苗代のシルバーシートの撤去。施肥区の苗に、肥料入りの土を使うのは実に7年ぶりで、勘がにぶってしまって、撤去のタイミングがわからなくなってしまった。自然栽培区のものはまだ掛けたままでいいのだが、施肥区の方で悩んでいる。どのみち今日は強風で出来そうになくて明日以降になりそうだが。

しかし、ね。シルバー剥がしたら、水管理が少しだけ面倒になる。根が出た瞬間にそこに肥料がある、というのも稲にとってとてもいいとは思えないし、来年からはまた「肥料なし培土+追肥対応」にするつもりでいる。追肥による「根渡り」のリスクを減らすために肥料入り培土を使ってみたわけだが、今回のように畝立て方式にしたら、「根渡り」のリスクは減る気もするし。

あれやこれや考えているわけよ。

4/17 ゴボウが高温を凌いでホッと

この時期は一年のうちでも特に「気温」と「風」に振り回される。

昨日は朝1時間ほどで苗代を完成させて、その後、急ぎゴボウトンネルへ。数日前にこの日が最高気温26度の夏日予報が出ていたのだが、苗代にかかりきりだったのでビニールの撤去が間に合うはずもなく、どうやったら葉焼けを最小限に食い止めることができるかを、この間、寝ても覚めても考え続けていた。そしてかろうじて浮かんだ一案を実施するために。

しかしやってみて、とてもダメだ、温度が下がることがあまり期待できない上に、予報にある翌日の強風に耐えられそうにない、ということですっかり諦めることにした。その時、10時時点で、トンネル内気温はすでに下部で42度、上部は50度。前日のように風が強ければかなり緩和されるのだが、それも期待できそうにない。せめて今、1棟でも2棟でも剥がせればいいのだが、一緒にやれる人の都合がつかない。「ごめんよ。耐えておくれ。」後ろ髪を引かれる思いで畑を後にした。

そして今田地区で冷房の効いたトラクターで作業をしてきて、夕方状況の確認に戻った。すると、おお!何ということだ!ほとんど焼けていないではないか!!一番暑い昼過ぎ前後の空が若干モヤッていたので、最悪は免れるかと期待はしたが、ここまで無事とは思わなかった。

少し早めに自宅に戻ると、一日早いが私の誕生日ということでごちそうが。苗代設置は完全に終わり、ゴボウも無事、今田の転作田のサブソイラ掛けも雨の前に目途が立った、ということで、すべてが上手く凌げて気分スッキリで乾杯をしたことだ。

ちょっと悔やまれるのが、本当は土日のどちらかで長男と遊んでやりたかったこと。自宅から風の国まで歩きたいと以前から言っているのだが、行ければ行ってやりたかった。今週末がどうか。ビニールの撤去が入らないことを祈るしかない。

4/15 うちの作業時期を真似てもだめ

農家は作業時期を隣の人と競う、などと言われることがある。隣の人が耕うんしたら自分も耕うんし、種を蒔いたら自分も種を蒔く。という具合。確かにある気がしている。

以前耳にしたのは、反田がトンネルのビニールを剥がしたら剥がせ、ということ。秋蒔きトンネルごぼうのビニール撤去は早すぎると薹(トウ)が立つし、遅いと葉を焼いたり管理が面倒だったりする。そのタイミングは反田を真似ろということらしい。

それを聞いて申し訳なく思った。実はうちはほとんど適期にビニールを剥がしていないからだ。今年だって、本音は先週くらいに剥がしたかった。しかし都合が付かなかったり、他の重要作業があったりで、今だに出来ずにいる。今日、明日などは高温で葉を焼く可能性が高く、焼きもきしている。剥がすのは来週中旬になりそうである。

もっとも近年では秋蒔きトンネルごぼうを栽培している人はほとんどいなくなったので、申し訳なさからは開放されている。以前なら、「あんたたったの2列だろ、今すぐ剥がしんさいや。」と言いたかったことだ。

同じような理屈で、うちの様々な作業時期を見ている人はいるらしい。しかし言いたい。うちのタイミングは、大体のことが遅れている。また一部では少し早い。大面積をやるからこうならざる得ない。みんな小面積なんだから、もっと適期にやろうよ。

うちで今年(も)遅れていること。トンネルの

撤去 ​、​ 田んぼの耕うん、 ​サトイモの植え付け。大きなところではこんなところ。

その中で何よりも焦っているのが、田んぼの耕うん。まだ全体の3割しかやっていないので「例年なら」気が気でない。稲わらを出来るだけ早く腐熟させておくというのは、うちでは何にも勝って重要課題であるが、今年は新規圃場が多く、今だにぬかるんでいていい状態でないので、判断に相当迷いつつ、乾くのをジッと待っているところだ。

「例年なら」と書いたが、今年は駆動型の除草機を入れた。もし稲わら由来のガスが湧いてもこれでガス抜きが、または小干しのせいで生えた除草に使えるかも、ということで少し気を楽にしている。これについてはそのうち触れたい。

4/14 今年の苗箱設置の総括

残りの228枚を並べ、今年の苗箱並べ作業が終了。シート類の被覆も1列を残して終わらせた。あと30分もあればすっかり終了する。

この苗箱設置作業、「楽」に慣れてきたのでそれなりに辛いが、総じて楽にはできているだろう。集計してみると、苗箱およそ1000枚、資材の準備から全部コミコミで、大体30時間役(私20時間、補佐役10時間)。2年連続でこの数字だから​、安定技術になったといってもいいだろう。

しかし欲を言えば、もう少し省力できないか。これから歳を取るばかりだし、せめて40代の自分なら、作業をする前に少したりとも嫌な気持ちがしない程度に仕上げてみたいのである。

だが残念だが、それはないと思っている。育苗期間中の省力化もトータルで考えあわせた場合、大金を叩いて設備投資しない限りは、すでに劇的な向上は望めないだろう。それほど無駄は省いてしまったと思っている。

それならもっと「楽感」を得るためには、人に頼むか、日をずらすしか方法がないということになる。これからはきっとその方向へ進むだろう。

そういえばこの度は、クイックレベラーに触れなければならない。実はデモが終わった時、私の中では「これはないな」で落ち着いていた。メーカーの担当さんの技量や、うちの苗床がレベラーの幅以上あるという問題はあったにせよ、従来の代掻き法に比べてあまりに不陸が大きすぎたのだ。落胆はあまりに大きく、検討材料にするべき写真をもすっかり撮り忘れてしまったほどだ。

しかし並べていて、今までと違う。苗床の高いところも中々乾かないし、板で踏むとダワンダワンしていくらでも下がるし、側面から水が沁み出してくる。苗床の土中に空隙があって水が充満している証拠である。なるほど、理想形とされる深部ゴロゴロ表トロトロが鮮やかに作り出されているのだ。

これならありかな、と考えている次第。そして作業時間はなんとわずか20分くらいだったのだが、1年で20分しか使わない機械に15万、だよ。経営判断としてはもちろんそういうことは重要ではないのだが、何とも不思議な気持ちがすることである。

4/13 いつのまにか苗箱下し

ヘトヘト・・・だ。

昨日の昼過ぎにデモ機で苗床を決めて、その後、やっちまおうか、ということで予定を早めて夕方から苗箱並べを開始。昼飯を食べる今、588枚が終了。残り433枚。のんびりやれば大したことない作業だが、トンネルの換気も同時進行のくせに、今日中に終わらせる!という目標で動いていたからくたびれ果ててしまった。

挙句、今日中の完了を諦めた。続きでシート類を掛ける作業があるのだが、明日からの風の強さなどの気象条件を勘案して、段取りを組み替えた。「風」って要素は意外と厄介ななんよね。そこをかいくぐるために、日々の生活がかなり振り回されているし、人に頼むこと(雇用ともいう)が難しくなっている。

明日は風のない早朝の時間帯に親父のヘルプを。こんなときに限って研修生らが不在に。早朝は息子らがいるので当然女房の手も無理。シート掛ける作業って、1人でもやれないことはないが、さすがに能率が悪いのよな。

4/12 水位調整でロス

午前中にクイックレベラーのデモ予定が、水位がちょっと高いかな~、ということでちょっと早い昼飯を食いながら待ちの状態。今日中に岡山へ帰るというメーカーさんに気の毒なことになってしまった。

田んぼの水位というのは、段取りの中では大変厄介だ。代かきだって田植えだって除草だって何だって、適正水位というのがある。その調節には当然、Enter キーを押せば一瞬で出来るという世界とは違い、時間がかかる。そして時間をかけて水を落とし、そろそろかなと来てみると、今度は落とし過ぎてしまった、また入れよう、というようなことを何度も繰り返すこともある。

だから水位調整が必要になる日には、あらかじめその周辺で出来る作業を準備して置くことが多い。一発で理想の水位になっていればいいが、そうでない場合はまさかボーっと待っている暇はないし、いちいち畑の田津地区まで戻っていては時間もコストも浪費だし、近くで見ていないとまた失敗する。だから待っている時間に、例えば近くで畦の草刈りができるようにするために、畦の草はこの日まで刈らないでおく、というような段取りをわざわざ組む。

こういう段取りが平然とできないなら、一人とか少人数で大面積を管理するなんて絶対に無理だ。

今日はメーカーさんが張り付いてくれていて、ちょうどよくなったら電話が鳴ることになっている。おかげで安心して事務所でこんなものを書きながら昼飯を食っている。

4/11 明日はクイックレベラーのデモ

明日の苗代均平作業(クイックレベラーのデモ)に向けて、大まかな不陸を直すべく昨夜から入水したところ、入れ過ぎてしまって、朝から抜いているがなかなか理想の水位にならない。集落の役員会の準備などをしながら1時間おきに様子を見にいって、もう少しでいい感じになりそうなところ。

クイックレベラーは各地で普及していて、昨年はいよいよ買う気になっていたが、1年で1時間しか稼働しない機会に15万円もの投資をするのがどうにも悔しくて、やっぱりまた保留にしたのだ。しかし従来の代かきによる方法と比べ、苗の質が上がるという仮説があるため、どうにも試さないわけにはいかない。そこで、デモをしてもらうことにしたわけ。感動したら諦めもつくしね。ああ、デモってのは、試しにやってもらって気にいったら買うってやつね。

断っておきたいのは、肥料を使う育苗であれば、別にこんなものは必要ない。代を掻いて、乾かしてガチガチに固めて、その上に苗箱を並べるだけでいい。つまり苗箱が苗床と微妙に密着していなくても平気なのだ。肥料は元肥としてあらかじめ漉き込んでおこうが、苗箱の土に混ぜておこうが、後に追肥で対応しようが、お好みだ。もっともレベラー使ってる人は多いけど。 しかし私の経験からは自然栽培ではそうはいかない。最低でも苗箱と苗床は密着していないとならない。そしてそれだけなら代掻き法でも事足りるが、肝心なのは土中の空気がそれなりに必要ではないかということである。代かきでは空気が追い出されてしまうのだ。そう主張する先達がいるし、私もそんな気がしている。その理想の環境を作るには不耕起にして表層をモアで叩く、というのがいいと仰る人がいるが、それにはまた別に様々なことを考えなければならず、うちの条件では現実的ではなさそう。よって耕うんして水を入れ、表面だけを叩いてトロトロにするというクイックレベラーが眩しいのである。

苗床にこの機械を乗せて、エンジンをかけて、2人の人間が紐で引っ張るだけという代物。近隣で使う人がいれば共同購入でとっくに買ってるんだけどね。ポット苗で育苗する人ってこの辺にはおらんのよな。

4/10 またサブソイラを入れるぞ

今田の転作田の大豆畑に、7年ぶりにサブソイラを入れた。

この間、水はけに不満はあったが、許容範囲ということで久しぶりになった。今年は雑草対策を、従来のロータリーカルチによる土寄せからキューホー除草機に変えるため、より良い圃場条件を狙って入れることにしたのだ。

サブソイラを入れる方向が、さあ、どうか。弾丸(後ろにぶら下がっている釣鐘状のもの)をけん引するので、暗渠排水と直交して入れたい。しかしトラクターの前後の揺れや除草の精度に影響する可能性が排除できないので、比較区で斜めに入れる圃場も設けた。写真がそれ。

また6年間入れなかった積極的な理由があって、実は今回は覚悟を決めて入れている。その理由がこれ。

耕盤に埋もれた巨石を上げてしまうんだな。中には抱えられないほど重いものも。今日入れた1haですでに30とか50とか上げた感じ。この巨石たちを今後、ロータリーの破損のリスクを抱えて耕うんしながら、その都度スコップで掘って取り除くことになる。あれをまたやるのか~と思うと気が遠くなるので、今はまだ考えないようにしている(笑)。

サブソイラはさらに1.5ha程度入れる予定。死ぬ気でやれば・・、もとい、死にながらやれば・・・、いや、何でもいい、四の五の言わずに、やるのだ。

4/8 籾まき

今日は、予定通り稲の種まき。

120枚ごとにパレットに積む。今年は全部で1015枚の予定。研修生らと。いつもは女房と2人作業なので子供のいない平日でないとならなかったが、今回は土日でできる。女房以外とやるのは何年ぶりか。

こうやってフォークリフトを使うのは、購入山土を使うロットのみ。自家採土の場合は、スコップでホッパーに放り込みながらやる。

今年は籾の乾燥で手間取って開始が遅くなってしまった。今日中に終わるかどうか。 それから今年もちょっと1ポット当たりの粒数が多い。どうやってもこれ以上減らん。粒が小さいから仕方がないか。粒張りのいい稲を作りたいものだ。

4/7 種籾の芽出し中

昼飯を食べている今、種籾の「芽出し」の最中だ。種籾に温度をかけて、芽をあらかじめ1ミリ程度出させておく作業だ。以前は風呂に漬けたり、シートで覆って陽に当てたりしてやっていたが、今は電気の力を借りて、このような装置を使ってやっている。

芽出しをしていないとどうなるか。自己研修時代に経験したのだが、芽がなかなか出ずに土の中で腐っていく種籾がある。もし今そんなことをやったら田植えが欠株だらけになってしまう。しかし、だ。欠株だらけでも構わないかも知れない。2009年に、別の理由で決株だらけになって、しかも田植え機の故障で全面積で8cmの深植えになるダブルパンチを食らったことがあったが、終わってみると粒が異常に大きく、平均収量が私の稲作人生で最高だった(現時点でも最高)ということがあった。いやはや、稲作も奥が深い・・。

話を戻して、今年も購入籾と自家採り籾の2種類を芽出ししているが、芽出しにかかる時間はやはり浸種時間でかなり読めることが今年も明らかになっている。購入籾は予定通りの24時間で一斉に発芽し、すでに引き上げたところ。自家採り籾は昨年は4時間さらにかかったが、今年もそんなっぽいと今待機しているところだ。浸種時間については、他の農業技術と同様多くの人がいろんなことを言っているが、うちの場合は日積算温度150度は必要だと考えている。ちなみに芽出し温度は一般的な32度ではなく、25度でやっている。

待機しているといっても遊んでいるわけではない。明日からの播種作業の準備とか、デスクワークとか、自治会のチラシ配りとか。パソコン将棋くらいはするけどね。

4/6 今年も育苗が始まる

また数日のん気なことを書いていたが、現場は実はそれどころではない。次から次に追われるように動き回っている。

特に稲の育苗が間近に迫っているので、気持ちもビリビリ。これだけは何年経っても緊張から解放されることがない。

我々の仕事について世間がなかなか理解してくれない大きなことが、「生き物に追われる仕事」「作業のメインは収穫でなく育てる過程」ということだ。生き物(作物や雑草や土)の都合で動かざるを得ないので、作業の計画や自分の予定があらかじめ立てにくい上に、しばしば作業のタイミングが集中して大変な目に会う。そしてそれら振り回される作業というのは、種まきや生育中の管理作業であって、収穫というのは計画的にやることができる、ある意味のんきな作業なのである。

稲の育苗について言えば、今年は2年ぶりにやり方をまた変える。高レベルな省力化を果たした次は、高品質化への工夫だ。自然栽培の苗について、根玉が湿っていても田植えが精度よく出来る苗をつくることが、まずは目指すところ。改善点がいくつか思い浮かぶ中、今年は苗床の空気量と、育苗中の温度管理に焦点を当てるつもり。

苗箱を伏せるのは来週半ばになりそうだが、天気によってはゴボウのビニール撤去のタイミングと重なる恐れがあって、それが憂鬱。体がくたびれるのは仕方がないとして、気を使う作業が重なるということはとても嫌なことである。

4/5 職人と自然栽培

私の経験からは、一般の人たちと違い、職人さんは自然栽培にすんなりと理解を示してくれる。このことから、職人と自然栽培に通じる部分を私なりにずっと考えているが、今思うことを書いてみる。

職人になるための修業の過程に、自然栽培的な視点と通じるものがあるのだ。昨日書いた学ぶセンスと関わりが深い。

自然栽培とは、無肥料とか種採りなど技術の部分ばかりが語られることが多いが、その本質とは「土の力を最大限発揮する」栽培だということである。無肥料管理というのはそのための一技術に過ぎない。土さえしっかりした状態を維持できればあとは何とかなりますよ、という栽培である。

しかしながらその、しっかりした土というのが難しい。人間の浅知恵でしっかり度を判断するのではなく、自然界の理屈で、ちょっと気の利いた言い方をすれば、プラスマイナスゼロの状態の土を作りましょうということ。足りないものがあってはダメだが、余分なものがあってもダメ。うまくゼロが作り出せたときに作物がよく育つということ。そして「足りない」「余分」の判断は人間の浅知恵を排し、あくまで自然界の原理原則に照らし合わせて考えるということ。

実はこのことが職人の本質に繋がっている。職人はパフォーマンスが命だが、そのパフォーマンスを生み出し維持するためには、足りないものはもちろんだが、余分なものがあってもダメなことを知っている。そして彼らはその余分なものの見極めに苦労をしている。原材料や道具などの直接的なものは言うまでもないが、むしろ精神などの自分の内面に及ぶことに骨を折っている。例えば愛の必要性。「とんじんち」の三毒。「無心になる」という言い方も、これ。

つまり自然栽培の理屈とそっくりなのだ。職人が自然栽培に理解を示してくれるのは、簡単に言うとこのためだろうと思っている。

5月初めにあるイベントで私の職人観を語る機会をいただいたので、その整理も兼ねて今考えていることの一端をこの3日間で記してみた。考えれば考えるほど、職人の世界は深く美しい。自然界と、ほんと、同じ。1人でも多くの若者に、職人の世界に興味を持ってもらいたいと願う。

4/4 大事なのは「学ぶセンス」

世の中、どこもかしこも人手不足だそうだが、それは農業の分野も含めて、「職人」なるものと縁のある職種は特にそういう傾向のようである。もっともこれはもう随分前からのことだろう。

そういう時代に職人志願の若者は奇特と言うほかない。しかし残念ながら志願をすれば誰でも職人になれるわけでもなく、適性とか努力というものが問われることになる。昔は職人希望者が多く、放っておいても必要な職人が生まれたことだろうが、今は希望者が少ない上に、打たれ弱く忍耐にも乏しい傾向にあるらしい。職人の世界は風前の灯である。

そういう、せっかくの若者が腕のいい職人になるためには、どうすればいいのか。昨日書いたようにセンスが大事だということなら、そのセンスを身につければいいということになる。しかし、だ。このあやふやなセンスという代物は一筋縄ではいかない。センスとは何かの行為と引き換えにというような商取引で得られるものではない。これまでの人生も含め、当人の考え方や価値観、もっと大きく「生き様」というようなところからにじみ出てくるものであろう。ということは、もしも自分にセンスが無いということなら、今の自分に何かを積み上げていかねばならないということではあるが、実はそれではダメで、まずは一旦今までの自分を壊さなければならないのではないか。

そういうことも含めて、大事なのは「学ぶセンス」だ。学べばいいんだろ、どんな学びだって2、3は得るものがあるさ、では全然ダメ。「今までの自分」に2、3の知識や技術を上乗せしたところで何の足しにもなっていないことが分かるかどうか。学び方にセンスのある人は、今は職人としてのセンス自体がなくても、自分の根本を作りかえて行くことができる。視点が変わる相乗効果で、自然と100や200が入ってくる。そしてセンスが磨かれていく。

ほとんどの若者に言いたいことは、まずは「センス本体」がないことは諦めたい。ここをまず認められるかどうか。それができたら、次に「学ぶセンス」の有無を問う。これがないということなら、いつまでもセンス本体が身につかないから、ここを鍛えなければならない。

一見古いように見える、従来なされていた修業風景は、この「学ぶセンス」を身につけるものであった。言い換えて、「人間改造」。目指す修得はこの1点のみだ。技術を学ぶことが本質ではない。というか必要でもない。そんなものは後で勝手についてくる。

4/3 職人のセンス

とある職人さんが、職人には3パターンあって、それは「センス型」と「研究者型」と「営業型」で、私の場合はセンス型と研究者型のミックスではないか、という。なるほど、分かりやすい区別だ。しかし私が思うに、私の場合は、研究者型はないな、と。単純にセンス型のみであろうと思っている。

つまり私は、研究も営業も能力はなくて、「センス」のみでやっているということ。センスというのは捉えどころがなくて説明困難なものだが、言ってみればこれが一番大事。研究型や営業型の職人さんだってセンスの部分は当然それなりに必要で、持ち合わせている。そういうものだろうと思っている。

じゃあ、この説明困難なセンスとやらを敢えて表現するなら、それは以前こんな記事を書いたが、「得るものと失うもののバランスを見極める」ことに他ならないのではないか。自分をナルシスト的に眺め、かつ他人事のように客観視してみると、私などこの能力というか、無意識の意識というかが、長けていたのかなと思わないわけにはいかない。

私がこの見方を意識したのは、学生時代のある教授の一言である。卒論に身が入らない私に向かって、その教授が、卒論を書かないなら大学に来た意味はない、と断言するので、そんなことはない、卒論を書かない間にいろいろやっているので意味はある、と反論したとき、「どんなことだってやれば必ず意味がある。そんな当たり前の反論をするから君はダメなんだ。」と言われて、たったそれだけのことを言われて、目の前がサッと開けた。このときのシーンは記憶の中で今でも鮮明に蘇ってくる。なるほど!そうか!この教授、世間ずれしているくせにいいこと言うじゃないか!と妙に納得して、何か大きな宝を得た気になって部屋を出たことを覚えている。

この教授がどれだけのどんな意味で私に言ったのかは分からない。ただ私はとっさにこう解釈した。つまり「何かをやって何かを得て揚々とするのは程々にしろ。必要なのはそこじゃない。失うものを含めてどれだけ自分を高められているかが大切なのだ。」と。

そういう視点でいると、何かをすることで自分が失うものも見えるようになってきた。理屈の世界ではない、ああ、なんか失っている方が大きいな、という漠然とした感覚である。感覚というより、勘。しかしながら、「自分の生命をかけたところで、こう思う。」風の真剣勝負的な、勘。これは生死に関わる不思議体験をしてきたせいがあるのかどうか、神のみぞ知る、分かり得ようがないことである。

ところで私は「センスがない」と学生時代にお世話になった造園会社の社長に散々言われ続けていた。だったらセンスがないなりの努力をしよう、まずは「バカになる」ことだ、と目を吊り上げてバカになる努力をしてきた。それが今では「センスしかない」という自己分析。それなりに満足感がある。

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