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はんだ牛蒡生産者 反田孝之さんブログ - 2012年8月の記事

8/31 ようやくニンジンの播種

ようやくニンジンの種蒔き終了。78000粒。計画では今月に入ってすぐに蒔く予定だった。なんとか8月中には終わったが、ほぼ1ヶ月遅れ。

種蒔きが遅れるほど情けないことはない。そのせいでこのたびのニンジン、おそらく年内収穫は無理と踏んでいる。この山陰という地で、年内収穫ができないというのは厄介なことである。冬の間はまず収穫が無理。そして春になるのを待っていたら品質が落ちる。一例を挙げると、もともと田んぼだったところを畑として使い始めてまだ3年目ということもあるが、高畝にしているため畝間の土は11月以降は飛ばすほどに乾いてくれなくて、寒さによる首の変色を防ぐための土寄せ一つとっても難しい。

しかもこのたびは全てF1の品種を作付け。はんだ人参のファンの方、ごめんなさい。今回は「命」のあやふやな品種。種採りで繋いできた品種は、今回は自給用と来年の種採り用の作付けに限定。毎年、種採りから種蒔きまでの行程が忙しすぎるので、種をゆっくり調整するために1年ずらすことにしたわけ。つまり今年採った種は来年の夏に蒔くということ。だから今回分は仕方なくF1品種。種を繋ぐために種採り用の作付けだけは行う。

うちで栽培している作物、「米、麦、大豆、ごぼう、さといも」はみんな「必然的に」固定種又はイモ。だから、F1というものを商売として栽培そして販売した経験がない。何か種のないチソコを大勢の前で振り回すような感覚で、すっきりしない。

8/30 幸せ疲れ

近年、くたびれやすい。というかいつもくたびれている。だから体調も崩しやすい。年を取ったということもあるあろうが、最大の理由は分かっているつもり。まず間違いない。

それは息子がいるということ。

肉体を酷使する職の人は、休日や夜に「寝る」ことで回復を図る。これまでの私もそう。日曜の10:20からNHKで将棋を見る。酒こそ飲まぬが至福の時間。見ながらそのうち眠りに落ちる。起きたときは次の囲碁の番組に変わっていて、「あれ、どっちが勝ったんだ?!」などと寝ぼけて慌てることが、可能な限り毎週進歩もなく繰り返されるのだが、このことが日々の疲れをとる絶妙の休息になっていたことだろう。

これは一例だが、暇を見てはちょこちょこする昼寝。このことが今はできない。

3歳の息子は昼寝が嫌い。休日は朝から休みなく動き回る。だけでなく、愚図りまくる。とても昼寝を「気持ちよく」させてはくれない。平日の夜も私の疲れやクタビレなどは当然知ったことではない。ほとんどのターゲットは女房だが、「あっちに行ったよ、良かった」などと他人事のようにしてもいられない。女房も出荷作業や経理を一手に切り盛りしていて、疲れている。

また夜中も熟睡できない。寝相が悪くて布団の上をコロコロ転がってやがるので、夜中に突然顔を蹴られる。また体の上に乗ってくる。どうなってんだお前?それから布団を蹴飛ばす。我が家の朝晩は夏でも寒いので、そのままでは風邪をひく。夜中でも可能な限り目が覚めたときは起きて布団をかけてやる。

とここまで書いて、休息が思うようにとれないということが、裏返せば(裏返す必要もないほど)いかに幸せなことかと実感する。震災や戦争。世の中には大きな悲しみを背負った人も多いというのに。

こんなネタを書くことも、一時多くあった、年賀状に子どもだけの写真を載せることの賛否を思い出してしまって、本当は気が引ける。(FBのプロフィールに子どもを抱いた写真を使っているのも、次の写真を撮るまでと思いつつ、ずるずるいっている。)しかしまあ、「農家の日常の些細な実態」の紹介を、「まだ子どもを作る予定がない」という人向けに、書いておく。

8/29 また熱が

朝から丸ちゃんと今田地区の草刈を始めたが。2時間でギブアップ。自宅に帰りシャワーを浴びて、しばらく休んだあとに体温を計ると37度を超えている。そのうち38度近くまで急速に上がり、昼寝をしたら37度まで下がった。

いったいどうしたかな。今朝は体温が完全に戻り、終息宣言。それがすぐにぶり返すということは今までになかったこと。ここは流れに任せて、休むしかない。

何より優先することを一つに絞るなら、ニンジンの種まき。太陽熱マルチを撤去して、播種機を回送して、種を蒔いたら、スプリンクラーの設置・散水。とここまでがセット。今の体調であれば、実に気が遠くなる。

8/28 ゴボウの雑草対策を諦める

朝一番で、リハビリのつもりで「クサネム」抜きに田んぼに入ってみた。台風の接近で、幸い日差しはなく風も心地よい。しかし1時間たってギブアップ。無理は禁物。

いろいな作業のタイミングが来ているが、こんな調子では何処かを削らねばならなさそうだ。ニンジンの播種は最優先。それから田んぼの草刈も地域の手前、優先。これ以外の作業、秋蒔きゴボウの雑草対策である太陽熱マルチや、抜けずに残っているゴボウの掘り取りは、もう諦めようかと考えている。

太陽熱マルチは、真冬のあの地獄の草取り作業から開放されるためのものであるし、抜けずに残っているゴボウも推定で100㎏はある。しかし仕方のないものは仕方がない。くよくよとして捨てるのみ。

前を向いて進もう。来年の苗代の準備も8月中には進めておこうと思いつつ手がついていないが、これはまだまだ十分間に合うと踏んでいる。これから自宅でゆっくりしながら段取りを考えるつもり。

8/27 忙しいときに高熱

今週はてんこ盛りのタイミングが訪れていて大変忙しい予定なのだが、一昨日の未明から39度を越える熱を出しくたばっている。こんな高熱はいつ以来か。ちょうど家族で松江に出張中だったから、操縦不能の3歳児を抱えた帰路は結構辛いものがあった。

お盆を過ぎた頃から、「日向嫌悪症」とか「太陽光過敏症」などと自分では言っていたが、日光に当たることにつくづくウンザリしていた。そうもいかないので仕方なく陽を浴びて作業はするが、どうにも辛い。気分的に滅入るばかりでなく、実際に粘りが利かない。単に「夏ばて」ということなのかどうか。最近は体力的にはゆとりをもってやっていたつもりなのだが。

これを書く今、37度は切ったが、頭と喉が痛い。でやっぱり日向を想像するとウンザリする。晴れの日は外に出たくない。元気になれば大丈夫とは思っているが、もしこのままだったら、これからのわくわくする農業人生はどうなってしまうのか、などと弱気になっている。

ところで、3年前に自然栽培を始めてからは、解熱剤などの薬のたぐいは一切を飲まなくなった。これって結構、快感。畑の土と同様に、私の体からも時間をかけて悪いものを出していく。自然に任せるか、と一方で、余裕もある。

8/24 続・従業員になるための研修

従業員になってもらうための研修とは、ある意味で簡単である。

従業員は1から100までの仕事ができる必要はなく、そのうち20くらいだけでも極めてくれればいい。残りの80は私が浮いた時間で作付けを増やし売り上げを上げればいいということ。従業員になるというのは農業経営にこのように貢献することである。

だからとにかく特定の作業をしっかり任せられるようになってくれればいいのであるから、原則として仕事を教える。時には考えさせるために教えないことももちろんあるが、まずはできそうなことから具体的に教える。極端なことをいえば、その子の性格なんかどうでも良い。人間的にどうであろうがなかろうが関係ない。厳しいことも言うが、時には誉めておだてて、とにかく作業が任せられるようになるよう指導する。研修に受け入れた子が「常識的な生活観さえ持っていれば」、最低限の戦力にするというのはそう難しいことではない。

ただその次には、待遇との関わりが出てくる。最低賃金にかろうじて見合う戦力というだけでは、その子の未来はない。結婚もして家庭を持つこともできまい。だからゆくゆくは最低でも年収250万円くらい払えるようにはなって欲しい。単純に例えるなら、私が「こいつがいろんな作業を肩代わりしてくれるから、今年は田んぼを3haとゴボウのトンネルを10棟増やせるな。」と思えるくらいの実力になるということ。そのためにはそれなりの努力もいるがセンスもいる。性格も人間性もいくらかは関わってくる。上達しないのはまずはそこに問題がある場合が多い。それが改善の見通しがないから、じゃあ仕方がない、今の給料で我慢しろよ、というのではこれからのその子の人生を考えた時にためにならない。だったら1年でも若いうちに他の仕事に就いたほうがいい。私としてはいてくれれば都合が良くて助かるのだが、それができない。従業員になった2人のうちの1人は、そんな感じで話し合って辞めてもらった。

3~4年に1人くらい育ってもらって、いずれ3人くらい抱えることができるといいなあ、と当初はぼんやり考えていたが、2度目の大きな洪水の洗礼を受け、従業員のいない体制に踏み切った。募集もしない。必要なときにパート的に地域の人にお願いするだけ。今後もよっぽどのことがない限り方針は変えないだろう。そして、それに代わる貢献で自分にできることは何だろう、と考えたときに、従業員ではなく、独立就農者が増えることへの一助になることだと確信するようになったわけである。

続けるか。

8/23 従業員になるための研修

このたびが実質で初めての研修生受け入れと書いたが、これは舌足らず。実はこれまでにも数人の「研修生」を受け入れていて、同じ「研修生」でも意味合いが異なる。どんな違いか。それは、

「従業員になるための」研修か、「社長さんになるための」研修か、ということ。

前者と後者では研修内容は全く異なる。味も素っ気もなく言えば、前者は「研修終了後に、組織の一員として最低賃金以上の賃金に見合うだけの戦力となるための研修」である。例えば給与を年間でおよそ130万円とすれば、最低でも200万円以上の会社の売り上げ増に貢献できる戦力にならないといけないということになる。研修中は給与助成の制度などがあるので仕事ができなくても、まあいい。しかし研修が終わって助成がなくなったときに、相変わらず仕事ができない、せっかく雇ったのに売り上げが150万円しか上がらなかった、というのでは、会社は200-150=50万円以上の持ち出しである。うちのように会社とは名ばかりの家族経営であれば、実質は私の懐からの持ちだしのようなもの。1人雇ったら生活が厳しくなった、息子のおむつ代が出なくなった、というのでは話にならない。

だから、研修が終わって助成金が切れた時点でその人の実力を見極めるとになるのだが、明らかに「使い物にならない」という場合は従業員としての雇用を諦めざるを得ない。せっかく1年も研修したのに、諦めてもらわなければならない。こちらも骨を折った労が報われない。だからそうならないように研修中はハッパをかけながらやっていく。しかしその意味が体に染みて分からない子もいれば、分かっていて努力はするんだけど素質に問題がある子もいて、これまでに受け入れてきた6人のうち4人は、従業員になることを諦めて辞めてもらった。

まじめに頑張ったにも関わらず素質に問題があって従業員になれないということを防ぐために、研修生の採用面接や試験というものがあるのだが、ここでの私の態度は微妙だった。無理とは思いつつ、機会は与えてやりたいという気持ち。それで初めの3ヶ月は「研修生の試用期間」ということになった。私が明らかに無理と思ったときは3ヶ月経ったときにやめてもらう。その方が傷は少ない。もちろん初めにそのことに合意してもらう。合意の上で挑戦してもらう。

諦めてもらった4人のうち2人はこの段階で。今となっては、これも酷だった、初めから研修をさせなければ良かったと、私の若気の至りを反省している。

続く。

8/22 研修生受け入れも悪くない

今の農業を始めて9年目に突入しているが、研修生を受け入れたのは3年前に一度あるだけで丸ちゃんが2人目。しかし1人目はニート教育に成り下がってしまって研修が成立しなかったので、実質は丸ちゃんが始めての受け入れということになる。

そんなだから、私もまったくの手探り状態。しかしながら、半端ではあるものの私自身が修行ということを経験してきたし、土方のせがれとして生まれてきた所以か、職人が育つ現場をそれなりの視点で見てきたということがあって、それなりの接し方というものは私の中に初めからあったことはあった。いつかは試してみたいという思いもあったわけで、それが半年前に研修生募集ということになったわけである。

蓋を開けると、戸惑いの連続。丸ちゃんがこれまた筋金入り(笑)ということもあって、悩みも大きかった。しかし信じる方針でやり続けてきた結果、自己採点では「何とか及第点」ということは昨日も書いた。

という自己評価をできるのも、丸ちゃんのおかげではある。私がぐしゃっと思いっきり潰してみたにも関わらず、その意味を理解し(と信じている)、そして前向きに捉えて進んでいる(と信じている)。こういう人間でなければ、新規就農などとても無理。あるベテラン自然栽培農家が、「人間もこれまでに背負い込んできたものを一度吐き出す必要がある。それは畑の土と同じ。」というようなことを言っておられると聞いた。漠然と考えていたことが、なるほどこういうことかと自信にもなった。

そういう指導をしていく上で大いに悩むことがあって、それは「偉そうな自分」ということ。他人にそんなことを指し示すことができるほど私は偉いのか、という悩み。自分の力量を悟ってしまった以上、既に勘違いは起こらないという自負はあるが、偉そうにするということはしばしば当人に勘違いをもたらす。進学塾時代、生徒に対して偉そうにしなければならなかったこと自体に苦痛はなかったが、それが元で自分が勘違いしてしまうのではないか、ということに対しては常に恐怖があった。現に、チョークより重いものは持ったことがないなどと揶揄される業界人のこの職場には、私の目で見て明らかに勘違いをしてしまっているなあ、という同僚は少なくなかった。

しかし所詮、塾講師では他人(生徒)の人生を悪い方へ変えるほどの力はない。しかしこのたびの研修生の受け入れ。本人は人生をかけてここへ来ている(はず)。恐怖の程度には雲泥の差がある。真剣にやればやるほど、私ものめりこんでいかざるを得ない。知らず知らず勘違いに傾いていくことは大いにあり得る。

などと変なところにビビリながら指導してきたので、今となってはもう少しやり方があっただろうと思われることは多いものの、とにかく及第点。丸ちゃんは4ヶ月前とはまったくの別人。農業人生はこれからがスタートではあるが、この調子でこれから5年くらいかけて自分の中の「肥毒」を出し切っていけば、おそらくどんな農業人生を送るにしたってやっていけるだろうと漠然と考えている。そういう意味で、少し早いが私の責任は降りた。あとは見て見ぬふり、見ずに見るふり。

少し前には、研修生はしばらくこりごり、などと思っていたが、彼の前向きさにも助けられて、また来年から希望があれば受け入れられるようにしていこうと考えている。こりごりだろうが何だろうが、この地域に担い手を増やさなければならない。考えようによっては、私はそれが直接できる唯一の存在などと、いかにも勘違い的なことを真剣に考えている。そして何より私が成長できそうだということ。丸ちゃんには冗談でよく伝えているが、彼があまりにバカなおかげで、我々夫婦がとても変わることができた。

8/21 丸ちゃんの現実

別に悪いことを書くわけじゃないから緊張しなくてもいいぞ(笑)。

私が今の農業を始めて、「あんたの言っていることは理屈だ。」といろんな人に言われてきた。言われるといつも思うことが、私か、あなたか、どっちが理屈か分からないということ。私はいつも「現実」を歩いているつもりだし、言った方も自分が現実だと思っている。ようするに双方が現実なのである。自分の世界以外を認めない態度が、「理屈」などという見方を生む。

研修生の丸ちゃんが面白いことになってきた。彼は来春から独立就農することがほぼ決まっているが、現実を歩く私の目から見ると、彼の力量ではかなり酷なことである。受け入れている本人の私がのん気にそんなことを言っているのもどうかと思うが、「酷」というのは別に悪いことではない。新規就農して軌道に乗せるというこの世で一番難しいと言って過言ではない難事業に望んでやって来たからには、この酷な状況を果敢に受け入れて、胆汁が滲み出る苦しみに耐えながら、鮮やかでなく泥臭くてもなんでもいいから、一心不乱に突破していくというのが成功の近道である。難しい物事に望む場合、自分の実力から積み上げ的に考える手法と、結果から逆算的に考える手法の両方があるが、凡人にとって前者だけでは確実に無理なわけで、後者の手法を取り、どこかで自分の力量以上のステップに昇華しなければならないということになるから、そこでどんな自分の可能性や潜在能力を発揮できるかにかかっている。そういうものが必ず人間の中には潜んでいて、自分をよく知っている人はそういうものがいざというときに出てくる。彼が研修に来たのは4月だが、ようやく自分を知ることができるようになり始めたように見える。この数ヶ月はここに私の全力を注ぎ込んできたつもりで、農作業技術など何も教えていない(教えても彼の身に入っていない)のだが、これでよかったんだろうと、何とか及第点の自己採点をしているところである。

彼にとって貴重な就農前の時間を、技術の習得ではなくそんなことに費やしているのかと、呆れる人もいるだろうが、私に言わせればこれが彼の「現実」で、もっとも有意義なこと。農作業体験や知識のお勉強などは「理屈」。現実世界を歩かないと、新規就農という現実には立ち向かえない。というようなことは、私ら夫婦と丸ちゃん以外には分からないこと。だから誰に分かってもらうつもりもないし、必要もないと思っている。

面白いことになってきたがために、彼はこれからしばらくは、現実と理屈のハザマで揺れ動くことになりそう。自分以外の世界を認めたい視点を大いに持っても、彼を取り巻いていく環境には、明らかに理屈ということが多い気がする。さあ、どう転がっていくか。私はどう関わるか。

8/20 8月を楽にするために

うちの今の作目であれば、春からの管理が上手くいけば8月は少しゆとりができる。例えば1日に5時間くらいしか作業をする必要がない、とかね。クソ暑い時期にありがたい話なんだよね。

ところが、こう言えるには前提があって、経営面積が適正であるということ。うちは今20ha。ここ数年の試行によって、これは明らかに広すぎるという結論が出ている。しかもこのうち4haは何も植えておらず、ただ草刈などの管理をしている。年間でここに投下する労働は当然かなりの時間になる。これを切り離さない限り、8月にゆとりが生まれることはもちろん、私が楽になることも、経営が安定することもありえない。逆にこれさえ整理してしまえば、理想の経営に落ち着くという確信を得ている。

ということで、大きな洪水もなく、農繁期を元気でやってきたくせに、今年の夏もやたらと忙しい。早く経営面積を縮小したい。

そのための最大の課題が、ゴボウ栽培を連作に近づけるということ。「洪水との共存」を人生の命題に上げているが、それは突き詰めればこれを実現するということともいえる。さっぱり意味が分からない人向けにいうと、技術本の類にはゴボウは5~6年は空けて栽培しろと書かれている。確かにうちの畑でも4年空けて作付けしたら途中で枯れてなくなってしまったという畑もあった。しかし自然のゴボウが自らの足元に種を落とし、休眠期間もないままに発芽するところを見ると、連作は可能であり、それを不可能にしているのは人間のせい、大きな要因は肥料、ということなのだと考えている。だから無肥料管理を基本とした自然栽培。これこそが鍵である。

5~7月の最悪の繁忙期を過ぎたら、クソ暑い8月にちょっと一休み。というサイクルは長い目でみて必要である。暑苦しい努力を重ねて日々の課題を解決していくことは必要だが、肝心かなめの課題を実現することで、物事はいっぺんに良くなる。

8/17 帰省は蒜山と勝山へ

お盆休みを2日とって、初日は隣県の倉吉市の女房の里へ。私は夏ばてやら腰痛やらでまともにしてはいられない。お邪魔しておいてゴロゴロばかりしていた。息子が「おじいちゃん」と嬉しそうに遊ぶさまにこの上もなく癒される。

2日目は蒜山。蒜山耕藝の圃場見学。いやはや自然栽培1年めの凄い稲だ。うちの田んぼとはまったく表情が違う。水もきれいそうだし羨ましい条件もあれば、草刈り面積の多さなどの厳しさもある。農業とは、その土地土地の、長所はありがたく「拝借」して、短所にいかに寄り添っていけるかが大事ということだろうと思っているが、そのことに改めて思い入る。うちの田んぼなら短所は水。江の川の水と、八戸川(やとがわ)の水。どちらも現代の常識程度には汚い。ここに寄り添う。土が浄化して稲にはそれが影響しないような、そういう田んぼの土をつくるということ。けっして物語ではなくて、現実にそういう事例がある。百姓とはこういう自然の素晴らしさを具現できる唯一の立場。自分の人生に感謝。

続いて、勝山のタルマーリー。職人業界ならではのネタで盛り上がる。その中で、「いいパン職人を育て、必ずしも都会ではなく、いい生産者のいる土地で開業する流れを作りたい。」との店主の言葉。聞いた瞬間、心が震えた。深さをどう表現していいか。パン屋さんに限らず、あらゆる「加工屋さん」がこういう意識を持つことができれば、世の中はどんなに魅力的なものになるか。世の加工屋さんたちに高いレベルの意識を持ってもらうためには、・・・それには自分ら生産者が高い意識をもつこと。本当は相乗効果なんだろうけど、生産者である私にはそうとしか言えないね。改めて自分の人生に感謝。

考えてみると倉吉の女房の実家からタルマーリーまで車でわずか1時間という距離。あらためて、「連中」が近くにいるということと、鳥取県の「薄さ」を痛感(笑)。

陽も傾き、帰りの中国道のSAの公園で、息子とボールで遊ぶ。そろそろ帰ろと言うと、「いっぱい遊ぶっていったじゃん。」息子にとってはつまらない2日目だったろう。行動中、頑張ってずっと我慢しているそぶりがよくわかった。いつかはこういう旅を一緒に楽しめる日が来ることを願いつつ、とりあえず今度の日曜は、疲れを押してでも一緒にいっぱい遊んでやりたいと思っている。

8/14 化学物質ゴボウで農業振興は可能か

「反田のゴボウは確かに美味い。でもそれ以外の桜江産のゴボウも十分美味いから、化学物質でもなんでも使って、どんどんゴボウを栽培すればいいんだ。」

という真面目な声があると聞いた。まあそうだろう。

ここで考えないとならないのは、「・・・すればいいんだ。」のニュアンス。すれば、何がいいのか。聞いた限りでは、近くの直売所がにぎわうこと、それが巡り巡って桜江地区の農業振興になる、ということらしかった。冗談だろう、と思ったが、真面目なのだという。これ行政の人らしい。おいおい、大丈夫か。

確かに直売所はにぎわうだろう。しかし桜江地区の農業がにぎわうことはあり得ない。にぎわってないから化学物質栽培のゴボウすらないわけで、それを栽培したらにぎわう、はおかしいだろう。「耕作放棄地解消のためには作物を栽培して売ればいい!」なんて単純なこと、小学生も高学年になればもう言わないぞ。

このあたりの直売所で売れたくらいでは農業経営は成り立たない。だったらどこか大口に売れば、と簡単に言われても、化学物質栽培ゴボウでは苦戦する。こういう作物はすでに市場が大きい。大きい市場は、すでに流通が固定されているし、相場の価格が決まっていてそれが新規参入に見合う数字ではない。農産加工で苦戦する理屈と同じ。

ということで、化学物質栽培で桜江ゴボウを振興しようなどとはもう考えない方がいい。そもそも、いまさら誰がやるんだ。ただでさえ農業などやりたくない人だらけの時代に、化学物質振りまいてでもやりたい!という「奇特」な人はなかなかいない。少しだけ時代を読んで欲しい。

それにしたって「抜けないゴボウ」で収穫に苦労までして無肥料管理でやらなくても、堆肥などは使うくらいでゆるくやればいいじゃないか。という声もすでに矛盾である。私の経験から言っても、堆肥や有機肥料を使えば、連作から遠ざかる。輪作の中で休閑年数が増えるのである。ということはわずかな面積のゴボウ栽培のために多くの空き圃場の維持管理をしていかなくてはならないということ。その空き圃場で栽培できる他の作物があればいいが、「洪水」と「鳥獣被害」と「冬の天候」の3兄弟のためにそういう作物はなかなか見当たらない。

だから田津(桜江)地区の未来を考えるなら、ゴボウを連作に近づけていくしかない。そうすれば農地に余裕が出てくるので、多くのゴボウ農家が入植することが可能になる。産地形成も見えてくる。

そのために必要なのが土に入れてきた肥料分を抜くということ。昨日、『具体的には土に放り込んできた肥料を抜くという作業。これなくしては田津地区の未来は見えない。』と書いたのはこういうこと。なにも飛躍はしていない。

少しだけ現場に耳を傾けてみて欲しい。ゴボウを栽培している人全員に。それをしないからミスマッチが続くんだ。現場が全てで、理論は後からついてくる。地域の農業振興を考えるなら、これって当たり前でないか。

8/13 私とゴボウ

昨日から雨が降り始めて、ようやく太陽熱マルチに取り掛かれた!のは良かったが、今度は降り過ぎ。今しがた強い雨で土がベトベトになってしまった。これでは作業ができない。もう明日中には終わらんよ。痺れるねえ。

うちのゴボウについて、蒜山耕藝のブログで高谷氏が書いてくれた。私が誉められている内容だが、なぜか私以外の他人のことみたいな気がして、読んでいて私が熱くなってしまった(笑)。私にない視点で「はんだ牛蒡」について書いてくれている。ぜひ一読してみてほしい。

確かに私がここで農業を始めたから、多くの人から評価をいただいている「はんだ牛蒡」がこの世に生まれた。それは間違いない。だが私の立場から言わせてもらえば、私がもっと自然について分かっていれば、もっと早くにこのゴボウは出現しただろうし、これからの展開にだってもっと大きな希望が見込まれることだろう。しかし、私がバカだから、田津地区の土に対して要らぬことをこれまでにしてきてしまったから、無知だから仕方がなかったとはいえ、そのために歩みを遅らせてしまっている。今は、これまでにしてきた「過ちの清算」。土の進化を自然の軌道に戻すこと。具体的には土に放り込んできた肥料を抜くという作業。これなくしては田津地区の未来は見えない。

そして同時進行で技術的・経営的なあらゆる問題への対応。私の力のなさは当然ながら現在進行形。当面のことがイマイチ、見えない。今までが遅れただけでなく、これからの展開も遅そうである。何ということか。ああ自分が情けない。

しかし後悔はないし、焦りもない。自分というものを見切ってしまえば、これらのものと縁はない。「下」を向いてただひたすらに歩くのみ。

8/12 やっと降った

やっと降ってくれた。それなりの量。

これで明日、ようやくニンジンの畝立て&太陽熱マルチができる。といっても雨が降らなきゃの話だけど。午前中は大丈夫みたいなので、早朝からの勝負。全部で1日強はかかるだろうから、この明日からの2日間でどれだけできるか。

お盆に入って、集落の盆踊りの準備とか、女房の里行きとか、蒜山への田んぼ視察とか、なんだかんだとあるので、なんとか間に合わせたいのだ。

それにしてもこの雨、稲も大豆もゴボウもサトイモも、みんな喜んだだろうな。それを思うだけで気が軽くなる。

8/11 最近の作業

最近ブログを怠け気味。メチャメチャ忙しい!というわけではないのだが、事務所が暑くて机に座っている気がおきん。今日は涼しいねえ。

最近の作業の状況。

ゴボウの収穫がほぼ終わり。出来は例年並みというところか。

それから空き圃場の草のモアによる粉砕を終えたところ。この粉砕作業、3haくらいもあるので楽ではない。畑を返してしまえば経営的にも体力的にも楽になれる。

さらにゴボウの種採り。これだけは気持ちを穏やかに素直にやりたいもの。でも痒い~んだよな。

イライラしているのが、ニンジンの太陽熱マルチが未だにできていないこと。すでに適期を逃しているが、雨が降らんので仕方がない。今日辺りから数日雨の可能性があるみたいなので、土が湿り次第スワッと入れるように準備は万端。

ということで明日くらいから天気に振り回される可能性大なので、今日は午後は休むつもり。今は休みが取れる程度の忙しさなんだから、先を見て休める時に休みながらやることになる。

8/9 蒜山から高谷氏

蒜山耕藝の高谷氏が遊びに来てくれた。圃場を見せ、酒を飲み、翌朝はゴボウの収穫を手伝ってくれて、有意義な時間を過ごせた。

有意義というのも、このたびも私にとって多くの収穫があったから。「彼ら」の触れてきた世界と感性の良さを思う。それを踏まえて、頭の中ではガチンコである。お決まりの「自然の見方」ということはもちろんだが、農業研修の話や、私の中ではそこから、人というもの、運とは、などといろいろな思索に広がった。ありがたいことである。

「農業は後から始めた人が有利」と言われることがある。これはあるね。

ちょっと時間がない。ここまで。

※ゴボウの収穫進捗率 99%

8/6 今の自分か、未来の自分か

前回、変わること、と書いた。当たり前のことだが、「今」と「未来」があるから、「変わる」という概念がある。

この「今」と「未来」ということ。我々のような百姓にとっていつも無意識に感じている自然なことであるように思う。「未来」の土を想定して「今」の管理をする。当たり前すぎてこんなことを改めて書くことが白々しいくらい。

当然、育つ作物の品質や、経営についても、未来を想定することが前提ということになる。だから今が悪くても悲観はない。自分がしっかりしてさえいればきっと良くなると信じているし、ある程度において実際に必ず良くなる。

しかしこれまでに何かにつけ、「今」の状態のみで全てを判断したがる人は少なくないのだが、こういう人はそういう感覚が乏しいのだろうと思ってきた。うちのゴボウへの評価もしかり、経営への評価もしかり、私自信の評価もしかり。どうせ説明したってわかってもらえないので、適当に受け流すことになる。

中でも特に驚くことが多かったのが、自分自身をそういう目で見れない人が多いということ。今の自分を進歩の終わった完成された人間たど思っている。今の自分が全てで、未来の自分を無視している。「これを教えてあげたらきっと喜ばれるだろう」と思って言うと逆に機嫌が悪くなる人。改善策を提案するとなぜか落ち込む人。こういう人は「今」の自分がすべてなのだろうと思う。

こういう人は、ダメ出しをされると極度に落ち込む。そうではなく未来の自分で勝負というのであれば、成長や改善のヒントになるわけだから当然のことながらダメ出しはありがたいということになる。20歳の人は50歳のときの自分で勝負。40歳の人は70歳のときの自分で勝負。などと考えておけばいいのではないか。それで「なんだ、生涯、研鑽か。」ということに気がつく。

あらゆる世代の中で、若者が特にこういう感覚を自然に抱いている立場であると思っていたが、どうもそうではないらしいということを感じて久しい。研修生の丸ちゃんもごく普通の若者。普通の若者が未来に憧れて修行に来たんだから、今の自分に力がないから修行に来たんだから、力がないことを指摘されるのは自然なことだし、未来のためにとやかく言われることも自然なこと。そんなことを伝えている。

研修などというものは、このようなごく自然な道理が身に染みないうちは意味がない。丸ちゃんもようやくスタートラインに立てるかどうか。

こういうことを努めて言わなくてはならない時代かどうか。私にはわからない。

※ごぼう収穫の進捗率 88%

8/3 生存記念日

今日は私の生存記念日。ほぼ毎年、このことについて書いている。

今の農業を始めたという人生最大のバクチに打って出れたのも、あの時の体験があったからだろう。「もう死んだんだ、今生きているのはオマケなんだから、メチャクチャやってみればいいさ。」という割り切りがあった。でなければあの頃の情けない私には絶対無理。あの日を境に確かに自分は変わったと思う。

人は変われる。そしてそのためには必ずしも死と紙一重に接する必要はないのではないか。私にとって明らかにあの日の体験は大きいが、少し自慢をすれば、いつでも変わりたいと念じながら何事も一生懸命にやっている。頑張るというのが大好きである。日々のこういう姿勢があるからこそ、あの日の体験をいい方向に生かすことができたのではないか。

生きているということは素晴らしい。何がか。「変わるものを見れる」ということではないか。子供の成長など最たるものだろうが、私の人生にとってはとりわけ「土」。土が変わるということ。考えていてこんなにわくわくすることはない。土が変わるところから始まって、最後に人の社会が変わるところまで本来は続いていくのだと思っている。だから一番初っ端の「土」のところに最前線で関わっていられる今の境遇にただただ感謝である。

生きていて本当によかった。

※ゴボウ収穫の進捗率 81%

8/1 暑さでウッカリが多い

8月に入った。暑い暑い暑い!!

暑い中を頑張るから、思考力・集中力も欠けている。段取り中のウッカリ忘れでロスが多いし、大きな流れのことを考えることが億劫になっている。昨日は知り合いの通夜をウッカリしていた。

作業中に携帯の着信に気付かないことは以前から多いが、着信を確認することを忘れてしまう。あれれ、電話が来てたなあ、と3日後に気付いたりする。夜などは早く寝たりすることもあるので早くからマナーモード。携帯の横を通りがかった時に運よく気がつくという幸運でもない限り、まず出れない。こちらから折り返していない人が何人もいる。ごめんなさい。

その点メールは便利。緊急の用事でなければ夜中に目が覚めた時などの時間で対応ができる。ただの暑中見舞いならこちらのほうがいいかも。

といいつつメールの返信もウッカリが増えている。事務所の暑さのためパソコン見るのが億劫。これだって今14:00。汗だくになって書いている。何をやってるんだか。

早く出よう。田津地区でモアに乗り回すつもり。

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イベントで2000個売れた大人気の蒲鉾屋さんの魚コロッケ!贈り物にお弁当やおつまみに子供から大人までリピート多数の人気商品です!

ごぼちく(送料込)

販売価格(税込): 3,240 円

水で溶くだけの衣付だから、お家で揚げたてを食べられます。ボリューム満点のごぼちくは、1本だけでもおかずにおつまみに十分です!

かまぼこ・揚げ物詰め合わせ 5,000円セット(送料込)

販売価格(税込): 5,400 円

ギフトに喜ばれる住京蒲鉾店のイチオシセット!人気のすまき蒲鉾から、おつまみにも最適な天ぷらなどギュッとつまったギフトセットです

ミニ瓦 5枚セット

販売価格(税込): 2,160 円

職人が1枚1枚手作りするミニ瓦。和菓子の受け皿や、お香をおいたり、アロマキャンドルをおいたり、ジュエリーをおいたりと用途は様々。お部屋のアクセントにもなります。

瓦箸置(唐草) 5個セット

販売価格(税込): 3,240 円

島根県石見地方にある江津市で製造が盛んな石州瓦。この瓦をそのままミニチュアサイズにした箸置きです。

瓦根付 1個入り

販売価格(税込): 918 円

石州瓦をそのまま小さくした粋な根付。携帯ストラップや鍵につけたり、着物の帯につけたり。赤茶色といぶし銀、大切な人とペアでつけても渋くて素敵です。

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